3回「市大あり方懇」傍聴記

−池田理事・橋爪座長の議事引回しを許さず、民主的・公正な運営と討論を求める−

 

 

                           平 智之(商学部)

 

 

はじめに

 さる1125()の午後2時から5時まで、東京・日比谷公園に隣接する市政会館において、第3回の「市立大学の今後のあり方懇談会」(以下、「あり方懇」と称す)が開催された。これに先立つ1024日開催の第2回懇談会は、市大側の意見を徴するということで八景キャンパスで開催されたが、その際の運営方法と公式の議事録に関して、傍聴した教員側から少なからず疑問も表明された。

 かかる事情で、第3回「あり方懇」は平日に東京で開催されることもあって、教員組合から単なる傍聴者ではなく、文字通りオブザーバー的な「監視役」の派遣が求められ、私がその役を買って出たわけである。

 以下、その概要をあくまで私の文責で「傍聴記」として公表するが、これは客観的な記録ではもとよりなく、副題にもあるように批判的な記事であることをあらかじめお断りしておく。ただし、私は、3時間にわたる議事内容を収めた録音テープを採録しており、同時にコンピュータを持参してA46ページに及ぶ詳細な議事メモを作成した。これらに基づき、発言内容の信憑性には絶対の自信があるので、それを疑う向き、あるいは詳細を知りたい方には、後者のメモを喜んで提供したい。その場合は、私のメール・アドレス(tairatom@yokohama-cu.ac.jp)宛てに請求されたい。

 ちなみに、123日付で、市大ホームページには事務局により今回の「公式議事録」が掲載された。これに関しては多岐にわたる発言内容自体には疑問は少ないが、多分に恣意的な取捨選択がなされたような印象を受けるので、本「傍聴記」と併せて、組合員諸氏にはご参照いただきたい。

 

1 大学事務局による「議事運営」と「議題提供」の問題性

 当日は、3回目にして全7委員が初めて勢揃いした懇談会となったが、私が会場に入ったときにまず驚いたのは、高井禄郎事務局長、池田輝政理事(総務部長)、佐野修一総務課企画担当課長が、委員と同じ円卓を同列で囲んで席を占めたことである。そもそも、今般の「あり方懇」のために制定された「設置要綱」によれば、これは「市長の附属機関」であり、市長招集の初回以外は座長に選出された橋爪大三郎氏(東京工業大学教授)が招集する独立的な懇談会であり、市大事務局はその「庶務」を処理するのみであるはずである。したがって、事務局は全員がいわゆる「陪席」をするのが常識であり、局長はじめ上記3職員が委員と同列に座すること自体が、私にはきわめて疑問に感じられた。そればかりか、議事運営に即しても、とりわけ池田理事は完全に委員と同列の資格で報告や発言を繰り返していたが、これが「設置要綱」に完全に違反する彼特有の「越権行為」そのものであることは、おもむろに記すとおりである。

  ともあれ、会議の冒頭は、佐野課長より、前回に委員から要求された客観的なデータ中心の資料の説明が15分ほどあった。これに対して、各委員より比較的単純な質問がなされ、特に教員の発明や特許の、現在と将来の取扱いに議論が集中したが、本筋の議論からはやや外れるので、ここでは割愛することにしたい。

 続いて、池田理事が「横浜市立大学の存在意義の検討」というレジュメ(『教員組合ニュース』には添付)に基づいて、小一時間のレクチャーを行なった。これは、前述の市大事務局のオーバー・プレゼンスを議事内容からも象徴する、「越権行為」そのものの独断的、一方的な委員に対する報告であった。その特徴は、この間の非常勤講師・研究費・出張旅費などの予算面の制度改悪や介入、および小川恵一学長を使嗾して自らも手続きを妨害している定年退職教員の後任人事の「凍結」などの、一連の彼主導の所業から容易に推測可能で、さらに将来構想委員会で自ら開陳したと伝えられる「構想」を体系化したものであった。百歩譲って、池田理事が事務局として本懇談会で報告できるのは、同委員会などの大学正式機関でオーソライズされた到達点を「代弁」することにとどまるはずである。

 ところが、彼は以下のような自己の「構想」をいかにも横浜市大の総意であるかのごとく委員に対して語ったのである。その論旨はきわめて「単純明快」である。すなわち、横浜市はこれ以上の市大への財政負担に耐えられないので、各学部を縮小して重点化、選別化し、「地域貢献」と「実学化」の両目標に集中的に再編するとともに、教育公務員特例法の「廃止」を望みつつ「骨抜き」化を図り、教授会から教員の人事権とその他の決定事項の権限を奪って教員の身分には任期制と契約制を導入し、研究費も外部調達を求めつつ重点的、競争的に配分して、それで研究に支障が出ても基本的には上記目標に即した教育だけを市大はやってくれればよい、と明言するものであった。そして、国立と私立の一流大学と競争することはとうてい無理だから、横浜市には「ナンバー・ワン」の大学など要らないので「オンリー・ワン」の大学になってくれさえすればそれで結構、というものだった(池田理事自身がこの言葉は誰かの引用だと断っていたが、私の知る限り「液晶」で世界をリードする某電機メーカーの現社長のモットーの借用であろうか?)。

  続いて彼は、各部局の具体的な将来構想に言及した。すなわち、商学部は「経営学部」に衣替えし、横浜市の「ベンチャー企業立市」に貢献する実学教育に専念する、国際文化学部は国際的な教養教育のほかに市民のNPO活動を担う人材を養成する、理学部は政策的科学の分野に重点化し工学分野の新設により市内工業界と連携する、医学部は講座制を改革させ、医師の養成と再教育(リカレント)の機関に徹し研究は副次的にして、病院は医学部から分離する、そのほか、大学院は選別化する、研究所も学部再編に合わせる、などが滔々と語られた。

  私には「荒唐無稽」としか思えないこの「構想」を聞いて初めて、私はさる1016日の評議会で池田理事が「将来構想委員会は無為な答申を繰り返すばかりで実効性がない」という趣旨の「捨てゼリフ」を吐いて部下を引き連れて退席したと伝えられる、例の事件に込められた彼の「真意」に得心が行った。つまり、かかるプランこそを池田理事としては答申してほしかったのであり、彼は「あり方懇」の場で自己の「私案」を披瀝する絶好の機会を得たのである。

 

2 橋爪座長の「反動性」と他の委員の「良識性」

 以上のような「池田構想」に対する、委員諸氏の反応は果たして好意的なものであっただろうか?私の結論を先取りすれば、それに迎合し推進する発言と議事運営を行なった橋爪座長一人がむしろ浮き上がり、他の6委員は全体的には独自の見識と立場から、批判的な発言の方が多かったと思う。以下、各委員の発言に即して、その反応をまとめておこう。

 まず、最も積極的で歯切れのいい発言で議論をリードしていたのは、森谷伊三男委員(公認会計士)であった。彼は前回は、職業柄、大学にも私企業的な効率性が要求されるという自説を強調していたと聞いていたが、今回もそれは随所に言及しつつも、横浜市に貢献するためだけの大学に市大を位置づけるなら国際的な人材が輩出できなくなるので、市民の財政負担の問題との兼合いで困惑している、とかなり自説を修正したように思われた。その後の発言でも、千葉県が設置した上総アカデミア・パークの例を挙げ、そこでDNA研究所が開設されているが、それは県当局が世界のためにやると県議会でも提案し可決されたものだとして、横浜市民に貢献するだけが市大の意義ではない、と「池田構想」に批判的な注目すべき意見を述べた。これに対して、池田理事は、全国から学生が集まる「情報発信基地」の役割だけに、横浜市が市大に百数十億円の財政支出をするのはいかがなものかと、対照的な反論を試みていた。

 この点に関しては、今回初めて出席して議論に参加した塩谷安男委員(弁護士)は、洗足学園大学の副学長を務めたと自己紹介し、私学経営者の経験に基づくプラグマティックな経営合理性から「池田構想」に疑問を投げかけ、大学は「お客」の学生が全国から来なければ経営は成り立たないのだから、そのコストや努力を惜しんで、メニューを豊富にしなければ「お客」はみんな逃げてしまう、と分かりやすい例え話で警鐘を鳴らしていた。

  また、教育学者の立場から冷静な意見を述べていたのが、田中義郎委員(玉川大学教授)で、大学人としての良識が感じられた。特に、池田理事が、横浜市の教員養成や現職教員のリカレント教育を市大では今後実施すべきだと言及したことに対し、現在の教員養成事情や教育学部の統合政策の現実から遊離した意見だと専門的に説明しつつ批判していた。また、市大の横浜市への間接的な貢献、すなわち良い研究と良い学生を輩出することにも留意すべきで、その存在意義を財政上の効率だけに求めることには疑問を呈していた。

 この横浜市財政の視点から批判的な発言をしたのは、有馬真喜子委員(財団法人・横浜女性協会顧問)であった。すなわち、市の外郭団体の同協会の立場から、市当局による補助金削減や「本一冊さえ」の監査ぶりに、われわれ市大教員と同様に不満を表明しつつ、「こんな過激な構想が実現可能なのか?」とはっきり疑問を口にしていた。また、女性ニュース・キャスターの草分けとしての国際的かつ先見的な見識に基づき、特色ある大学づくりのためのいろいろなアイディアや内外大学の事例を積極的に提示していた点で、私はかなりの説得性と共感を覚えた。

 他の委員では、余り明確な意見は述べなかったが、川渕孝一委員(東京医科歯科大学教授)は、専門の医学部・病院の経営問題および理科系全般の発明・特許や産学協同に集中的な関心と問題提起を行なっていた。また、古沢由紀子委員(読売新聞記者)は、特派員時代にアメリカの教育制度に関心を抱いたらしく、市大の「コミュニティ・カレッジ」化に賛意を示したが、市大の目標重点化の意味で同様意見を述べた森谷委員の前述の立場から見ても、横浜市や市民にのみ貢献するという矮小的な意味ではないように感じた。さらに、古沢委員も、横浜国大などの教育学部の統合問題とのからみで、田中委員と同じく市大での教員養成には批判的であった。これに関連して、医学部を中心にした横浜国大との統合の話題も若干出たことを付言しておこう。

 これらの各委員の発言に対して、池田理事はこの間、教員側から批判されているように大学行政の「シロウト」なので、しきりに謙遜というより自信のなさを「言い訳」していたことが印象に残った。それ以上に問題だったのは、池田理事が突っ込まれると答えられないのを察して、もっぱら話を引き取っていたのは橋爪座長だったことである。その発言は座長としての司会や運営というよりも、きわめて反動的な内容を含み、「よそ様の大学」のことに同じ教育公務員としての配慮や「仁義」のかけらもなく、あたかも「在野の評論家」のごとく、言いたい放題のことを発言していたのが最大の特徴であった。

 すなわち、横浜市大は医学部以外は地域にも市民納税者に何も貢献していないと断言し、医学部だって神奈川県内では競争がない弊害がある、市民に税金をこれ以上市大に注ぎ込まず、その「存在意義」を納得してもらうためには、筆記試験を全廃して推薦やAO入試だけで市民の子弟を重点的に入学させる、教授会の人事権などの権限を「新機関」に集中する、など全国的に先駆けた「ユニークな大学」にする必要があると強調していた。この点で、橋爪座長は本務校の東京工業大学大学院に「価値システム専攻」(VALDES)という新学科を創設して悦に入っているらしいが、これが他大学の教員から「理工系大学にはこんな『文科系くずれ』は存在意義がない」と公式の場で発言されたら、どんな感情を抱き反応をされるのだろうか?「文部科学教官」としての自己の公的立場をわきまえ、上記の非常識きわまる発言に猛省を促したい。

 最後に、橋爪氏の座長としての今回の議論の「まとめ」は、こういう「改革」を行なって横浜市の「オンリー・ワン」の大学になれば、財政負担を市民は納得するだろうということだったが、経済学者の私から見ても、こんな露骨な経済効率至上主義の主張をする経済学者は、その代表格だった例の竹中平蔵大臣だってもはや口に出せず、さすがに現在の日本ではその例を見ないのである。教育も福祉もその他のセーフティ・ネットも要らない「弱肉強食の市場メカニズム」しか、それを批判すべき社会学者の念頭にないというのは大変に奇妙なことに思えたのが、私の率直な感想であった。

 

おわりに

 今回は議論が白熱し、市大ホームページに掲載された「公式議事録」の傾向と同じく、私の「傍聴記」もかなりの長文となってしまった。それで、最後に簡単に私見をまとめれば、この「あり方懇」で池田理事や橋爪座長の「理念」にかなった「全国的に最もユニークな大学改革像」が打ち出されたとしても、そのままの形での実現はまず不可能である。というのは、橋爪座長も言及した、一足先に昨秋に東京都教育庁の役人主導で、都立4大学の頭越しにその統合構想と並んで公表された「公立大学法人」構想は、私の長年の経験からの予想通り、文部科学省によって事実上却下され、国立大学の法人化に準じた法律と手続きに則って、「新都立大学」も法人化される方向が今年前半には確定したのである。実際、公立大学協会は、昨年11月に公立大学の法人化のための法律の整備を決議しており、今後は国立大学の状況に準拠した当該法律が制定されることは確実である。

 この点で、池田理事や橋爪座長が希望する教育公務員特例法の取扱いや教授会の人事権等の権限、および教員の身分問題などは、横浜市当局がこの懇談会を利用して勝手に独自で決められる問題ではもとよりありえない。近い将来に制定される、法的枠組みの中で全国一律に適用される事項であることはいうまでもない。しかし、個別大学で決定できる事項も少なくないので、これらはすでに示唆したように市大内部の将来構想委員会や各教授会および評議会の議を経て、民主的かつ自主的に決定されるべきものである。この際、もちろん「あり方懇」の議論や答申も参考にされるべきだが、少なくとも橋爪座長以外の6人の委員諸氏の発言は私が傍聴した限り、傾聴に値する建設的で見識ある意見が多々あったと思う。ぜひとも、そのような方向で答申も出されるよう、教員組合として今後とも運動を強化することを提言して、筆を擱きたい。