「市大のあり方懇談会答申批判」

横浜市立大学理学部 一楽重雄

 

 

 2月27日に「市大のあり方懇談会答申」が出されたが、その内容の杜撰さにあきれてあれは問題外という人が多い。哲学も理念のかけらもなく、あるのはお金勘定だけという答申を、きちんと批判する気にもならないというのが実際である。私も、文章自身が「学識経験者」が書いたものとはとても思えない雑で汚いものであるし、論理も通らずまともに相手にしたくないと思う。もともと、意図があって委員会に招かれた人がいるとすれば、その人たちは別として、何も知らずに学識経験者として委員になった人たちは、こんな答申に自分の名前を書き込んで恥ずかしくないのだろうか、ぜひ、一度聞いてみたい。

 とは言え、我が大学の学長自身が、「『中期目標・中期 計画』に答申に掲げられた改革の具体的内容を反映させてまいります」などと平気で述べているのだから困ったものである。大学外の人がみれば、学長は教員全体を代表しているものと思うだろう。教員の意見と明確に違うことを言う人を学長に戴いていてよいのであろうか。教員の意見は、八景研究科委員会や国際文化学部の決議であきらかなように学長のコメントとはまったく相容れない。

 したがって、あんな杜撰な答申を批判することは決して気の進むことではないが、必要なことであろう。そこで、私自身の観点からいくつかの点に限って答申を検討してみよう。

 

1. 基本的な問題 大学とは何か、大学がなんのためにあるか、という基本的認識に問題がある。学問とは何か、教育とは何か、という哲学は何もない。そこには、お金勘定だけである。後述するように、そのお金勘定自身まで作為のある不公正なものであるから、「答申にまったく価値はない」という結論にならざるを得ない。

 

2. 大学の借金 市債を「大学の負債」と捉える一方で、その市債で造られたものを資産として評価することをしていない。「財務分析」というにはあまりに初歩的誤まりであることをすでに多くの人が指摘している。端的に言えば、新しいきれいな病院を作るために発行した市債が問題とされている。なれば、病院は作らない方がよかったというのであろうか。市債の金額だけが、さも異常であるかのごとく喧伝されている。「現状のままで存続する道は、まったく考えられないことを強調しておきたい」とは、よくも書いたものである。論理的に選択肢を考えるといいながら、全体としてまったく論理的でない。この文の論拠は先に述べた負債であるが、この議論自体が誤りであることは先に述べた。百歩譲って、大きな負債が問題だとしても、それは直接大学のあり方には関係しない。大学に経常収支という考え方が適当かどうかは別として、市債が大きいことと経常収支とは直接関係がない。まったく非論理的な展開である。

 

3. 市議会の責任 上の論点とも関係するが、「現状のように、市が大学の赤字をいくらでも補填するようなやり方はただちにやめるべきだ」とも書かれている。市会議員の方々は、この文章をしっかり読んで欲しい。もともと、経営体でないものを「赤字」ということ自身おかしい。この論法でいけば、横浜市の本庁こそ大赤字ではないか。もちろん、市議会も収入はなく、人件費の高い大赤字の部門と言われるだろう。これは言葉遣いの問題として措くとして、もっと大きな問題がある。

 この文章では大学は市役所の中でも特別な部局で、予算というものがなく使っただけ市がお金を出してくれるところのように聞こえる。もちろん、法治国家の日本でそんなことが行われる筈はない。この文章をなるべく現実に合わせて解釈するとこうなる。市大が予算を要求する際には言いたい放題を言う、そして、財政局や助役、市長は、大学だからと特別扱いで査定せず、予算をいくらでもつける。議会はそれをそのまま認めている。もちろん、こんなことは現実ではない。前に述べた市債も、その起債は法律に則ってきちんと議会を通過して発行されているのである。したがって、もしも「大学の大きな負債」が問題だとすれば、市債の発行を認めた議会自身の責任にほかならない。この答申は、議会の役割をまったく見ていない、民主主義の否定にも通ずるものなのである。

 

4.普通交付税額「学部等の運営費などとして約120億円、2付属病院の運営費として約120億円を毎年一般会計に繰り入れている。これは市民一人あたり、毎年約7千円弱の支出にあたる」として、市民の負担が高いことを強調しようとしている。しかし、横浜市は、富裕自治体ではなく、普通交付税を交付されている。大学と病院をもつことによって算入される基準財政需要額は、どれほどであろうか。上の計算では、それがまったく考慮されていない。つまり、交付税でまかなわれている部分は、実際は国税が投入されているのであり、それまでも市民の負担というのは誤まりなのである。この部分は無視できるような額なのであろうか。実際は、今年の予算で「大学498700万円、病院186800万円、計685500万円」である。したがって、これを考慮にいれれば、市民一人当たりの負担は約5千円ということになる。

 公認会計士も入り、大学事務局のサポートしているあり方懇談会で、交付金のことは知らなかったという言い訳が許されるであろうか。

 

5. 大学病院か公立病院か 病院についても、これからの医療がどうあるべきかなどという観点はほとんど見られない。特に大学病院の役割に見合った経費を考えていない。「地方公営企業法の基準内繰入の範囲にとどめ」としているが、これでは大学病院としての特徴を発揮することはできない。知らない人は、法律の基準を上回って市が市大病院に繰入をしている、かのように思うのではないだろうか。この法律は、一般の市立病院とか町立病院とかを対象としたもので、大学病院を対象としたものではない。したがって、この基準内にせよ、というのは付属病院を大学病院ではなく町立病院並にせよ、ということなのである。いずれにしろ、病院の実態や市民の要求などを基礎として市大病院のあり方を検討するのではなく、一片の法律を持ち出して答申を書くということ自身あまりに官僚的ではないか。

 

 このような答申を実行するということが民主主義の原則にかなうものとは、とうてい思えない。市立大学であれば、市民の意見を謙虚に聞くべきであり、そのことは、中田市長の政治姿勢とも合致するのではないだろうか。