諸田實『フリードリッヒ・リストと彼の時代―国民経済学の成立』有斐閣、2003年
序章より
リスト(1789年―1846年)
*「祖国のために労を惜しまぬ無給の弁護人」(リストが1846年水から命を絶ったオーストリア、クフシュタインに立つ彫像台座献辞の冒頭行)
*「国民経済学者」
*「鉄道事業の先駆者」
*「ドイツ関税同盟の父」
:「外国で評価されたナショナリスト」…経済発展のナショナルな論理は、世界各地で必要とされる。グローバル化の押し寄せる現在でも。
主著:『経済学の国民的体系―国際貿易・貿易政策・ドイツ関税同盟』1841年…今日までに一〇カ国後に翻訳。・・・日本では1889年(明治22年)
その他:アメリカ時代に『アメリカ経済学概要』1827年
パリ時代に書いた懸賞論文『経済学の自然的体系』1837年
700篇ほどの論考(時論)
1920年代から30年代、全集10巻12冊
リストの目標・情熱・・・ドイツの経済発展と国民的統一、堅固な国民経済の建設。
一九世紀前半の工業後進国ドイツにおける先駆的活動、
しかし、「デマゴーグ」のレッテル
議会に選出されるが、追放される。…外国(アメリカ、フランス)へ逃亡
「主著の成立史の23年のうち半分以上に当る13年近くが外国暮らしかドイツでも監視つきの生活。
第1章
ロイトリンゲンでの幼少時代(1789―1805年)より
フランス革命の年、ロイトリンゲン[1]で、1789年8月6日出生・・・誕生日は、バスチューユ襲撃事件(7月14日)と8月26日の人権宣言「人および市民の権利宣言」の中間。
のち、1825年、郷国ヴュルテンベルクの市民権を剥奪されてアメリカへ「旅券つき国外追放」となったリストを、到着早々のアメリカの有力者に引き合わせてアメリカでの活躍に道を開いてくれた恩人は、人権宣言の起草を提案し、国民軍司令官に任命されたラファイエット将軍。
リストの「国民経済学」は、スミスの「世界主義の経済学」との格闘の結果。
そのスミスは、リストが生まれた翌年、1790年7月17日、エヂンバラで役3000冊の蔵書を遺して67歳で静かに世を去った。