1989年革命(ベルリンの壁崩壊)
ライプツィヒ
まさに、1989年革命の「発火点」、ニコライ教会の壁にも、
その革命を記念する張り紙が掲げられていた。
1989年10月9日-平和革命の核心となる日付
ニコライ教会
2009-平和革命20周年
平和の祈り・講演・パネルディスカッション
www.kirche-leipzig..de: 「2009 平和革命20周年」
想起
感謝
問い
棕櫚を柱頭に。
ニコライ教会
みんなにオープン
ニコライ教会内部:棕櫚をあしらった珍しい柱
-----------ワイマール--------------
また、1919年の革命・ワイマール体制の成立とその文化状況を記念する精神的態度は、
1989年の平和的革命(ベルリンの壁の崩壊、東西ドイツの平和的民主主義的統一、東ドイツの民主的解体)も、記念し、祝う精神であった。
それは、フランツ・リスト音楽大学の前の広場の記念版(広場に埋め込まれた石版)にも示されていた。
デモへの参加を呼びかけ、輪を広げた中心的スローガン:
”われわれが人民だ”
この場所で、1989年10月24日、
ワイマールで火曜日デモが始まった。
”今こそ、民主主義だ。さもなければ決して”
こうしてみると、2009年は、「1989年革命」の20周年記念にもあたるわけだ。
上の銘板のある広場↓
フランツ・リスト大学
Franz Liszt
Hochschule
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1919年・ワイマール憲法・ワイマール共和国
2009年は、その90周年記念の年
さて、まさに、ワイマール共和国は、その理念からすれば、また、その誕生を支えた人々の希望からすれば、「いくつものチャンス」の到来であった。
しかし、当時の世界では、帝国主義の弱肉強食の原理が、なお跋扈していた。日本も、朝鮮半島を植民地化し、帝国主義の道を突き進んでいた。
世界恐慌とともに、帝国主義統治(先進列強の植民地支配・勢力圏の厳然たる事実)の現実が、「持たざる国」の植民地・勢力圏の再分割要求、それを求める戦争勢力を強大化させることになった。
まさにその筆頭がヒトラー、ナチス。
しかし、日本はヒトラー台頭以前から、台湾・朝鮮半島の植民地支配を継続。ヒトラー政権誕生よりも前に、中国東北部・満州への支配拡大を画策、満州国建設。日本帝国主義が、ヒトラーの膨張政策にひとつの正当化根拠を与える。
「持たざる国」、「プロレタリア国家」ドイツ・イタリア・日本!
「持てる国」、「ブルジョア国家」イギリス・フランス・アメリカ・オランダ・ベルギー・・・
「持たざる国」による帝国主義・植民地主義の平等の要求。
大国の平等(大国による弱小国支配・植民地化の正当化)
ワイマール憲法の下での自由な社会の雰囲気。
権威主義・帝政は11月革命によって打ち砕かれた。
その状況下での新しい芸術文化運動の展開を象徴するバウハウスも、その憲法とおなじ1919年に生まれた。
ということで、バウハウス誕生90周年記念も、祝われていた。
バウハウス運動も、ナチスによって弾圧された。
バウハウスを担った人々はアメリカに亡命して、世界的な建築運動を構築していった。
ワイマールのバウハウスも、当然とはいえ、90周年の大規模な記念行事の一端を担っていた。
この点も現地に行くまで調査不足で、予期しなかったことである。
バウハウス記念館にいってはじめてしったことだが、現在は、「1919年から数年間の発足時の資料・作品はすべてベルリンに行っている」と。
ベルリンのバウハウス博物館(記念館)にも行ってみたが、そこも「空っぽ」。
マルティン・グローピウス博物館で、90周年を記念して大規模なヴァルター・グローピウス記念展が開催され、そこにすべて貸し出している、と。
10月までの展示が終わると、アメリカにすべてその展示は移動すると。
改めて、1919年の意味を考えることになった。
下記の展示物からすると、
来年、アメリカから展示物がワイマールに帰ってくれば、新しい建物に収められるようである。
(新美術館前)
(バウハウス博物館前)
ワイマール憲法制定90周年を記念して、市の建物などでその行事・記念展示などが開催されていた。
ナチス・第三帝国の戦争政策・ホロコーストの実証研究に神経を集中していて、ワイマール市が当時の世界でもっとも民主主義的な共和国憲法の制定90周年を市を挙げて祝っていることを知らなかった。ワイマール市と市民が90周年を記念する行事を行うことは、考えてみれば当然のことではあるが、それは現地に行くまで予期していなかった。
市立博物館(Stadtmuseum)
市立博物館に掲げられた横断幕
記念展示横断幕: ワイマール1919-共和国のチャンス
ワイマール憲法が採択された
国民劇場Nationaltheater
国民劇場前のゲーテとシラーの二人が並ぶ銅像が、どの旅行ガイドブックにも出ている。
たとえば、少し古いが、『地球の歩き方-ドイツ-』’06-’07、334ページには、
でも今回、彼らの背後に、何か怪しげな人物が一人くわわっている。
何かの亡霊?背後霊? オカルト信者ならすぐそう思うであろう。
旅行者も奇妙に思っているらしく、近づいていって、ぽんぽんと叩いてみる。「ぼこぼこ」と音がする。
背後の奇妙な像は、銅像ではなく、プラスチック製のもの。
フランツ・リストの像(これは、フランツ・リスト音楽大学前の騎乗のフランツ・リスト像と瓜二つ。
なので、そこからコピーしたものであろうと推測している。事実関係を調査したわけではないが・・・)