1941年9月から1942年5月末までの
 プロテクトラートの治安秩序とユダヤ人問題
 ユダヤ人移送(追放)の背後にあったベクトル群
 (Cf. 拙稿「総力戦とプロテクトラートの「ユダヤ人問題」『横浜市立大学論叢』人文科学系列、No.56, 2004.


1941年9月15日ライヒ保護官(ベーメン・メーレン保護領長官)コンスタンティン・フォン・ノイラートの緊急情勢報告
  1941年8月10日から9月10日までの一か月間の政治的展開に関する報告

  フォン・ノイラートは、宰相府長官ハンス・ハイリヒ・ラマ―スに、「この報告の緊急性に鑑みて、
  可及的速やかに総統にお知らせするように」と訴えている。


 ーー報告内容ーーーー
  プロテクトラート政治的展開は、最近数週間、チェコの抵抗精神の相当な高揚によって特徴づけられる。
  それは主として、次のことによって引き起こされてきた。
  1)ドイツは戦争に敗北するに違いないという一般的見方の強化によって、
  2)供給のさらなる悪化に対する住民の広範な大衆の不満の高まりによって。

 ドイツ国防軍の突進に対する
ボルシェヴィキの抵抗が予期に反して頑強であることとその他の外交状況が、
ドイツの成功頂点が過ぎ去って
ドイツ敗北は不可避だという見解がほとんどチェコ人の全般的な気分にならせた。
チェコ民族Tschechentumの政治的に表立った層は、戦争の出口のすべての可能性を予防するために、そして
先走った公然たる抵抗によってドイツの厳しい報復措置を挑発することのないように、確かにまだ
外面的には控え目である。
けれど
も水面下ではいたるところ受動的抵抗の増加とすべてのドイツ人に対する敵愾心が観察される。

 個々のドイツ人が嫌がらせを受け、ボイコットされ、そして脅かされ、ドイツ友好的なチェコ人にはテロルが加えられている。
ボルシェヴィズムに対するドイツの戦いのヨーロッパ的重要性はほとんど理解されていない。
……

 もっと重要なことは、上述のようなドイツ敵対的な態度の硬化が、ますますチェコ人労働者階級にも広がっていることである。
その決定的原因は明らかに保護領における
食糧事情のさらなる悪化である。これは、とくに異常なジャガイモ不足の結果が、
パンや小麦粉の乏しさと質の低下と同時に起きている結果であり、さらには従来の脂肪・肉の配給の引き下げまたは
配給不可能
がところによってはすでに破滅的な形態をとっていることによる。

 その直接的結果としてプロテクトラートの沢山の工業・農業経営で労働嫌悪が増加し、部分的には取るにたりないとは言えないほど
の業績悪化が記録されている。8月10日以降、12件の一次的なストライキが、戦争重要経営でも起きている。それが全体的に食糧事情
の悪さが原因だとされている。
 

 労働者層の中で敵のラジオ放送から不断に提供されるサボタージュのやり方を実行する用意が高まっている。
最近4週間のうちに、沢山のサボタージュ事件も記録された。その中でも、電話線の切断や列車のブレーキホースの切断、
機械の破損、放火(例えば10万リットルのガソリン)、転轍機誤作動による貨物列車衝突を意図的に引き起こすことが起きていた。
7月10日の報告で求めていたプロテクトラートの食糧事情のドイツとの調整がなければ、こうした悪化のさらなる先鋭化が
すぐさま具体化するであろう。

 この食糧事情のますます大きくなる諸困難の政治情勢の発展への「影響は、異常に深刻である。プラハの軍需査閲も当地の
ドイツ企業家も、党の諸機関と同様に、プロテクトラートの食糧事情が持ちこたえられないことを以前より強調している。