国際学術セミナー(2003年5月15日)
ハルトムート・ケルブレ教授(ベルリン・フンボルト大学)講演[1]
T.「ヨーロッパ社会史」
1.社会史の最新状況
ヨーロッパの社会史(研究)・・・変化と難問への直面の二〇年
一方で、世論の社会史への関心の後退(60−70年代の社会史の隆盛)
学術雑誌の状況
新しい社会史講座の困難性…ポストは継続出きるか?[2]
他方、ヨーロッパ社会史が「衰退」ではないことを示す諸事実
アムステルダム社会史研究所主催のヨーロッパ社会史研究者の参加者の多さ
イギリス社会史協会の活動性(70年代の設立以降、持続的に活発)
1980年代末以降、独仏社会史研究集会の継続
中欧における社会史の確立
アメリカにおけるヨーロッパ社会史エンサイクロペディアの刊行
かつてのブローデル、ホブズボーム、トンプスンなどの華やかな時代は去ったが、学問分野としては確立。
2.社会史の変化と社会史に対する最近の挑戦
p.1-2
社会史の最新事情は、ヨーロッパ社会史の変化の結果
1960年代・70年代と今日の大きな違い
主要テーマ、方法、他の学問分野との協力関係、国際化、政治史との関係
以下最も重要な5つの変化について
p.2
(1)テーマについて
60年代・70年代のテーマ
・ 社会階級の形成・構造、特に労働者階級について、中間階級、中間階級下層や農民について。
・ 近代的家族の生成について。両親と子どもの感情関係について。
・ 現代的福祉国家の誕生・発展の歴史…公的保険、慈善、住宅政策、公衆衛星、労働法、国家と労働組合の関係
・ このなかでも、とくに社会階級の形成に関する激しい論争(マルクス主義者とそれ以外のものとの間で)
テーマの変化:テーマの多様化、研究分野の拡大
古いテーマが放棄されたわけではないが、主要なテーマとして8つのテーマ(相互に重なり合うが)が登場…次のような歴史(社会史)テーマ
@ 論争、コミュニケーション、用語Terms、言語、公共空間、メディア、知識人
A 記憶、シンボル、儀式、神話、
B 価値、社会規範、社会モデル
C アイデンティ、国民的、国際的、社会的、民族的なアイデンティ、他者の歴史
D 女性史
E 移民史、移転、エスニック集団の成立、雑種社会の生成
F 消費
G 宗教
以上のいくつかは、文化史として。
方法の変化:
60−70年代の方法の特徴(4つ)・・@構造史・・社会と心性の歴史の変化と連続性
A社会学、その変化理論の適用
B数量化・数量史、統計利用
C政治的な事件や変化と社会史との相互関連の重視
p.2−3
最近の方法…古い方法を完全に放棄したわけではないが、新しい方法の登場
@ 議論・論争の分析、これと関連して、多様な方法・・・言語史 用語terms史、議論の歴史、アイデアの歴史、哲学と政治の概念の歴史
A 発見的方法・・・心性、かくれた規範、儀式、シンボルを調査検討する方法として
B これと関連して、新しい資料群・・・写真、絵画、映画、記念碑、彫刻、日記、自伝、旅行記の利用
以前の歴史研究からの「進歩」というよりは、変化。
以上のような新しい動向においては、政治的出来事や変化の理解には社会史が必要だ、社会史的文逆で理解が可能だとの主張はほとんど放棄されている。
枠組みの変化:国民的な枠組みから国際化の進展
もっとも顕著な国際化は、70年代後半以降のヨーロッパ社会史の比較史の隆盛
最初は、諸国民社会間の違いと類似の検証・・・パラダイムとしてはあくまでも「国民」的枠組み
その後、しだいに、諸国民と諸文明の相互移転の研究へ
あるいは、トータルな諸文明の国際比較
社会史の国際化がもっとも明瞭になるのは、研究活動において・・・ヨーロッパ社会史研究者が以前よりたくさんの国際会議に参加。国際的な研究ネットワークや国際的研究センターで仕事。国際交流
学際関係…他の学問分野との関係
60年代―70年代・・・・社会学、政治学、経済学…社会科学パラダイムの時代
歴史研究者の役割は、学際的協力において、社会諸科学の出来合いの理論やモデルの一種の「消費者」としての立場。
学際的協力のこうした成果は、最近も、放棄されてはいない。
しかし、協力する学問分野が拡大し、変化した。
社会史のテーマと方法の変化に応じ、民族学、言語学、文学史、哲学、芸術史、教育史、心理学、法律学との連携
同時に、学際的協力の様相もちがってきた。
学際的歴史家は、協力する学問分野を選択的に行い、歴史志向の社会科学と主として協力。
社会史と経済史の関係の希薄化:社会史と政治史の関係の変化は、込み入っている。
一部の社会史家は、以前より、社会的文化的トピックに集中。
かつてほど政治的事件や政策決定者および政治的機関には力を注がない。
文化的社会的な規範や価値やシンボルが、法律や機関と同じくらい政治で重要だとの認識
他の社会史家は、政治史との密接な協力を継続、…見方は修正。
政治史にとっての社会史を主要な説明要因とはしないが、社会史の政治史にとって以前として重要、との見地。
社会史は政治史の決定的部分…取り上げるトピックは、諸協会、社会運動、利益集団、公共空間、市民意識、人権、アイデンティ史。
社会史は、政治史の重要なポイントを検証、調査
こうした変化はなにによって起きたか?
単純ではない。
ヨーロッパに特殊なものでもない。
こうした変化は、社会史が過去三〇年間に直面したさまざまのチャレンジに対して応答したものだった。
どのようなチャレンジがあったか? 4つが重要
第1に、一九七〇年代以降のヨーロッパ社会の変化
60年代・70年代の社会と政治の主要問題(それが社会史の主要テーマ・問題だったのだが)、いまでは支配的ではなくなった。
労働者の社会階級が減少した→第三次産業、サービス部門従事者が増大。こ用における工業部門の比重の低下
同時に、労働組合がイギリス、フランス、スウェーデンといった主要なヨーロッパ諸国で弱くなった。ポスト・フランコ体制のスペインやポスト共産主義体制の東欧諸国では労働運動は決してそんなにつよくはならなかった。
近代的核家族の持続的増大は、いまや多様な家族モデルの出現へと転換した。
長期的な政治的、財政的、人口的な諸困難で、福祉国家の栄光の時代は、1970年代に終わった。
新しい社会問題が出現した。こうして、社会史叙述は社会の歴史によって挑戦を受けているのである。
第二の挑戦は、国際化。60年代と70年代の社会史のは国民的枠組みを議論し、熟考しなかった。
一方で、社会史は普通、それぞれの国民の枠組みのなかで、国民的な社会、国民的なトピックや説明に研究を集中。国民的労働者階級、国民的家族構造、国民的福祉国家といったものが研究されるべきだと理解されていた。特殊な国民的な道が社会史で魅力的なパースペクティヴとなった。ドイツの特殊な道、フランスの例外性、イギリスの特殊な道、スカンディナヴィアやオランダの民主化や寛容の道、など。
他方で、社会史は主として国民的なネットワークで研究されていた。アメリカやイギリスの歴史化は国際化への窓を持っていたとしてもそれは例外的なものに留まった。
60年代以降、社会史の国民的志向は、より国際的な状況によって二つの方法でチャレンジを受けた。
一方で、社会史の方法とトピックが前よりも国際的になった。これは特に国際比較や国際的な移転にあてはまる。しかしまた、国際移民、と史の国際的な成長や危機、消費の国際化、大衆文化の国際化、国際的な社会運動や国際的な人権政策、他者イメージの歴史といったトピックについて妥当する。特殊に国民的な道の歴史は、ついには叙述するのが難しく、他の対照的な諸国の研究なしには説得的ではなくなった。
他方で、社会史家が活動するコンテキスト(文脈状況)が、これまでより国際的(超国民的)になった。ヨーロッパ人の個人的な経験が、外国での勉強、旅行、外国語知識の増大などとともにますます国際的になった。奨学金、国際的な研究者交流のための学術機関、客員教授制度、歴史家の国際的調査ネットワークが、一九七〇年代以降、ますます頻繁なものとなった。西ヨーロッパ諸社会の親善・親交、1989年以降はヨーロッパしょしゃ会全体の親善・親交が−いろいろ議論はあるにせよ−、社会史家の国民的資格にインパクトを与えた。移転や類似性が明確になり、国民的アプローチが再考された。ヨーロッパ連合の政治権力の興隆は、特に1980年代以降明確になり、歴史家の視野に国際化を促すインパクトを持った。
第三の主要なチャレンジは、文化的転換であり、それは社会史よりも文化史を再強化し再活性化した。人文諸科学のこの一般的な転換は、様々の意味を持った。解釈、意味、アイデア(理念)への関心の増大を伴った。ときには社会経済的構造やその拘束よりも行動に関心をもった。この見方からすると、社会史の古典的なトピックは、しばしば周縁的なものと見られた。
文化的転換(回帰)は、規範とか言語とか、用語とか、心性とか基礎的な精神志向とか(こうしたものは儀式や神話やシンボルによって永続化されてきたものだが)、といった主要な隠された、これまで熟慮されなかった歴史の諸力や拘束力を研究することを意味した。
こうしたみ方はかつての社会史によって主要な政治的出来事や変化が説明されるとする想定には反対するものである。
文化的転換はしばしば、人文諸科学の純粋に推論的解釈を意味した。そこでは、個々の科学者が彼自身の観念、用語、言語などの鳥かごの中に完全にとらえられていた。だから、かれは他の現在と過去の諸文化に直面し、あるいは分析出きる状態にはなかった。この見方からすれば、過去の社会や現在社会の社会的ルーツを研究しようとする社会史下の要求は、素朴であり、非現実的なものだった。
もう少し穏健なやり方では、文化的転換は、歴史家の科学的仕事に影響を及ぼす歴史家自身の価値観やメンタリティを反省することを含んでいた。歴史的な出来事や場所や人格の解釈がどのような変化を時間とともに受けてきたか、その方法(道)が主要な関心事となった。これは、社会史の用語や見方をも含んでいた。
第4のチャレンジは、1989年の東欧の大変動がもたらしたもの
3.社会史の今後のトピック(略)
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セミナーでは社会史のtransnationalität超国民国家性(無国境化)・Internationalisierug国際化に関する報告書(いずれ公刊される論文の草稿)の要約が15分ほどあったが、そのエッセンスは上記報告の中にあり、したがって、それについても、ここでは省略
[1] ケルブレ教授と私を除き、セミナー出席者は―出席者リストの記録にある限りで―、学部生が本学学生4名、早稲田大学商学部の学生1名、大学院院生が本学院生2名、東京大学大学院経済学研究科院生4名、本学教員(千賀、松井、只腰、小玉、吉田)およびフランスからの招聘責任者廣田功東大大学院経済学研究科教授のほか、千葉大学法経学部雨宮昭彦教授、千葉経済大学金子邦子教授、フェリス女学院大学上原良子助教授など。
内容:
さすがにヨーロッパ共同体歴史家会議の主要メンバーだけあって、60年代から70年代の社会史研究隆盛期から、今日の「確立された学問分野としての社会史」研究への変化がテーマ、方法、社会の変化による各種の挑戦などの論点に渡ってきわめて分かりやすく、興味深い総括となっていた。
TransnationalとInternationalの違い、国際化とグローバル化の違いなど、またイギリスのヨーロッパ統合に対する距離感などに関し、活発な議論が行われた。
ケルブレ教授と相談のうえ、上記論文およびドイツ語論文は、科研費出版助成を得て、今年度中に刊行する永岑・廣田編『ヨーロッパ統合の社会史』日本経済評論社の第一章に永岑が翻訳して収録することになっている。