1.「合法的革命」とヴェルサイユ体制打破


     「合法的革命」・・・ワイマール憲法体制(民主主義的議会共和制)の根底的破壊。



     1933年1月30日、ヒトラー政権成立(ナチ党と国家人民党という右翼連合政権)・・・議会多数派による政権樹立
       ⇒憲法に基づき、合法的
 

    しかし、圧倒的多数(安定多数)ではない(選挙結果推移
       ・・・・ナチ党の最高得票率は1932年7月選挙で、37.3%


    しかも、1932年11月選挙では、得票率低下、危機。票数では、200万秒余りを失う。
    ヒトラー政権誕生には、国家人民党やその他の右翼勢力、ヒンデンブルク大統領周辺の危機意識。
    ナチ党(196議席)と国家人民党(52議席)を合わせて(248議席)も、政府与党は、国会議員総数(584議席)の半分以下。
    ⇒少数派政権
 
    議会で圧倒的多数獲得を目指しし、
    即座に解散・・・議会で圧倒的多数の獲得を目指す。

    @政権党としてゲーリングが手にした警察機構を駆使。

    A大統領緊急条例による言論・出版の自由など憲法が保証する政治活動・選挙活動を抑圧。
      ドイツ共産党、ドイツ社会民主党など、左翼に対する抑圧、弾圧。

    B国会炎上事件…国会放火事件・・・・即座に共産党によるクーデター勃発と断定。共産党禁止。
       (参考:2013年ベルリン・ブランデンブルク門の歴史記念展示「想起し警告する」)

     それにもかかわらず、1933年3月5日の総選挙(複数政党制の最後の選挙)で、51.9%しか獲得できなかった。


     ヒトラー政府が思いのまま予算を決め、法律を制定するためには、どうしたらいいか?


      議会に頼らない政府を構築・・・全権委任法・・・全権を国会から政府に。