玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在―』中央公論新社、2001年
タイトルは、「曖昧な不安」だが、現代日本資本主義の構造的な膨大な過剰労働力創出が、いろいろの角度から分析されている。
「曖昧な不安」の基礎に、明確な資本主義の経済法則の鉄の論理の貫徹が読み取れる。
「失業」と「非労働力」
同、21-22ページ・・・日本の失業者数(正確には完全失業者数という)は、2000年平均で320万人。
同、30ページ・・・「非労働力とは、15歳以上人口のうち、就業者でも完全失業者でもない人すべてを表わす言葉」
同、31ページ・・・総務省「労働力特別調査」によると、2001年2月時点で、非労働力は4162万人。15歳以上の人口全体は1億835万人。非労働力は、その38、4パーセント。
この多数の非労働力の中にも、就業を希望する人びとはいる。その数は982万人であり、日労働力の内、4人に一人弱が本当は働きたいと考えている。
しかも、就職希望者のうち、251万人は過去1年の間に実際、求職活動をしている。
かつて農村に大量の潜在的な失業予備軍が存在した。
現在の高度に工業化が進んだ日本社会においては、「非労働力」として一括される人びとの中に、訳1000万人近い就業希望者がいる。
同、32ページ・・・非労働力に占める就業希望者の比率(図1―2)によれば、
25―34歳の年齢層で、非労働力が349万人。そのうち過半数の191万人は就職希望。さらに47万人は過去1年間に就職活動。
この年齢層の「完全失業者」は、87万人であり、その半分以上の非労働力の人びとが、失業者とみなされない就職希望者。
同33ページ・・・非労働力のなかで、1980年代後半以降、25―34歳や35‐44歳の就業希望比率は、ほぼ五〇パーセントを超えている。さらによく見ると、90年代後半になって、在学中を除く15‐24歳を中心に、若い年齢層で、非労働力に占める就業希望割合は緩やかに高まる傾向がみられる。失業者以外にも、就業を希望する人々が若い年齢層には多数存在する。その割合は90年代後半の不況期以後、増えつつある。
職につくことを希望しながら、自分にあった仕事を見出せない人々。就職活動があまりに困難なことから、仕事を探すことをあきらめた人々。その結果、失業者としてはとらえられていない、非労働力とみなされる人々が、若者を中心に増えている。
同33ページ・・・「失業と非労働力の区分を超えて、仕事につけないのは、大学卒よりも、まちがいなく高校卒のほうが深刻なのである。
さらに、就職希望の非労働力者を男女別に見ると、女性が大勢を占めている。」
同36ページ・・・「失業率が最も高いのは、他の先進国と同様、何といっても若者である。十代男性の失業率は、1999年のOECD(経済協力開発機構)平均で17パーセントなのに対し、日本でも15パーセントにのぼる。」
同46ページ・・・「中高年ホワイトカラーの雇用悪化は本当なのだろうか? 前章で見たとおり、失業者のうち45‐54歳大学卒の人々は5万人に過ぎない。その数は310万人完全失業者の全体の2パーセントにも満たない。失業者増大の大部分は、実際のところ、若年と六〇歳以上に集中しており、報道されるほど中高年全体の雇用状況が深刻化しているわけではない」と。
しかし、六〇歳以上の老人は基本的に子育てを終わっている。
若年層はまだ家庭を持っていない。
これに対して、45‐54歳大学卒の人々は、通常は、家族をもち、何人かを扶養している。平均家族4人として、20万人程度の生活がかかっていると見なくていいだろうか? 「5万人」という数次だけを取り出すのは、中高年失業の悲惨さを過小評価することになりはしないか?