エマニュエル・トッド『帝国以後』抜粋

 

日本の読者へ(2003326日・・・アメリカ合衆国・ブッシュ政権によるイラク侵攻戦争の最中)

 

p.1アメリカ帝国の衰退」と言う仮説

「つい最近まで国際秩序の要因であったアメリカ合衆国は、ますます明瞭に秩序破壊の要因となりつつある。

 イラク戦争突入と世界平和の破棄はこの観点からすると決定的段階である。10年以上に及ぶ経済封鎖で疲弊した、人口2300万の低開発国イラクに世界一の大国アメリカ合衆国が仕掛けた侵攻戦争は「演劇的小規模軍事行動主義」のこの上ない具体例に他ならない。」

 

p.2

「アメリカは世界なしではやって行けなくなっている。その貿易収支の赤字は、本書の刊行以来さらに増大した。外国から流入する資金フローへの依存もさらに深刻化している。アメリカがじたばたと足掻き、ユーラシアの真ん中で象徴的戦争活動を演出しているのは、世界の資金の流れの中心としての地位を維持するためなのである。そうやって己の工業生産の弱体振りあくなき資金への欲求、略奪者的性格をわれわれに忘れさせようとしているのである。しかし戦争への歩みは、アメリカのリーダーシップを強化するどころか逆に、ワシントン政府のあらゆる期待に反して、アメリカ合衆国の国際的地位の急激な低落を産み出した。」

p.2-3

「アメリカの指導階層の経済的不安はほとんど手に取るように分かる。・・・

 アメリカ経済がこの戦争の衝撃に耐えられるかどうか分からない・・・

 この戦争は厳密に軍事的な面ではマイナーであっても、第一次湾岸戦争の時のように「同盟国」が財政負担を使用とはしなくなっているので、経済面では出費のかさむものであることが判明しつつある・・・アメリカ合衆国の赤字は国内と対外とを問わずに急激に膨張しつつある。全世界の指導階層は、世界資本主義の調節の中心たる大国はただ単に正常な経済合理性の規則を踏み外しつつあるだけではないかと、ますます疑いを強めている。

       ・・今後数年ないし数ヶ月間に、アメリカ合衆国に投資したヨーロッパとアジアの金融機関は大金を失うことになるだろうと予言することができる。株価の下落はアメリカ合衆国に投下された外国資産が蒸発してしまう第一段階に他ならない。  

p.3

「アメリカ合衆国は、自由世界のリーダーとして立ち現れるどころか、国連の意向に反してイラク攻撃を開始した。これは国際法の蹂躙であり、正当性の失墜は誰の目にも明らかである。・・・」

 

p.3-4

「ドイツは戦争に『ノー』と言った。・・・ドイツはフランスに、アメリカの戦争を遅らせるために国連で有効な手を打ち始める可能性を与えた・・・ドイツの戦争反対の姿勢がなかったら、フランスは何も出来なかっただろう。このように回復された仏独カップルの有効性は、まさにヨーロッパ人全体の感情を表現している。ベルリンとパリの行動はもちろんヨーロッパ連合内の他の諸国の暗黙の同意なしには不可能だったろう。現段階ではヨーロッパ・システムの周縁部諸国の政府は、新たに生まれつつあるヨーロッパという実体の戦略的利益の自覚には追いついていないようであるが、国民は違う。アメリカの戦争に反対する国民の反対は、スペインでも、イタリアやポーランドやハンガリーでと同様に、同質的で大衆的で明白であった。安保理での討論の際にアメリカのエリート外交官・ジャーナリストが露呈した盲目ぶりはまことに極限的で、ドイツが孤立していると決めつけたものであるが、実はその時ドイツは、その独立行為と平和への愛着によって、強固な国際的正統性を回復していたのである。」

 

p.5

「最も意外な離反は、トルコがアメリカ軍の領土通過を拒絶したことだった。このNATOの軍事的支柱は、アメリカへの支援を棄てて、国家的利益を選んだのである。この事例ほどアメリカ合衆国の現実の弱体振りを具体的に例示したものはない。」

 

p.6

「この外交危機の間、同盟国の離反が起こっても、ワシントン政府はそのつど反撃し、強制力なり報復能力なりを行使することは出来なかった。その理由は簡単である。アメリカはその対外政策のための経済的・財政的手段をもはや持たないのである。通商の黒字によって蓄積される現実の金(カネ)は、ヨーロッパとアジアにある。アメリカはもはや財政的に言って、世界規模の栄光の乞食にすぎないのであるから。アメリカから発されるいかなる経済制裁の脅かしも、いかなる金融フロー中断の脅かしも、もちろん世界経済にとって破滅的には違いないが、それで先ず最初に打撃を受けるのは、あらゆる種類の供給について世界に依存しているアメリカ合衆国それ自身なのだ。・・・真の国力とは経済的なものであり、その国力をアメリカ人はもはやもっていない。超大国アメリカというのは、習慣でもっているだけの神話に過ぎない。」

 

p.6-7

「日本はこの危機の間、あまり活動的ではなかった。少なくともそれだけは言える。しかし日本の住民の深層の感受性はおそらくヨーロッパ人のそれに極めて近いと思われる。・・・・・

 日本政府がアメリカの行動を受け入れた理由は、日本の地政学的孤立によって大方説明がつく。ドイツはヨーロッパの中に包含され、一応は核武装大国であるフランスと手を結んでいるため、非常に弱体化したロシアと協調することができ、戦略的犠牲をあまり払うことなしに、アメリカの統制を逃れることが出来る。日本の方は、北朝鮮問題と、アメリカ合衆国に替わる地域的同盟者がいないことを考慮しなくてはならない。」

 

p.7-8

「もしかしたら、アメリカの戦費に日本が財政的協力をしないというだけでも、アメリカ・システムの崩壊には十分な貢献となるかも知れない。確実なのは、ドイツが第二次世界大戦中の一般市民への大量爆撃の被害の意味について敢然として考慮しようとしている現今、イデオロギー面において、世界は1945年の核攻撃に関する論争をしないで済ませることはできない、ということである。ある種のアメリカの軍事行為は、戦争犯罪のカテゴリー、場合によっては人類に対する犯罪のカテゴリーに入れられるべきなのである。世界がこの論争を受け入れない限り、アメリカ合衆国は非武装住民に対する爆撃というお気に入りの軍事的慣習行動に専心することを、たいした批判も受けずに続けることができるだろう。」

 

p.9

「ロシア、日本、ドイツが、そしてイギリスが−あり得ないとはいえない−外交的自由を取り戻した時に初めて、第二次世界大戦から産まれた冷戦の世界は決定的に終わりを告げることになるだろう。イデオロギーと帝国の時代は終焉を迎えるだろう。複数の大国−ヨーロッパ、アメリカ合衆国、ロシア、日本、中国−の間の均衡がシステムの規則となるだろう。これらの大国のうちのどれ一つとして、自らをこの地上における『善』の独占的・排他的な代表であると宣言することはなくなるだろう。それによって平和はより確実に保証されるだろう。」

 

p.10

1980年のソ連軍のアフガニスタン侵入はソヴィエト帝国の崩壊を妨げはしなかった。むしろ逆である。イラクに対する戦争は、アメリカ・システムの命を救うことはないであろう。」

 

 

開 幕

 

p.22

911日の同時多発テロ・・・ワールド・トレード・センターへの攻撃の直後、アメリカの覇権の最も奥深く最も好感を呼ぶ側面が姿を見せた。つまり世界は経済生活の資本主義的編成[1]政治生活の民主主義的編成のみが唯一妥当にして可能な編成である、ということであった。アメリカの覇権はその世界の中で受け入れられた権力である、ということであった。アメリカの主たる強みは、その正統性[2]であるということが、その時はっきりと目に見えたのである。世界中の諸国の連帯は即座に表明された。あらゆる国がテロを断罪した。」

 

p.27

ポール・ケネディ(1945年生、イェール大学教授)、サミュエル・ハンチントン、ズビグニュー・ブレジンスキー(1928年生、カーター大統領安全保障担当補佐官)、ヘンリー・キッシンジャー、ロバート・ギルピン(プリンストン大学アイゼンハワー記念公共国際関係講座名誉教授)の共通項・・・「相互の見解の相違を超えて、同じように節度あるアメリカ像」

 「そのアメリカは、無敵不敗とはほど遠く、人口が増大し、ますます発展する世界の中でその相対的勢力が減少するという容赦なき現実を管理していかなければならない。」・・・彼らの著作の「どれを読んでも、アメリカ合衆国の強さについては不安に満ちたイメージを突きつけられるのであり、その世界に対する支配力は脆弱で脅威に曝されているように見える・・・」

 

p.33

「民主主義が至る所で勝利するのなら、軍事大国としてのアメリカ合衆国は世界にとって無用のものとなり、他の民主主義国と同じ一つの民主主義国にすぎないという事態に甘んじなければならなくなる・・・

 このアメリカの無用性というものは、ワシントンの基本的不安の一つであり、アメリカ合衆国の対外政策を理解するための鍵の一つなのである。」

 

p.35

アメリカの「19世紀の孤立は、現実には外交と軍事のみの孤立だった。なにしろアメリカ合衆国の経済成長は、ヨーロッパから到来する二つの不可欠な連続的フロー、すなわち資本と労働力のフローの供給を受けることができたのだからである。ヨーロッパからの投資と識字率の高い労働力の流入が、メリカの実験の真の経済的原動力であった。その結果、19世紀末には、アメリカの経済は世界で最も強大となっただけでなく、大量に原料を生産し、通商において大幅に輸出超過となる、世界で最も自己充足的なものとなっていた。」

 

p.36

1950年から1990年までのアメリカの支配の全般的有益性・・・」

 

p.37

「共産主義の崩壊は、依存の過程を劇的に加速化・・・

 1990年から2000年までの間に、アメリカの貿易赤字は、1000億ドルから4500億ドルに増加した。その対外収支の均衡をとるために、アメリカはそれと同額の外国資本のフローを必要とする。」

 

p.38

「アメリカは、相対的な経済力に関しては随分と落ち込んだとしても、世界経済全体から金を取り立てる能力を大量に増加させることに成功したのだ。つまりアメリカは客観的には略奪をこことする存在になったわけである。」

 

p.39 アメリカ民主主義の退化と戦争の可能性

p.40

高等教育の進展・・・災禍をもたらす前進、寡頭制への前進。民主制のあとに寡頭制が到来した。あのアリストテレスの世界への驚くべき回帰に他ならない。

民主主義がユーラシアに定着し始めたまさにその時に、それはその誕生の地で衰弱しつつある。アメリカ社会は、基本的に不平等な支配システムに変貌しつつあるのだ。」

 マイケル・リンド(政治ジャーナリスト、『ニューヨーカー』『ナショナル・インタレスト』等の編集委員)がその『次なるアメリカ国家』の中で完璧に概念化して見せている。特に民主制以降のアメリカの新たな指導階級、オーヴァー・クラス(上級階級)の最初の体系的描写・・・」

p.42

「イギリスでも同じ文化的階層分化の過程が進行している。

マイケル・ヤング(19152002)『メリトクラシー』原本1958年、邦訳1982年窪田鎮夫、山元卯一訳、至誠堂

「イギリスとフランスという、歴史によってアメリカ民主主義に結び付けられる二つの古くからの自由主義国は、同様の寡頭制による衰退の過程に足を踏み入れている。

 

p.45-46 アメリカ合衆国の現在の行動=劇場的軍国主義

「イラク、イラン、北朝鮮、キューバなどの小国に目標を定める・・・二流の行為者と「対決」し、アメリカの国力を誇示する・・・それはアメリカ合衆国とともに世界の統制を分担するように求められている主要大国、つまりヨーロッパ、日本、そして中期的にはロシア、長期的には中国が、自覚に至るのを妨げる、とまでは無理にしても、せめて遅らせるため・・・アメリカはせいぜい、イラク、イラン、北朝鮮、もし桑キューバに立ち向かう力があるに過ぎないのだ。取り乱して、アメリカ帝国の出現を告発する理由などこれっぱかりもないのである。実際はそれはソヴィエト帝国に10年遅れて、解体の一途を辿っているのだから。」

 

p.47

第1章     全世界的テロリズムの神話

 

p.50

文化革命(の急進展)

p.50-51

 1980年から2000年までの間に、15歳以上の人間の識字率、つまり読み書きのできる大人の比率は以下のように上昇した。ルワンダでは40%から67%に、ナイジェリアでは33%から64%に、コート・ディヴォワールでは27%から47%に、アルジェリアでは40%から63%に、南アフリカでは77%から85%に、ジンバブエでは80%から93%に、コロンビアでは85%から92%に、アフガニスタンにおいてさえ、識字率は同じ期間に18%から47%に上昇した。インドでは41%から56%、パキスタンでは28%から43%、インドネシアでは69%から87%、フィリピンでは89%から95%、スリランカでは85%から92%、タジキスタンでは94%から99%に上昇している。イランでは、読み書きのできる人間の比率は、ホメイニ革命初期の1980年には51%だったのが、2000年には77%に達している。中国では識字率は、1980年にはすでに66%だったが、今日では85%になっている。

 このような調査はすべての貧しい国について行うことができるが、今やすべての国は、文化的発展の全般的競争に突入したように見える。マリやニジェールのような最も遅れた国も例外ではなく、マリの識字率は1980年に14%だったのが、2000年には40%に増加しているし、ニジェールではより慎ましい前進だが、8%から16%の上昇となっている。この率はまだまだ低いが、15歳から24歳の若者だけを見るなら、ニジェールはすでに識字率22%、マリは65%に達している。

 この過程はまだ完了していない。文化的発達の水準はまことに多様である。しかしそれほど遠くない将来に、地球全体が識字化されることは予想される。加速化の原理を考慮に入れるなら、若い世代については2030年頃には地球全体の識字化が実現されると考えることができる。文字の発明はおよそ紀元前3000年に遡るが、人類が文字に関わる革命を隅々まで実現するには5000年かかったということになろう[3]

 

識字化とグローバリゼーション

 

p.52

 読み書きの習得−それに伴う基本的計算の習得も忘れてはならないが−は、ついに全世界に拡大した心性の革命の一側面、一段階にすぎない。人間は読み書き計算ができるようになると、ほとんど自然に自分の物質的環境を統御するに至る17世紀から18世紀初頭に至るヨーロッパと同様に、今日アジアとラテンアメリカで、経済的テイクオフが、教育的発達のほとんど自動的な帰結として進行している。自由貿易と金融のグローバリゼーションという状況の下では、経済成長は抑えられ歪められるが、しかし全くゼロということはない。低賃金地域への工場の移転は、ブラジル、メキシコ、中国、タイ、インドネシアにおける教育の進歩なしには不可能であったという事実を、アメリカ人、ヨーロッパ人、日本人は、承知しておかなければならない。 

 かつての第三世界の労働者たち−その低賃金がアメリカやヨーロッパや日本の賃金を圧迫するわけだが−は、読み書き計算ができるのであり、彼らが搾取可能であるのは、そのためなのである。アフリカのように、教育普及の過程が完了していないところには、工場の移転は行われていない。経済のグローバリゼーションは、超時間的な原則ではなく、工業のテイクオフの最初の中心地以外の場所に、識字化された労働力が相対的にふんだんに存在するという歴史的に特殊な全世界的環境における、利潤の最適化[4]の技法に他ならない。

 

 

 

 

 

 



[1] 近代世界資本主義は、1516世紀以来の発展史をもち、19世紀産業革命を経て、全世界に浸透し、拡大進化している。最近の資本の世界的移動は、信用機関の高度な発展、IT技術などで、ますます瞬時のものとなっている。資本の運動の世界規模化が、20世紀の間に飛躍的に発展したといえよう。そのような最高の発展段階に現代資本主義がある。株式、公的私的債券の売買。そして外国為替の売買が、瞬時に世界的規模で行われる。その神経中枢の最も大きなものがニューヨーク(証券取引所、金融センター)であり、その金融の背後に貿易の神経中枢(すなわちワールド・トレード・センター)がある。

 この貿易と金融の、世界全体の経済生活と信用の神経中枢を守ることは、世界の関心事である。一極、一つの神経中枢だけが危険だとすれば、ネットワーク型神経中枢にしなければならないだろう。その神経中枢の大規模集積箇所が、ニューヨークのほか、ロンドン、フランクフルト、東京、などであろう。

[2] 問題は、世界貿易センター、ペンタゴン、ホワイトハウスなどアメリカの政治・軍事・経済の権力を象徴する中枢への攻撃が、テロ組織によってなされたということ、そのテロ組織の背後に、アメリカ型政治・軍事・経済の正統性を認めない勢力が、テロという手段には批判的でも、世界の多くの地域でいるということである。

 

[3] 宇宙史(150億年の時間・150億光年の空間)、太陽系の歴史(46億年)、地球史、生命史の長い系列からすれば、人類すべてが識字化する期間は実に短期間であり、すばらしいスピードだとも言える。その最高の発展段階にわれわれは生きているのだ。

 

[4] 「最大化」ではないのか?