日本経済評論社『評論』No.121 (200010)pp.1-3.

 

ドイツにおける「普通の人びと」の戦争犯罪論争                       

永岑三千輝

 

 ベルリン大学法学部教授ベルンハルト・シュリンク著『朗読者』(原書、九七年)はこの数年で早くも一三の言語に訳され世界的ベストセラーになっている。日本語もつい最近出版され評判になっている。強制収容所看視人になったルーマニア・ドイツ人女性ハンナの戦争犯罪と戦後の裁きが中心テーマである。彼女は文盲であった。それを隠し、収容所看視人となった。ガス室送りになる運命のユダヤ人囚人に労役の代わりに本を朗読させた。戦後は偶然知り合った主人公に本を朗読してもらうことになる。

彼女は戦後十数年たって法廷に引き出された。戦争末期のユダヤ人の「死の行進」当時、連行中のユダヤ人を宿泊させた教会が連合軍の空爆で焼け落ちた。そのとき看視人たちは何の救助措置もとらなかった。そのことが露見し、罪に問われたのである。ハンナは文盲がばれないように腐心し、その結果、裁判では重い罪を認めた。

 だが彼女はナチスの理念に凝り固まった熱狂的な反ユダヤ主義者ではなかった。東欧のドイツ系入植者の末裔の「普通の人びと」の一人にすぎなかった。その普通の人がユダヤ人迫害・抹殺機構の末端を担うはめになった。ヨーロッパ全体を巻き込む総力戦のなかで巨大な戦争機構の末端に組み込まれた。非人間的迫害に荷担し、加害者になっていった。普通の人びとさえその置かれた状況と場の論理によって巨大な歴史的犯罪の主体的担い手になっていくこの厳然たる事実は、加害者と被害者、黒と白の単純な二分法的歴史理解に深刻な反省を迫る。「普通の人」が負うべき現在の社会と世界にたいするわれわれ一人一人の個人的主体的責任を問い掛ける。

 同じ問題は被害者、「普通のユダヤ人」の側にもある。最近翻訳されたプリーモ・レーヴィの『溺れるものと救われるもの』もその中心テーマは白と黒の中間、すなわち「灰色の領域」の人びとについてである。彼によれば強制収容所という小宇宙は全体主義社会の大宇宙を再現していた。全体主義国家の階級構造がスケールは小さいながらも特徴が増幅されて再生産されていた。奴隷としてのユダヤ人が同じ平板な状況に置かれていたのではない。囚人=職員の雑種階級が収容所内部で特権の骨組みを作っていた。奴隷の中に幾重もの主人=奴隷関係が複雑に形成されていた。さほど権力志向の強くない人間も極限状態の収容所ではたす役割がもたらす物質的利益にひきつけられた。ひとかけらのパン、一カ月、半年長生きする可能性に吸い寄せられて、権力の末端の地位を渇望した。極限状況における生命の論理は強烈である。彼らは自分が得た権力に毒され、ナチとの共犯関係にまみれていった。抑圧されたものの多くが権力を求め、抑圧者に感化され、無意識のうちに抑圧者と自分を同一視するようになった。

 こうした深みと陰影のある重い洞察に比べるとき、九六年四月に出版されたゴールドハーゲンの『ヒトラーの自発的死刑執行人―普通のドイツ人とホロコースト―』は、あまりに単純である。彼によれば、ルタートゥム以来四〇〇年にわたって蓄積されてきたドイツに特有な排除的絶滅的な反ユダヤ主義なるものでホロコーストが説明できるというのである。第二次世界大戦とホロコーストの歴史が風化する時流に抗し、最近のドイツでふたたび激しくなったネオナチやスキンヘッドによる外国人排斥を見るとき、普通のドイツ人の責任を問い直す問題意識は大切である。しかし、彼の問題の解き方は一面的であり、民族主義的ですらある。ドイツ語は同年八月下旬に出た。九六年は欧米の歴史学界とマスコミを巻き込むゴールドハーゲン論争の年となった(大石紀一郎「ゴールドハーゲン論争と現代ドイツの政治文化」『ドイツ研究』二四、一九九七)。シュリンクの『朗読者』は表立ってゴールドハーゲンを批判するものではない。文学作品だから当然であろう。しかし、まさに内容的には静かに、しかし強靭にゴールドハーゲンの一面的民族主義的歴史理解を批判するものとなっている。

 それでは、ドイツの「普通の人びと」はホロコーストにどのように、どの程度、関与していたのか。そもそもユダヤ人大量虐殺はいつから始まり、どこでどのように行われたのか。そのとき普通のドイツ人はどうしていたか。これこそ歴史事実に即して解明されなければならない点である。ゴールドハーゲン以前にこれに関する歴史研究がまったくなかったかといえば、そのようなことはない。彼が依拠した主要史料はポーランドでユダヤ人射殺を行った警察予備部隊の隊員にたいする戦後裁判の尋問調書である。彼の主要史料に限っても彼に先立ってブラウニングが利用し、歴史学界から高く評価される貴重な貢献をしていた(『普通の人びとホロコストと第101警察予備大隊』谷喬夫訳, 筑摩書房, 一九九七)

 ドイツの若手歴史研究者たちもすでにホロコーストに関して実証研究を積み重ねていた。ゲッツ・アリ『最終解決―民族移動とヨーロッパのユダヤ人迫害』(原書一九九五、山本尤・三島憲一訳、法政大学出版局、一九九八)もその代表的なものだった。ゴールドハーゲン論争に触発されたかのように、あるいはそれによって拍車をかけられて、続々と歴史研究の本道を歩む研究が公刊されはじめた。このような研究の前提はソ連東欧の崩壊であった。史料的にもホロコーストを把握する方法的態度でも飛躍的な解放過程が進みつつある。

 とりわけここ数年、ドイツ占領下のソ連東欧地域の実証研究には目を見張るものがある。クリスチャン・ゲルラッハは白ロシアにおけるユダヤ人大量虐殺過程の実証研究を行い、ヒムラー業務日誌の発掘と解釈によってヒトラーの大々的なユダヤ人絶滅命令がナチ党最高幹部に対し四一年一二月一二日の会議で発せられたという新説を出した。ドイツのソ連やポーランド地域における占領政策の実態の解明こそ、過酷なユダヤ人大量抹殺の背後にある事実関係を明らかにする。歴史研究は占領政策の実証の蓄積を踏まえて普通の人びとの関わり方をより精密に位置付ける段階に入っている。(永岑三千輝)

近刊の拙著『独ソ戦とホロコースト』(日本経済評論社、20011)も秘密警察資料を中心素材にして独ソ戦の展開とホロコーストの連関をえぐりだそうとするものである。