知性とは?

叡智とは?

人間の脳とは?

 

養老孟司『バカの壁』新潮社、20034月刊行

 

p.79「人間の脳はチンパンジーの脳の約三倍になっている。」

 

p.78 「人間は幼児のときは、まだ脳の中にほとんどプログラムがない。要するに遺伝子入力で割りつけられたつなぎぐらいしかない。たとえば皆さんが,熱いやかんにさわって「アチッ」と手を引っ込めるときは、脳を使っていない。簡単に言えば本能というか反射というようなものです。それで、遅れて脳に届いて「アチッ」と言う。

 つまり、入力から出力と言うのは非常に単純につながっているわけです。最も単純につながっているのが動物や虫。反射的に行動しているわけで、これを通常、本能といったりもします。

 本能と言う単純な入出力がメインである動物や虫とは反対に、入力と出力の中間のところにできてくるバイパスだけが非常に大きくなったのが人間の脳です。目玉であれ、皮膚であれ、耳であれ、チンパンジーと人間ではさして変わらない。ほとんど同じと言ってもいい。遺伝子の塩基配列だって、98%以上同じです。チンパンジーの目玉と人間の目玉は、本質的には何もかわらない。そうすると、視覚入力は変わらないわけです。

 

 問題は人間の処理装置が巨大になっているところです。人間の脳はチンパンジーの脳の約三倍になっている。だから、大きなコンピューター=大脳が付いた。すると、今度は何が起こってきたかと言うと、外部からの入力で単純に出力する、というだけではなくなった。外部からの入力の変わりに、脳の中で入出力を回すことができるようになってきた。入力を自給自足して、脳内でグルグル回しをする

 よく言えば思索と言える・・・これはおそらく人間にのみ発生した典型的な事態です。虫でも動物でもそんな悠長なことはしていられない。

 では、このグルグル回しが無意味かといえば、もちろんそんなことはない。人間の身体は、動かさないと退化するシステムなのです。筋肉であれ、胃袋であれ、何であれ、使わなかったら休むというふうになって、どんどん退化していく。当然、脳も同じこと。・・・常に外部からの刺激を待ちつづけても、そうそう脳が反応できる入力ばかりではない。そこで刺激を自給自足するようになった。これをわれわれは「考える」と言っている。・・・

 入力があれば、神経細胞は次々次々、別の神経細胞に連絡していく。

 

 「神」に代表される抽象的概念というのは、このように演算装置の中だけでグルグル回転して作られたものである・・・

 神に限らず、人間が頭の中だけで生み出すものは非常に多く存在しています。これを昔は「概念」と言っていた。これをプラトンのイデアと言ってもいい。基本的にはそういうものは、外部との関係があるとはいえ、頭の中の産物です。