『資本論』第1巻、第1篇、第1章、第2節 商品に表わされる労働の二重性
商品は、その商品の自然形態・使用価値をもつと同時に、価格をもっている。
価格は、商品の価値を表現する形態である。
商品の価値は、抽象的人間労働である。
商品は有用性、効用をもっているだけではなく、自分の価値を表現するもの、現在では貨幣表現(価格)をもっている。
商品は一定の価格で売られなければならない。
商品は他の商品との交換関係・市場関係を前提とした生産物である。
商品として交換される以上、効用物体であると同時に、自分の価値を価格で表現しなければならない。
その価格の基礎になるものはなにか、これが問題となる。
商品の使用価値(効用)と価値の二重性に対応して、その商品を生産する労働の二重性・二面的性格がある。
マルクスは、この商品に含まれた労働の二面的性格の分析解明こそ、経済学の飛躍点だといっている。本当にそうかどうか。諸君はどう考えるか?
また、この商品に表わされる労働の二面的性格(具体的有用労働と抽象的労働)の解明こそは、自分が「はじめて」明らかに指摘したことだと主張している。「はじめて」という文章の注記には、マルクスの『経済学批判』を挙げている。
マルクス自身が、このように自分の発見(批判的に指摘した)として強調している点をきちんと踏まえないかぎり、マルクスの理解はできないだろう。
マルクスの学説(労働価値学説、剰余価値学説)の基本中の基本となる点である。
わたしのみるところでは、この決定的に重要な点をじっくり考え、理解している人は多くない。
以下、マルクスの分析と説明を見ていくことにしよう。
『資本論』第1巻第1章第二節 商品に表わされる労働の二重性
2.
Doppelcharakter der in den Waren dargestellten Arbeit
「最初から商品はわれわれにたいして二面的なものとして、使用価値および交換価値として、現れた。つぎには、労働も.それが価値に表わされるかぎりでは、もはや、使用価値の生みの母としてのそれに属するような特徴をもってはいないということが示された。このような、商品に含まれている労働の二面的な性質は、私がはじめて批判的に指摘したものである。この点は、経済学の理解にとって決定的な跳躍点であるから、ここでもっと詳しく説明しておかなければならない。
Ursprünglich erschien uns
die Ware als ein Zwieschlächtiges, Gebrauchswert und Tauschwert. Später zeigte
sich, daß auch die Arbeit, soweit sie im Wert ausgedrückt ist, nicht mehr
dieselben Merkmale besitzt, die ihr als Erzeugerin von Gebrauchswerten
zukommen. Diese zwieschlächtige Natur der in der Ware enthaltenen Arbeit ist zuerst von mir kritisch nachgewiesen worden.
Da dieser Punkt der Springpunkt ist, um den sich das Verständnis der
politischen Ökonomie dreht, soll er hier näher beleuchtet werden.
「二つの商品、たとえば1着の上着と20エレのリンネルをとってみよう。前者は後者の2倍の価値をもっており、したがって、10エレのリンネル=Wならば、1着の上着=2W であるとしよう。
Nehmen wir zwei Waren, etwa
einen Rock und 10 Ellen Leinwand. Der erstere habe den zweifachen Wert der
letzteren, so daß, wenn 10 Ellen Leinwand = W, der Rock = 2 W.
「上着は、ある特殊な欲望を満足させる使用価値である。それを生産するためには、一定種類の生産的活動が必要である。この活動は、その目的、作業様式、対象、手段、結果によって規定されている。このようにその有用性がその生産物の使用価値に、またはその生産物が使用価値であるということに、表わされる労働を、われわれは簡単に有用労働と呼ぶ。この観点のもとでは、労働はつねにその有用効果に関連して考察される。
Der Rock ist ein Gebrauchswert, der ein besonderes Bedürfnis befriedigt.
Um ihn hervorzubringen, bedarf es einer bestimmten
Art produktiver Tätigkeit. Sie ist bestimmt durch ihren Zweck,
Operationsweise, Gegenstand, Mittel und Resultat. Die Arbeit, deren
Nützlichkeit sich so im Gebrauchswert ihres Produkts oder darin darstellt, daß
ihr Produkt ein Gebrauchswert ist, nennen wir kurzweg nützliche Arbeit. Unter diesem Gesichtspunkt
wird sie stets betrachtet mit Bezug auf ihren Nutzeffekt.
「上着とリンネルとが質的に違った使用価値であるように、それらの存在を媒介する労働も質的に違ったもの―裁縫と織布である。もし、これらの物が質的に違った使用価値でなく、したがって質的に違った有用労働の生産物でないならば、それらはおよそ商品として相対することはありえないであろう。上着は上着と交換されないのであり、同じ使用価値が同じ使用価値と交換されることはないのである。
Wie Rock und Leinwand qualitativ verschiedne Gebrauchswerte, so sind
die ihr Dasein vermittelnden Arbeiten qualitativ verschieden - Schneiderei und
Weberei. Wären jene Dinge nicht qualitativ
verschiedne Gebrauchswerte und daher Produkte qualitativ verschiedner nützlicher Arbeiten,
so könnten sie sich überhaupt nicht als Waren gegenübertreten. Rock tauscht
sich nicht aus gegen Rock, derselbe Gebrauchswert nicht gegen denselben
Gebrauchswert.
「いろいろに違った使用価値または商品体の総体のうちには、同様に多種多様な、属や種や科や亜種や変種を異にする有用労働の総体―社会的分業が現れている。社会的分業は商品生産の存在条件である。といっても、商品生産が逆に社会的分業の存在条件であるのではない。
In der Gesamtheit der
verschiedenartigen Gebrauchswerte oder Warenkörper erscheint eine Gesamtheit
ebenso mannigfaltiger, nach Gattung, Art, Familie, Unterart, Varietät
verschiedner nützlicher Arbeiten - eine gesellschaftliche Teilung der Arbeit.
Sie ist Existenzbedingung der Warenproduktion, obgleich Warenproduktion nicht
umgekehrt die Existenzbedingung gesellschaftlicher Arbeitsteilung.
「古代インドの共同体では、労働は社会的に分割されているが、生産物が商品になるということはない。あるいはまた、もっと手近な例を取ってみれば、どの工場でも労働は体系的に分割されているが、この分割は、労働者たちが彼らの個別的生産物を交換することによって媒介されてはいない。
In der
altindischen Gemeinde ist die Arbeit gesellschaftlich geteilt, ohne daß die Produkte
zu Waren werden. Oder, ein näher liegendes Beispiel, in jeder Fabrik ist die
Arbeit systematisch geteilt, aber diese Teilung nicht dadurch vermittelt, daß
die Arbeiter ihre individuellen Produkte austauschen.
「ただ、独立に行われていて互いに依存し合っていない私的労働の生産物だけが、互いに商品として相対するのである。
Nur Produkte selbständiger und voneinander unabhängiger Privatarbeiten
treten einander als Waren gegenüber.
「こうして、どの商品の使用価値にも、一定の合目的的な生産活動または有用労働が含まれているということがわかった。いろいろな使用価値は、それらのうちに質的に違った有用労働が含まれていなければ、商品として相対することはできない。社会の生産物が一般的に商品という形態をとっている社会では、すなわち商品生産者の社会では、独立生産者の私事として営まれるいろいろな有用労働のこのような質的な相違が、一つの多肢的体制に、すなわち社会的分業に、発展するのである。
Man hat also gesehn: in dem
Gebrauchswert jeder Ware steckt eine bestimmte
zweckmäßig produktive Tätigkeit oder nützliche Arbeit. Gebrauchswerte können sich
nicht als Waren gegenübertreten, wenn nicht qualitativ
verschiedne nützliche Arbeiten in ihnen stecken. In einer
Gesellschaft, deren Produkte allgemein die Form der Ware annehmen, d.h. in
einer Gesellschaft von Warenproduzenten, entwickelt sich dieser qualitative Unterschied der nützlichen Arbeiten,
welche unabhängig voneinander als Privatgeschäfte selbständiger
Produzenten betrieben werden, zu einem vielgliedrigen System, zu einer gesellschaftlichen Teilung der Arbeit.
「ともあれ、上着にとっては、それを着る人が仕立て屋自身であろうと彼の顧客であろうと、どうでもかまわないのである。どちらの場合にも、上着は使用価値として働くのである。同様に、上着とそれを生産する労働との関係も、裁縫が特殊な職業になり社会的分業の独立な分枝になるということによっては、それ自体としては少しも変化してはいない。人間は、衣服を着ることの必要に強制されたところでは、だれかが仕立屋になるよりも何千年もまえから裁縫をやってきた。しかし、上着やリンネルなど、すべて天然には存在しない素材的富の要素の存在は、つねに、特殊な自然素材を特殊な人間欲望に適合させる特殊な合目的的生産活動によって媒介されなければならなかった。それゆえ、労働は、使用価値の形成者としては、有用労働としては、人間の、すべての社会形態から独立した存在条件であり、人間と自然との合いだの物質代謝を、したがって人間の生活を媒介するための、永遠の自然必然性である。
Dem Rock ist es übrigens
gleichgültig, ob er vom Schneider oder vom Kunden des Schneiders getragen wird.
In beiden Fällen wirkt er als Gebrauchswert. Ebensowenig ist das Verhältnis
zwischen dem Rock und der ihn produzierenden Arbeit an und für sich dadurch
verändert, daß die Schneiderei besondre Profession wird, selbständiges Glied
der gesellschaftlichen Teilung der Arbeit. Wo ihn das Kleidungsbedürfnis zwang,
hat der Mensch jahrtausendelang geschneidert, bevor
aus einem Menschen ein Schneider ward. Aber das Dasein von Rock,
Leinwand, jedem nicht von Natur vorhandnen Element des stofflichen Reichtums,
mußte immer vermittelt sein durch eine spezielle,
zweckmäßig produktive Tätigkeit, die
besondere Naturstoffe besondren
menschlichen Bed・fnissen assimiliert. Als Bildnerin von Gebrauchswerten, als nützliche Arbeit, ist die Arbeit daher eine von allen Gesellschaftsformen unabhängige
Existenzbedingung des Menschen, ewige Naturnotwendigkeit, um den Stoffwechsel
zwischen Mensch und Natur, also das menschliche Leben zu vermitteln.
「使用価値である上着やリンネルなど、簡単に言えばいろいろな商品体は、2つの要素の結合物、自然素材と労働との結合物である。上着やリンネルなどに含まれているいろいろな有用労働の総計を取り去ってしまえば、後にはつねにある物質的基体が残るが、それは人間の助力なしに天然に存在するものである。
Die Gebrauchswerte Rock,
Leinwand usw., kurz die Warenkörper, sind Verbindungen von zwei Elementen, Naturstoff und Arbeit.
Zieht man die Gesamtsumme aller verschiednen
nützlichen Arbeiten ab, die in Rock, Leinwand usw. stecken, so
bleibt stets ein materielles Substrat zurück, das ohne Zutun des Menschen von Natur vorhanden ist.
「人間は彼の生産において、ただ自然そのものがやるとおりにやることができるだけである。すなわち、ただ素材の形態を変えることができるだけである。それだけではない。この、形をつける労働そのものにおいても、人間はつねに自然力にささえられている。だから、労働は、それによって生産される使用価値の、素材的富の、ただ一つの源泉なのではない。ウィリアム・ペティの言うように、労働は素材的富の父であり、土地はその母である。
Der Mensch kann in seiner Produktion nur
verfahren, wie die Natur selbst, d.h. nur die Formen der Stoffe ändern. Noch
mehr. In dieser Arbeit der Formung selbst wird er beständig unterstützt von
Naturkräften. Arbeit ist also nicht die einzige Quelle der von ihr produzierten
Gebrauchswerte, des stofflichen Reichtums.
Die Arbeit ist sein Vater, wie William Petty
sagt, und die Erde seine Mutter.
「そこで今度は、使用対象であるかぎりでの商品から商品‐価値に移ることにしよう。
Gehn wir nun von der Ware,
soweit sie Gebrauchsgegenstand, über zum Waren-Wert.
「われわれの想定によれば、上着はリンネルの2倍の価値をもっている。しかし、それはただ量的な差異にすぎないもので、このような差異はさしあたりはまだわれわれの関心をひくものではない。
Nach unsrer Unterstellung
hat der Rock den doppelten Wert
der Leinwand. Dies ist aber nur ein quantitativer
Unterschied, der uns zunächst noch nicht interessiert.
「そこで、われわれは、1着の上着の価値が10エレのリンネルの価値の2倍であれば、20エレのリンネルは1着の上着と同じ価値をもっているということを思い出す。価値としては、上着とリンネルは、同じ実体をもった物であり、同種の労働の客体的表現である。ところが、裁縫と織布とは、質的に違った労働である。
Wir erinnern daher, daß, wenn der Wert eines
Rockes doppelt so groß als der von 10 Ellen Leinwand, 20 Ellen Leinwand dieselbe Wertgröße haben wie ein Rock. Als Werte sind Rock und Leinwand Dinge von gleicher Substanz, objektive Ausdrücke gleichartiger Arbeit.
Aber Schneiderei und Weberei sind qualitativ verschiedne Arbeiten.
「とはいえ、次ぎのような社会社会状態もある。そこでは同じ人間が裁縫をしたり織布をしたりしているので、この二つの違った労働様式は、ただ同じ個人の労働の諸変形でしかなく、まだ別々の諸個人の特殊な固定した諸機能にはなっていないのであって、それは、ちょうど、われれの仕立屋が今日つくる上着も彼が明日つくるズボンもただ同じ個人労働の諸変形を前提しているにすぎないようなものである。
Es gibt jedoch Gesellschaftszustände, worin
derselbe Mensch abwechselnd schneidert und webt, diese beiden verschiednen
Arbeitsweisen daher nur Modifikationen der Arbeit
desselben Individuums und noch nicht besondre feste Funktionen
verschiedner Individuen sind, ganz wie der Rock, den unser Schneider heute, und
die Hosen, die er morgen macht, nur Variationen derselben
individuellen Arbeit voraussetzen.
「さらに、一見してわかるように、われわれの資本主義社会では、労働需要の方向の変化に従って、人間労働の一定の部分が、あるときは裁縫の形態で、あるときは織布の形態で供給される。このような労働の形態転換は、摩擦なしにはすまないかもしれないが、とにかくそれは行われなければならない。生産活動の規定性、したがってまた労働の有用的性格を無視するとすれば、労働に残るものは、それが人間の労働の支出であるということである。裁縫と織布とは、質的に違った生産活動であるとはいえ、両方とも人間の脳や筋肉や神経や手などの生産的支出であり、この意味で両方とも人間労働である。それらは、ただ、人間の労働力を支出するための二つの違った形態でしかない。たしかに、人間の労働力そのものは、あの形態やこの形態で支出されるためには、多少とも発達していなければならない。しかし、商品の価値は、ただの人間労働を、人間労働一般の支出を、表わしている。
Der Augenschein lehrt ferner, daß in unsrer
kapitalistischen Gesellschaft, je nach der wechselnden Richtung der
Arbeitsnachfrage, eine gegebene Portion menschlicher Arbeit abwechselnd in der
Form von Schneiderei oder in der Form von Weberei zugeführt wird. Dieser
Formwechsel der Arbeit mag nicht ohne Friktion abgehn, aber er muß gehn. Sieht
man ab von der Bestimmtheit der produktiven Tätigkeit und daher vom nützlichen
Charakter der Arbeit, so bleibt das an ihr, daß sie eine Verausgabung
menschlicher Arbeitskraft ist. Schneiderei und Weberei, obgleich qualitativ
verschiedne produktive Tätigkeiten, sind beide
produktive Verausgabung von menschlichem Hirn, Muskel, Nerv, Hand usw.,
und in diesem Sinn beide menschliche Arbeit. Es sind nur zwei
verschiedne Formen, menschliche Arbeitskraft zu verausgaben.
Allerdings muß die menschliche Arbeitskraft selbst mehr oder minder entwickelt
sein, um in dieser oder jener Form verausgabt zu werden. Der Wert der Ware aber
stellt menschliche Arbeit schlechthin dar, Verausgabung menschlicher
Arbeit überhaupt.
「ところで、ブルジョア社会では将軍や銀行家は大きな役割を演じており、これに反してただの人間はひどくみすぼらしい役割を演じているのであるが、この場合の人間労働についても同じことである。それは、平均的にだれでも普通の人間が、特別の発達なしに、自分の肉体のうちにもっている単純な労働力の支出である。もちろん、単純な平均労働そのものも、国が違い文化段階が違えばその性格は違うのであるが、しかし、現に在る一つの社会では与えられている。
Wie nun in der bürgerlichen Gesellschaft ein
General oder Bankier eine große, der Mensch schlechthin dagegen
eine sehr schäbige Rolle spielt, so steht es auch hier mit der menschlichen
Arbeit. Sie ist Verausgabung einfacher Arbeitskraft, die im
Durchschnitt jeder gewöhnliche Mensch, ohne besondere Entwicklung, in seinem
leiblichen Organismus besitzt. Die
einfache Durchschnittsarbeit selbst wechselt zwar in
verschiednen Ländern und Kulturepochen ihren Charakter, ist aber in einer
vorhandnen Gesellschaft gegeben.
「より複雑な労働は、ただ単純な労働が数乗されたもの、またはむしろ数倍されたものとみなされるだけであり、したがって、より小さい量の複雑労働がより大きい量の単純労働に等しいということになる。このような換算がたえず行われているということは、経験の示すところである。ある商品がどんなに複雑な労働の生産物であっても、その価値は、その商品を単純労働の生産物に等値するのであり、したがって、それ自身ただ単純労働の一定量を表わしているにすぎないのである。
Kompliziertere Arbeit gilt nur als potenzierte
oder vielmehr multiplizierte einfache Arbeit, so daß ein kleineres Quantum
komplizierter Arbeit gleich einem größeren Quantum einfacher Arbeit. Daß diese Reduktion beständig vorgeht, zeigt die Erfahrung. Eine Ware mag das
Produkt der kompliziertesten Arbeit sein, ihr Wert setzt sie dem Produkt
einfacher Arbeit gleich und stellt daher selbst nur ein bestimmtes Quantum
einfacher Arbeit dar.
「いろいろな労働種類がその度量単位としての単純労働に換算されるいろいろな割合は、一つの社会的過程によって生産者の背後で確定され、したがって生産者たちにとっては慣習によって与えられたもののように思われる。簡単にするために、以下では各種の労働力を直接に単純労働力とみなすのであるが、それはただ換算の労を省くためにすぎない。
Die
verschiednen Proportionen, worin verschiedne Arbeitsarten auf einfache
Arbeit als ihre Maßeinheit reduziert sind, werden durch
einen gesellschaftlichen Proze゚ hinter dem R・ken der Produzenten
festgesetzt und scheinen ihnen daher durch das Herkommen gegeben. Der Vereinfachung halber gilt uns im
Folgenden jede Art Arbeitskraft unmittelbar für einfache Arbeitskraft, wodurch
nur die Mühe der Reduktion erspart wird.
「こういうわけで、価値としての上着やリンネルではそれらの使用価値の相違が捨象されているように、これらの価値に表わされている労働でもそれらの有用形態の相違、裁縫と織布との相違は捨象されているのである。
Wie also in den Werten Rock und Leinwand von dem Unterschied
ihrer Gebrauchswerte abstrahiert ist, so in den Arbeiten, die sich in diesen
Werten darstellen, von dem Unterschied ihrer nützlichen Formen, der Schneiderei
und Weberei.
「使用価値としての上着やリンネルは、目的を規定された生産活動と布や糸との結合物であり、これに反して価値としての上着やリンネルは単なる同種の労働凝固であるが、それと同じように、これらの価値に含まれている労働も、布や糸に対するその生産的作用によってではなく、ただ人間の労働力の支出としてのみ認められるのである。
Wie die Gebrauchswerte Rock und Leinwand Verbindungen zweckbestimmter,
produktiver T舩igkeiten mit Tuch und Garn sind, die Werte Rock und Leinwand dagegen blo゚e gleichartige Arbeitsgallerten, so gelten auch die in diesen Werten enthaltenen Arbeiten
nicht durch ihr produktives Verhalten zu Tuch und Garn, sondern nur als Verausgabungen menschlicher Arbeitskraft.
「裁縫や織布が使用価値としての上着やリンネルの形成要素であるのは、まさに裁縫や織布の互いに違った質によるものである。裁縫や織布が上着価値やリンネル価値の実体であるのは、ただ、裁縫や織布の特殊な質が捨象されて両者が同じ質を、人間労働という質をもっているかぎりでのことである。
Bildungselemente
der Gebrauchswerte Rock und Leinwand sind Schneiderei und Weberei eben durch
ihre verschiednen Qualitäten; Substanz des Rockwerts und Leinwandwerts sind sie nur, soweit von ihrer besondren
Qualität abstrahiert wird und beide gleiche Qualität besitzen, die
Qualität menschlicher Arbeit.
「しかし、上着やリンネルは価値一般であるだけではなく、特定の大きさの価値である。そして、われわれの想定によれば、1着の上着は10エレのリンネルの2倍の価値がある。それらの価値量のこのような相違は、どこから生ずるのか ? それは、リンネルは上着に比べて半分の労働しか含んでおらず、したがって上着の生産にはリンネルの生産に比べて2倍の時間だけ労働力が支出されなければならないということから生ずるのである。
Rock und Leinwand sind aber
nicht nur Werte überhaupt, sondern Werte von bestimmter Größe, und nach unsrer
Unterstellung ist der Rock doppelt soviel wert als 10 Ellen Leinwand. Woher
diese Verschiedenheit ihrer Wertgrößen? Daher, daß die Leinwand nur halb soviel
Arbeit enthält als der Rock, so daß zur Produktion des letzteren die
Arbeitskraft während doppelt soviel Zeit verausgabt werden muß als zur
Produktion der erstern.
「つまり、商品に含まれている労働は、使用価値との関連ではただ質的にのみ認められるとすれば、価値量との関連では、もはやそれ以外には質をもたない人間労働に還元されていて、ただ量的にのみ認められるのである。前のほうの場合には労働のどうしてとどんなが問題なのであり、後のほうの場合には労働のどれだけが、すなわちその継続時間が問題なのである。一商品の価値の大きさは、その商品に含まれている労働の量だけを表わしているのだから、諸商品は、ある一定の割合をなしていれば、つねに等しい大きさの価値でなければならないのである。
Wenn also mit Bezug auf den
Gebrauchswert die in der Ware enthaltene Arbeit nur
qualitativ gilt, gilt sie mit Bezug auf die Wertgröße nur quantitativ, nachdem sie bereits auf menschliche Arbeit ohne weitere Qualität reduziert ist. Dort
handelt es sich um das Wie und Was
der Arbeit, hier um ihr Wieviel,
ihre Zeitdauer. Da die Wertgröße
einer Ware nur das Quantum der in
ihr enthaltenen Arbeit darstellt, müssen Waren in gewisser Proportion stets gleich große Werte sein.
「たとえば1着の上着の生産に必要ないっさいの有用労働の生産力が変わらないとすれば、上着の価値量は上着自身の量が増すにつれて増大する。もし1着の上着がx労働日を表わしているとすれば、2着の上着は2x労働日を表わしているというようにである。
Bleibt die Produktivkraft,
sage aller zur Produktion eines Rocks erheischten nützlichen Arbeiten unverändert,
so steigt die Wertgröße der Röcke mit ihrer eignen Quantität. Wenn 1 Rock x,
stellen 2 Röcke 2 x Arbeitstage dar usw.
「ところで、1着の上着の生産に必要な労働が2倍に増すか、半分に減るかするとしてみよう。前のほうの場合には1着の上着が以前の2倍の上着と同量の価値を持ち、あとのほうの場合には2着の上着が以前の1着の上着と同量の価値しかもたない。といっても、どちらの場合にも上着は相変わらず同じ役立ち方をするのであり、上着に含まれている有用労働の質の良否は相変わらず同じなのであるが。しかし、上着の生産に支出された労働量は変化しているのである。
Nimm aber an, die
zur Produktion eines Rocks notwendige Arbeit steige auf das Doppelte oder falle
um die Hälfte. Im ersten Fall hat ein Rock soviel Wert als vorher zwei Röcke,
im letztern Fall haben zwei Röcke nur soviel Wert als vorher einer, obgleich in
beiden Fällen ein Rock nach wie vor dieselben Dienste leistet und die in ihm
enthaltene nützliche Arbeit nach wie vor von derselben Güte bleibt. Aber das in seiner Produktion verausgabte Arbeitsquantum hat sich verändert.
「より大きい量の使用価値は、それ自体として、より大きい素材的富をなしている。2着の上着は1着の上着よりも、そうである。2着の上着は二人に着せられるが、1着の上着は一人にしか着せられないというように。それにもかかわらず、素材的富の増大にその価値量の同時的低下が対応することがありうる。このような相反する運動は、労働の二面的性格から生じる
Ein größres Quantum
Gebrauchswert bildet an und für sich größren stofflichen Reichtum, zwei Röcke
mehr als einer. Mit zwei Röcken kann man zwei Menschen kleiden, mit einem Rock
nur einen Menschen usw. Dennoch kann der steigenden Masse des stofflichen
Reichtums ein gleichzeitiger Fall seiner Wertgröße entsprechen. Diese gegensätzliche
Bewegung entspringt aus dem zwieschlächtigen
Charakter der Arbeit.
永岑コメント: 普通、生産性増大の大局的傾向においては、まさにこの素材的富の増大とその価値量の同時的低下が原則となる。
「安い価格で同じ富が何倍も大量に」、「わずかの労働支出で何倍もの富」というのが、生産力上昇の場合の通常の形。ただ、普通の意識では、労働までたちかえることなく、低コストというところにしか目が行かない.「安いコストで大量のもの」というのが生産性上昇の普通の意識。そこでは、低コストの背景に、根底的に、その富の一定量の生産のための労働量の減少があることを見抜くことがない。
「生産力は、もちろん、つねに有用な具体的労働の生産力であって、じっさい、ただ与えられた時間内の合目的的生産活動の作用程度を規定するだけである。それゆえ、有用労働は、その生産力の上昇または低下に比例して、より豊富な、またはより貧弱な生産物源泉になるのである。
Produktivkraft ist natürlich stets Produktivkraft nützlicher,
konkreter Arbeit und bestimmt in der Tat nur den Wirkungsgrad zweckmäßiger
produktiver Tätigkeit in gegebnem Zeitraum. Die nützliche Arbeit
wird daher reichere oder dürftigere Produktenquelle im direkten Verhältnis zum Steigen oder Fallen
ihrer Produktivkraft.
「これに反して、生産力の変動は、価値に表わされている労働それ自体には少しも影響しない。
Dagegen trifft
ein Wechsel der Produktivkraft die im Wert dargestellte Arbeit an und für sich
gar nicht.
「生産力は労働の具体的な有用形態に属するのだから、労働の具体的な有用形態が捨象されてしまえば、もちろん生産力はもはや労働に影響することはできないのである。
Da die Produktivkraft der konkreten nützlichen Form der Arbeit angehört,
kann sie natürlich die Arbeit nicht mehr berühren, sobald von ihrer konkreten nützlichen
Form abstrahiert wird.
「それゆえ、同じ労働は同じ時間には、生産力がどんなに変動しようとも、つねに同じ価値量に結果するのである。
Dieselbe Arbeit ergibt daher in denselben Zeiträumen stets dieselbe Wertgröße, wie immer die
Produktivkraft wechsle.
「しかし、その労働は、同じ時間に違った量の使用価値を、すなわち生産力が上がればより多くの使用価値を、生産力が下がればより少ない使用価値を、与える。
Aber sie liefert
in demselben Zeitraum verschiedene Quanta Gebrauchswerte, mehr, wenn die
Produktivkraft steigt, weniger, wenn sie sinkt.
「それゆえ、労働の豊度を増大させ、したがって労働の与える使用価値の量を増大させるような生産力の変動は、それが使用価値総量の生産に必要な労働時間の総計を短縮する場合には、この増大した使用価値総量の価値量を減少させるのである。逆の場合も同様である。
Derselbe Wechsel
der Produktivkraft, der die Fruchtbarkeit der Arbeit und daher die Masse der
von ihr gelieferten Gebrauchswerte vermehrt, vermindert also die Wertgröße
dieser vermehrten Gesamtmasse, wenn er die Summe der zu ihrer Produktion
notwendigen Arbeitszeit abkürzt. Ebenso umgekehrt.
「すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間の労働力の支出であって、この同等な人間労働または抽象的人間労働という属性において、それは商品価値を形成するのである。
Alle Arbeit ist einerseits Verausgabung menschlicher Arbeitskraft im physiologischen
Sinn, und in dieser Eigenschaft gleicher
menschlicher oder abstrakt
menschlicher Arbeit bildet sie den Warenwert.
「すべての労働は、他面では、特殊な、目的を規定された形態での人間の労働力の支出であって、この具体的有用労働という属性において、それは使用価値を生産するのである。
Alle Arbeit ist
andrerseits Verausgabung menschlicher Arbeitskraft in besondrer zweckbestimmter Form, und in
dieser Eigenschaft konkreter nützlicher Arbeit produziert sie Gebrauchswerte.
[Marx: Das
Kapital, S. 73 ff. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 3387 (vgl. MEW
Bd. 23, S. 60 ff.)]
[Marx: Das
Kapital, S. 65 ff. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 3379 (vgl. MEW
Bd. 23, S. 56 ff.)]