緊急シンポジウム「市大の将来を考える」

 

 2003(平成15)28(土曜日)、午後36

所 横浜市立大学 瀬戸キャンパス カメリアホール(参加者約160名)

 

発言録

 本発言録は主催者側の速記によりまとめたのものであり、脱漏、不正確な箇所、誤解は免れないと思

っている。その折はご寛恕願いたい。文責は挙げて主催者にある。シンポジウムの冒頭に本学教授松井

道昭氏による「今の市大の状況について」と題する報告があったが、これは別扱いにした。

この発言録に対してご意見があれば、下記アドレスにメールをお願いします。発言録に追加いたします。

松井<matsui@yokohama-cu.ac.jp>

一楽<ShIchiraku@aol.com>

矢吹<yabuki@ca2.so-net.ne.jp>

 

 

パネリスト三宅陸郎氏 昭和32年卒 数学専攻

 本日のシンポジウムには、正直いって出たくなかった。出れば、どちらから[註、大学側と市長筋の双方から]も責められるからだ。私が入学した頃は森泰吉郎学部長だった。当時も市財政赤字問題があり、市大がピンチに陥っていた。友人の父親に自民党の団長がいた。この人が議員を説得したおかげで、市大は廃校を免れた。二度あることは三度あるというが、現在がまさしくそうだ。私らはそのときも、大学は変わらねばならないと訴えた。森さんだけは聴き入れてくれた。私の同期に横江と草薙[横江靖朗氏と草薙昭雄氏、ともに市大生物科の教員で若くして死去]がいるが、彼らといっしょにこの大学の行方を心配したことを記憶している。

 高秀市政はハコモノづくりに熱心だったが、大学を甘やかしたともいえる。とにかく大学に対して好意をもっていた。

 このたび市長を擁立し、9つの区で勝利した。現市長はパーフォーマンスを得意とするが、現在は桜木町問題で対決している。

 大学は存続すべきと思うが、赤字という判定を受けた以上、財政状態に堪えられるようにしなければならないし、大学を改革しなければならないのは当然だろう。内部の先生方のコンセンサスをとりつつ、崇高な理想を求めての努力しなければならない。

 

パネリスト阿部貞夫氏 昭和37年卒 法律専攻

 いま、公立大学としての市大の役割が問われている。何事も財政が根本であることはいうまでもない。付属病院、センター病院の財政的負担が大きく、研究と臨床の競合関係が大きく影響している。だが、病気を直すことと大学は別個の取り扱いを受けるべきものと思う。

 大学について国立、公立、私立の役割は微妙に違う。国公立大学は能力をもつ者を教育するという使命をもつが、これは放棄してはならない。[橋爪私案では]学生募集において横浜市の子弟のみを入学させるとなっている。私はこれには賛成しかねる。もしそうなれば、当世の学生評「高学歴低学力」に拍車をかけることになりかねないからだ。

 国際化が進むなかで、大学は3分の1から2分の1ぐらいは外国人留学生を受け入れるべきであろう。公立大学もとうぜん社会貢献を考えねばならない。病院、患者数は定数で決められている。横浜市がいつまでも東京の衛星都市にとどまるのではだめで、横浜の特徴をもつべきである。市大は市のアカデミアの中心として国際的大学をめざすべきである。大学の先生方も市民講座を開き、サテライトスクールをもち、社会市民教育に力を入れるべきであろう。

 [橋爪私案では]教育重視型の大学が提唱されている。しかし、研究を離れては、過去の知識の切り売りになってしまう。大学というかぎり、研究はつねに必要である。教育のみとなれば、結局、低レベルの教育に惰してしまう危険性がある。

 

パネリスト竹田弘明氏 昭和37年卒 英文専攻

 結論から先にいいたい。皆さんは市大、市大というが、私は浜大、浜大であってほしい。そう主張するわけを言おう。私は、いま話題になっている蓮池薫さんの母校柏崎高校の出身で、昭和33年に一浪して市大に入学できた。順当に4年間で卒業できた。当時の学長は三枝博音先生であった。当時から、横浜にとって医学部は必要だが、他は不要という議論はあった。そのころ、入学金3万円、授業料1万5千円であった。因みに、国立大学は1万2千円であった。私は4年間で9万円払った勘定になるが、それは少額である。当時の為替レート1ドル=360円で計算して250ドルになる。4年間を通しての学費の総計がこれだ。このことを駐留軍の兵士に言ったら、「信じられない!」という感想が返ってきた。卒業とともに「東急観光」に就職したが、以後は横浜に在住し、税金を41年間まじめに払いつづけている(笑い)。

 市大は残してほしい、そのためには覚悟が必要だ。市大は譲ってもいいが、浜大は残してほしいし、今までの伝統も残していただきたい。75年の伝統は守るべきである。ノーベル賞の白川さん、田中さんクラスの人材を輩出していただきたい。市大は地域貢献は忘れて、地球貢献を考えてほしい。本学には、環境ホルモンで名を馳せた逸材を出した実績があるではないか。最近では歌手の平井堅がいる。こうした名誉はきわめて大事なことだ。口も出すな、人も出すな、リストラの余り[…書き取れず]。国公立は独立法人になるそうだが、それでもいいし、株式会社でもいいだろう。その際には、是非とも阿部貞夫さんを学長に推したい。

 

パネリスト村瀬弘明氏 昭和40年卒 国文専攻

 昨年春まで私立高校の教師をつとめてきた。その体験から危機に対する見方を述べたい。私は日本国憲法と教育基本法の精神を信条として教育をやってきた。日本は大戦を経てまことに酷いことになった。そこで、教育基本法を柱に据えた。市大の教育もこれを指針にしてきたはずだ。市長の中田さんは「横浜市大の教育に特徴がない」という。「市内に14大学があり、それでじゅうぶんだ!」ともいう。彼がいう特徴とは何なのか?横浜港のことだろうか?!

 文科の同窓生には教員が多かった。いっぽう、商学部卒には市役所の勤務者が多かったように思う。私は国家のため、世界平和のためにやってきた。巷の評判では。「市大卒は地味だが、教養程度は高い」となっている。これは立派な特徴だと思う。これぞ市大の存立意義につながることといえまいか。

 眼を世界に向けると、アメリカ、ロシアなどの授業料はたいてい無料である。授業料を只にしても損にはならない、必ず国家や社会への見返りがあることを意識しての措置だ。市大のばあい、授業料をとっているだけでも収入増につながっていると考えるべきだろう。このばあい、卒業生が果たして国や市に返してくれるかどうかについて真剣に考えねばならないこともまた真実である1,100億の赤字の見方についてふれたい。中田市長の方針に従えば、廃校にするか、採算ペースへの改編にするかのどちらかとなるだろう。

 今年で23年目を迎える「みなとみらい計画」は当初、2000年までの20年計画で経費2兆円のはずだった。それが不足し、途中で3,200億円ほど追加された。遅れに遅れたこの事業計画は2005年には完了するはずである。それでもなお1,100億円ほど不足するとの見込みから、市は追加予算を出すことになった。しかし、不景気が深刻化したいま、企業がビルをつくっても会社は入らない。それでも1,100億円を注ぎ込むのだ。いっぽう、市大には金を出さない、逆に市は市大病院を売ることを考えている。日本政府はかつて長期信用銀行を3兆円で売った。中田市長もそんなことを考えているのだろうか。

 赤字の原因についてだが、[「あり方懇」資料では]施設のために注ぎ込んだ費用を赤字として扱っている。その赤字はちゃんと資産の形で残っているというのに、赤字だという。市は鶴見の研究施設へ400億円支出した。これも立派な資産である。私立大学では、施設を建てるのに財源は寄付や貯蓄で賄う。だから、財政的な心配は要らない。とにかく、市大は残さねばならない。

 

パネリスト遠藤紀明氏 昭和56年卒 独文専攻

 私は市大の卒業生、非常勤講師、非常勤講師組合の代表という3つの顔をもっている。そこで、3つの立場から述べたい。

 まず、卒業生としての立場から。私は累積赤字という考え方自体が納得できない。これについては他のパネリストがふれたので、ここでは省略したい。公認会計士ともあろう方がこの程度の分析しかできないのは驚きである。建物・施設は資産である。これを一般会計に繰り入れ赤字を計上し、それを根拠として廃校とするのは当たらない。

 大学の地域貢献というが、地域が世界に貢献するという視点があってもいいのではないか。市民の世界貢献を助成する、それに大学がかかわるという視点がそうだ。「貧すれば鈍する」というが、まさにそれだ。市民は果たして大学を無駄だと考えているのだろうか。儲けるという意味での大学の貢献は難しいだろう。

 次に、労働組合の委員長として言いたい。賃金の安いことは以前より問題になっていた。ところが、昨年3月末、とつじょとして大学当局は、それまでの年額制から時給制への改定を通告してきた。言いぶんは「勤務実績に応じての支払い」ということだった。じっさい、給料を受け取る立場からいえば、10〜15%の減収になった。これによって大学費をどれだけ節約できたのかといえば、瀬戸キャンパスで2000万円程度にしかならない。福浦キャンパスについては事情を知らない。これは市大全体の赤字からみれば、小さな数字である。経費削減の目的もあろうが、おそらくは事務局の本庁へのポーズだろうと思う。設置者が大学を管理しなければならないという発想から出てきたものであろう。

 給料削減はまさに労働問題であるが、これでは大学における教育・研究の質を維持できない。1年契約制の非常勤講師はただでさえ、身分が不安定で辛いものがある。今後、そのうえに「独法化」となると、身分保証はさらに不安定になることが予想される。

 最後に、教員としての立場から述べたい。大学教育は営利事業ではない。地方公共団体や国は教育にたいして責任をもっていないのではないか。「教育は百年の大計」である。ことと次第では500年の先まで影響していくものである。教育を営利事業にしてしまうとは、地方公共団体の品格にかかわる問題といえまいか。横浜市は大都市にふさわしい見識をもつべきである。

 

パネリスト山田勇介氏 商学部経済学科4年生

 学生の立場からこの問題に迫りたい。テスト中ということもあろうが、この席に学生の姿が少ない、若い人も少ないのは残念である。だが、学生に意識がまったく欠けているわけではない。

 設置者側で「懇談会」がもたれた。しかし、学生は何も知らないし、知らされていない。わずかに関心を持つ者だけがインターネットのHPで問題の上辺をなぞるだけだ。とにかく積極的公開がなかったことを問題にしたい。学生も大学の一員であり、これに参加の形がないのはおかしい。そこで、私たちは去る12月11日、「学生による、もうひとつのあり方懇談会」をもった。その場で、いま何が起きているのか、その背景に何があるかを問うた。ほとんどの人が何も知らなかった。ついで話題はどのような大学にしていくかに移った。

 事務局だけで一方的に学費値上げを決定したり、奨学金削減をしたりするのは「ひどい!」のひと言だ。「やるよ」という通知だけでは、学生への配慮がまったく欠落しているといわざるをえない。

 「もうひとつのあり方懇」では、堅苦しく考えることなく率直な意見の交換を行った。そこで出てきた意見のいくつかを紹介したい。

 1.資格取得のため、専門教育のための大学でよい。

 2.市大生だから市に貢献するのは当たりまえ。

 3.教育に金がかかるのはしかたがない。

 4.学生は横浜市に貢献すべきだ。

 5.国文は45名だが、この小人数のメリットは市大だからこそできたことだ。

 6.市民貢献の一環として学園祭を公開しよう。アーバンカレッジで学生も市民と一緒に学ぼう。

 今まで社会問題について意見交換する機会に恵まれなかったため、他の学生が何を考えているのかわからなかったが、今回の本音討論により各人が意見をもっていることを知ることができた。それが、「もうひとつのあり方懇」開催から得た最大の収穫であったように思う。

 私たちは世の風潮に従い、「資格をとろう、専門を学ぼう」漠然とした意識のもとに学んできたが、教育・大学とは本来どうあるべきか?などの論議をしたことはない。そういう意味で、自分が大学4年間で何を得たいかを考えるためのよい機会となった。

 私個人についていえば、好きな授業は国文、環境問題、福祉、平和に関するものであった。専門という枠にはまっていない点が有意義だったように思う。市大はいろいろな授業をとれるところに良さがあり、深みと厚みがついたように思う。よい授業とは「考えさせられる授業」である。こうした印象がもっとも強烈である。

 わが大学には三枝博音学長当時の「鎌倉アカデメイア」の精神が息づいているように思う。高校時代、私がイメージしていた大学はこういうものであった。これからも「鎌倉アカデメイア」の精神は受け継がれるべきである。

 大学の危機を前にして、今後も「もうひとつのあり方懇」をつづけていきたい。

 

[10分間休憩]

 

(司会)討議に先立ち、本日のシンポジウムに参加を希望しておられたたが、事情で欠席された東大教授柳沢悠氏のメッセージを紹介したい。同氏は元市大教員である。

 「橋爪私案では市大が『生彩を欠いている、国際水準にほど遠い』とあるが、それは間違いである。生彩がないどころが多くの人が生彩ある業績を残しておられ、またその研究レベルはじゅうぶん国際水準に達している。

 

(学生)学生主催の「もうひとつのあり方懇」に参加した。予想外に多くの人が集まった。「市大はだれのものか?」という問題提起に、みんなのものと思っていることがわかった。私たちにはこれまで、私的感想を持ち込む場が少なかった。こういう機会をつくっていきたい。2月13日にYCUヘスターをもつ予定である。

 

(市会議員)私は共産党の市会議員で、現在、大学を担当している。パネリストの発言にあったように、懇談会に市の直接関係者を入れないで論議をするのはおかしいと思う。市の税金を使って赤字ということだが、それ自体がおかしいことだ。「あり方懇」は市大に限らず、各分野でつくられている。港湾病院、市営交通、福祉施設など第三者のみから成る「あり方懇」がつくられ、それぞれ民営化が狙われている。

 

(元大学教員)私は横浜国大学芸学部昭和35年卒で、そのご長く母校で教鞭をとっていた者である。国大には市大教員に多数来ていただき、交流をしたことがある。現在は日本科学者会議の大学問題委員をしている。その関係で今回の市大の問題を知った。「橋本私案」についての批判的見解をまとめ、資料としてこの場に持参したので、それを参照していただきたい。[注、ホームページに掲載済み]

 ユネスコは1998年、これからの時代の高等教育に関する世界宣言を出したが、これも資料に含まれる。「あり方懇」は市長の諮問機関だそうだが、そのこと自体が教育基本法第10条に抵触する。およそ大学のプランと称するものすべてが大学の自治に委ねるというのが法律の精神だ。「あり方懇」は、大学が赤字をかかえている、だから存在意義がないというのはおかしい。赤字の大半は施設・建設費から発している。これは資産であり、今後も市の財産として残る。たとえ、大学が赤字だとしても、それゆえに廃校にすべきだの議論は乱暴すぎる。お金勘定だけで教育・研究をとらえているといわれても仕方ないだろう。

 

(市民)私も日本科学者会議の一員だが、市大の存在意義についてふれたい。21世紀の産業宣言、国際的基準として指している。21世紀は南北問題、難民問題、社会的知識水準を上げていくことがたいせつである。高等教育を普及していくことが求められている。生涯教育の理念のもとに、多くの市民がだれでも望むときに高等教育を受けられるような条件を整備していく、このことがたいせつである。高等教育に関していえば経済的効率のみを考えてはならない。国立、市立、私立の別を問わず、できるだけ多くの人が高等教育を受けられるようはかるべきである。

 もうひとつは、過去の戦争体験のなかから、私たちは教育は公権力から自由でなくてはならないとの教訓を学んだはずだ。だから、大学の自治が基本にならなければならない。1960年、1970年安保のとき二度ほど大学管理法案が成立しそうになったことがある。当時、大学人を中心に反対運動が起こり、阻止した歴史を強調しておきたい。

 

(OG)私は12年前に卒業したが、いま考えていることを紹介したい。大学は残ってほしい。私は最近、ショックなことに遭った。司法試験の予備校では、私立大学の問題をつくっていると知って驚いた。まさしく今こそ、大学の存在意義を考え直す必要があるだろう。市大の意味を考えるとき、市民の大学という意味を忘れてはならない。地域貢献が外せなくなったとき、市大の良さを考えるべきである。それでも市長が「要らない」といったとき、金を出しあってでも市大を存続させたい

 

(OB)2つの意見を述べたい。ここに『市大創基百年史』の本をもってきている。[橋爪私案では]市大卒は役に立たないそうだが、ここに立派な反証がある。市大卒が社会の役に立っている証拠各界で活躍する卒業生の名前がたくさん載っている。

 もう一件述べたい。卒業後は貿易関係の仕事をずっとやり、先ごろ市大にもどって矢吹ゼミで学んでいる。私たちが出した「緊急アピール」で述べたことを再論したい。

 矢吹先生は冷遇されている。ポケットマネーでコンピュータや、中国語を含む特殊なソフトを購入され、学生の利用に供されている。来年に定年を迎えられるのだが、補充はされないという。「市大の宝」ともいうべきこの人の後任を採らないというのはまことに残念だ。日本と中国、横浜と上海を繋ぐ人材が今ほど求められているときはない、それはいま決定的に不足している。それゆえ、何としても本学での中国研究を存続させていただきたい。

 

(OB)市大で文科と商学部の両方で6年間お世話になった者だ。母校を愛する気持ちは人一倍もっているつもりだ。卒業後、横浜市役所に入ったが、市役所にも東大卒をはじめ、いろいろな人がいた。しかし、仕事に関するかぎり負けたという思いをしたことがない。労働組合の仕事でも負けたとは思わない。橋爪氏のいうことはまったく当たらないことを強調しておきたい。

 私からの母校への希望をいえば、外からは市大がよく見えない。市役所にいて、とくにそれが気になる。市大はもっと外に出て、市民の眼に見えるようにする必要がある。

 

(学生)教授を前にしていいづらいことだが、おもしろい授業、おもしろくない授業があるのは事実だ。私は大学選びで、世間体と偏差値を気にして選んだのは事実だ。高校時代は目的をあいまいにしたまま大学に入学した。

 本日の出席者で在学生が少ない。もし大事なことであれば参加すると思う。自分が大学に居る間は大丈夫という発想があるから来ないのだ。たとえば、学費が値上がりすれば、めぐりめぐって自分に返ってくる問題なのに。

 

(OB)私は84年卒で、国際貿易の商社に勤務し、長く中国貿易にもかかわってきた。矢吹先生の中国研究が打ち切りとなるのを知って非常にびっくりした。市大について財政問題が取り上げられているが、その取り上げかたが不明確で、セーブも見えてこない。「あり方懇」資料を見ても、なぜこんなに金がかかるのかわからない。

 廃校は納得できない。私は市大生としてはノンポリで、心ならずも入ってしまった。ノンポリは多いが、それだけに4年間いろいろ学べる機会に恵まれた。私の妻も市大出身で、それだけに市大への思い入れは深いと自負している。市大がどういうことをやっているかをもっと議論の場で深める必要がある。財政問題を明確にするのは重要だ。しかし、その問題と市大そのものの論議とは違うことを訴える必要がある。

 

(OG)昭和44年卒の者だ。私はハマ生れ、小・中・高もハマで、大学もハマである。大学を受ける前に民間会社に勤務し、その後一浪して市大に入った。親からは「国公立しかだめ」といわれていたので、横国大と市大を受験した。国大の学芸学部もうかったが、巷の意見で「市大のほうがよい」ということで市大を選んだ。今年、国際文化学部の後期日程受験倍率が28倍だそうだが、「相変わらずだな」という印象を覚えた。

 卒業後は埼玉県の小学校に勤務した。夫も中文専攻の市大卒である。司書課程が取れるということで中文に入り、4年間のあいだに袖をすり合わせることになった。こういう人たちがたくさんいるのではないだろうか。教員、大学教員になった人を多数知っている。現在、中国で教鞭をとっている人もいる。中文に学んだことが自己形成のうえで重要だったと思う。一時、文革を機に中国に背を向けたことがある。しかし、職場で帰国子女、残留孤児を迎えたことがきっかけで、中国への関心が戻ってきた。そこで中国語をやりはじめた。短期留学もしたことがある。向こうでは日本語を勉強する中国人が多数いる。驚いたことは、中国では留学生を多数受け入れて儲けていることだ。人間を育てていくことは難しい、それだけにたいせつである。市大を存続させてほしい。営利と無関係に大学を育てること、それは行政当局の責任ではないだろうか。本日の会合には受付名簿がなかった。市大存続のためのこうした運動を大きくするため、横のつながりをもてるよう、是非とも主催者のほうで検討していただきたい。

 

(遠藤紀明氏)追加意見を述べたい。昔の市大は学費が安かったから学べた。橋爪氏は学費値上げを提唱しているが、逆にいっそのこと学費を半額にしたらどうか

 

(阿部貞夫氏)学費と授業料の関係についてだが、入口の敷居は低くしてもらいたい。入口を広く、敷居を低くすることは、教育への機会均等を確保するために必要なことである。ファンドつまり奨学金の充実をはかる。この組み合わせをセットで考えたほうがよい。

 さきほどから中国研究が話題になっているが、1984年から私が勤務する資生堂は中国と関係している。いま、世界の経済は中国を抜きにしては始まらないほどに、中国の存在感は大きい。中国では、経済の枠組は政治の枠組で決まる面がある。だから、こうしたものに関する研究を大学から抜いてはならない。

 アウトソーシングについてひとつの提言をしたい。研究設備は国に任せたらどうか。そこに学生も教員も乗り込むというかたちはどうか。全部を地場でもつことはないと思うが。

 

(三宅陸郎氏)皆さんの話を聞いていて、いずれも戦略がないように思う。3月には答申が出るのだ。「ああするとよい、こうするとよい」といくらいっても、具体的にそれを適える市会議員がどれぐらいいるのだろうか? いまの議員はそういうことをまじめに考えてはいない。立ったり座ったりだけの議員がいるのだ。その意味で、4月13日[選挙]がチャンスとなる。私も元教員であり、いろいろ活動をするなかで生徒に支えられた経験をもっている。市会は学生が来たら一発で終わりなんですよ。

 

(OB)私は37年卒である。市に対して2つの意見がある。「あり方懇」に対して、廃校では手抜きではないか、これをどう訴えていくかの問題がある。市大は特徴をもたない、市に貢献しない、だから廃校!という論理に立ち向かえる準備をすることだ

 もうひとつは、学長を中心に設置者に積極的に働きかけていく、区長への働きかけも必要だろう。とにかく大学はハウステンボスとは違うこと、赤字で終わりでは困ることを訴えることがたいせつだ。

 

(OB)われわれはいろいろな行動をしなければならない。「あり方懇」は2月末に座長私案に基づいた答申を出すだろう。市民1人あたり12万円の負担となっている。6兆円の市債は市民1人あたり92万円となる。だが、横浜市立大学が借金したのではないことに留意する必要がある。市民は迷惑したという論法、これこそタメにする議論とはいえまいか。座長は、「市が大学をもつメリットがない」「存立意義が思い浮かばない」「大学の特徴がない」「だめな大学」という。これぞまさしく学者の仮面を被ったゴロツキの論理ではないか。こんな無茶はどこかで止めなければならない。大学病院を売っちゃった、売られりゃ困る。困るのは結局、患者だろう。

 本シンポの主催者に提案したい。「あり方懇」に「市大を考える市民の会」として公開質問状を出すべきだ。設置者にも抗議すべきだ

 

(女子学生)市大の存立意義、大学とは何かが論議の中心になっているようだ。大学は真理探求の場だと思う。学生にとって、資格取得や卒歴取得の目的もあるにはあるだろう。これは学生が本当に求めているものではない。[……聞き取れず]小・中・高生にも配慮すべきであろう。

 さきほど、「戦略がない」という発言があったが、ここで問題になっているのは戦略や政治ではないと思う。学費値上げ、留学生奨学金打切りが行われたが、私たちがそれに抗議するために立看板を立てようとしたら、大学当局から立看板は政治行動だからいけないといわれた。私たちは「勉学のため」「生活のためだ」と反論した。多くの人が、大学が正常に機能することを願っている。

 

(司会提案したい。公開質問状を出そう。運営委員会をこの場でつくっていただきたい。具体的に何をするか、3月にもう一度会合をもとう。いや、3月で終わることなく、今後、月に一度ずつシンポを継続していこう。

 

(団体職員)私は全国の情報をもっている。文科省は教育学部の半分削減案を出したが、それがどこでも波紋をひろげている。群馬、山形[…]などでは、教育学部の同窓会と地域の商店街の人々がいっしょになって反対運動を展開している。ところで、「独法化」論議はどこでも盛んだが、最も「儲からない」のが教育学部である。だから、皆さん真剣なのだ。滋賀県では琵琶湖の環境問題にメスを入れたのが志賀大教育学部で、地域住民は同学部の存続運動を支援している。また、鳥取の地震研究に関して鳥取大教育学部が貢献している、山形大では30人学級の先進県であるが、同大学は横浜市大もガンバレとエールを送っている。

 

(OB)63年物理科卒の者だ。合理化闘争の真っ直中の大学で育てられた。本日の会合で取り上げられた税金問題、あの答申[私]案、横浜市の子弟の優先入学など、とんでもない論理だと思う。そこで提案がある。

 運営委員会設立の提案には大賛成本日の議論をまとめて「あり方懇」に提出すること、市長に対してもキチンとした文章にして出すこと

 私は12月の「もうひとつのあり方懇」を傍聴したが、学生さんはすばらしい議論をしていた。「自分らは税金に応えるだけの勉強をしているだろうか」の反省の弁、「御輿を担ごう」「夏休みに地域住民とスポーツをやろう」の提案、いずれをとっても未来を感じる。私はかつて物理科廃止問題で鍛えられたが、いまの学生は市大存廃問題で鍛えられつつある

 ところで、本日、学長の姿が見えないのはどうしたことか?

 

(学生)ハッパをかけられた思いだ。僕は市大の将来を考えることに共鳴し、この会合に参加した。先輩の方々に倣い、次の世代のためにどういう大学を残すのか、どうしたら幸せになれるのかを考えつづけたい。

 しかし、議論を聞いていて具体的な話がないように感じた。学生の参加が少ないことも。アジアのなかの横浜市大を考えるべきだ。運営の方法にも欠点があった。足の悪い方がみえたのに、階段教室でのシンポは不つごうであり、そうした配慮が足りなかったと思う。

 

(司会)「あり方懇」の委員にイエスかノーかの公開質問状を出したらどうか。

 

(松井道昭氏)会を閉じるにあたり、主催者としてまず、皆さんに御礼を申し上げたい。本日の会合に出席していただき感謝に堪えない。本シンポは急きょ立ち上げたもので不十分なところが目についた。何よりも本学の教員、とくに学長をはじめとする大学執行部の参加を得られなかった点が残念である。学長には開催を、そして参席を申し入れたが、「都合がある」ということで断られ、開催予定日を改めもう一度申し入れたが、今度は返事をもらえなかった。市大が過去二度ほど存立危機に晒されたときを思うと、隔世の観があるといわざるをえない。学内では疑心暗鬼がはびこり、皆、元気がない。リストラ渦中の企業の雰囲気とはこういうものかを実感している(笑い)。しかし、それに甘んじているわけ

にもいかない。市民、卒業生こそ、私たちの力の源である。

 会場より、いろいろな提案があった。今後、それについて慎重に検討したいが、当面できることのみはこの場で約束して、それで本日の会合を閉じることにしたい。

 

(1)ひとつは受付名簿の件である。これは意見用紙の裏を使って書いていただきたい。e−mailのアドレスをもつ方は、それも付記されんことをお願いしたい。

 

(2)運営委員会を立ち上げたいので、運営委員になってくださる方はこの場に残ってほしい。

 

(3)本日の議論は早急にまとめ、関係当局に届けたいし、なによりも皆さんにお渡ししたい。意見用紙のまとめも同様の扱いとしたい。

 

(4)公開質問状についても運営委員会で検討し、しかるべき処置をとるつもりである。

 

(5)会のインターネットのホームページは当面、本学教授矢吹晋氏のそれを借用することにしたい。

 

(6)最後にお願いがある。3月に予定する次のシンポにはもっと多くの方々の参加を希望したい。皆さんの手でヨコのつながりを広げてほしい。