ユルゲン・ハーバーマス、ジャック・デリダ、ジョヴァンナ・ボッラドリ
『テロルの時代と哲学の使命』岩波書店、2004年1月刊
抜粋
序 テロリズムと<啓蒙>の遺産
アリストテレスの歴史に対する態度・・・p.3「アリストテレスの有名な宣言によれば、哲学は普遍的原理を研究し、歴史は特異な諸々の出来事を研究するのだから、『詩でさえ、歴史よりも哲学的である[1]』。」
p.4 アリストテレス以後、歴史に対する哲学の無関心は、西洋の伝統を18世紀中ごろまで支配したが、この時期に至り、現在が過去との根底的な断絶の可能性をはらむことをフランスとアメリカの両革命が露にした。・・・
カントはその保守的な傾向にもかかわらず革命精神を賞賛した。革命精神が権威(過去の権威も含めて)に対する独立の感覚を個人に与えたからである。カントとその他の<啓蒙>哲学者たちにとって、理性の自己肯定は歴史的なインパクトを持つことが明らかとなったが、その理由は、いかにして現在をより良き未来へ造り直せばよいのかを、ただ理性のみが指示できるからである。・・・」
p.4-5「カントからちょうど一世代後のヘーゲルは、理性自身が歴史と緊密に結びついていると宣言したとき、歴史と哲学の距離を縮める最後の一歩を踏み出した。ヘーゲルにとっての理性は、人間的存在者ならば誰でもが生まれつき具え、自律的な地盤の上で肯定できるような、抽象的な心の能力ではない。むしろ理性は、個人が自p.14自身を共同体の一部として理解するその仕方から生じるのである。もし思考能力が時代と文化の払拭し難い刻印を帯びているのならば、ただ歴史研究のみが、世界のうちにある私たちの本姓と位置を明らかにすることができる。ヘーゲルの見方からすれば、理性自身は歴史依存的であるのだから、アリストテレスの断定はひっくり返されなくてはならない。すなわち、哲学を除けば、歴史以上に哲学的なものはほかにないのだ。」
p.5-6「歴史ほど哲学的なものはないと信じることが意味するのは、個人の選択は外的な諸力との不断の交渉において形成されるという事実に気づくことから真の自由は始まる、ということだ。かくして自由は、外的な力を制御できるようになるその程度によって測られるのであって、さもなくば、逆に私たちが外的な力によって制御されてしまうことになるだろう。」
ハーバーマス・・・1929年生まれ
p.12「ハーバーマスとデリダは、・・・20世紀ヨーロッパの歴史のトラウマ、すなわち植民地主義、全体主義、そしてホロコーストのコンテクストのなかで哲学と出会い、哲学を職業とするようになったのである。」
p.14-15「罪は単に個人的なものではなく、また責任は単に個人的な選択を行うことから生じるのでもない。これはハーバーマスとデリダが共有する論点であるが、それは彼らがアーレントと同じくホロコースト以後の哲学者であることを意味する。
ハーバーマスは、罪と責任が私たちの日常的な相互交渉のコンテクストのなかに植え込まれている様をはっきりと語っている。ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインを引用しながら、彼はこのコンテクストを『生活様式』と呼ぶ。
後に続く世代の成長も、それが可能となった生活様式の内部からの成長であるという単純な事実が存在する。私たち自身の生活も、アウシュヴィッツが偶然の状況からだけではなく本質的に可能となった生活コンテクストと結びついている。私たちの生活様式は、家族、地域、政治、知といった諸々の伝統の網目(それを解きほぐすのは困難である)を介して、すなわち私たちを今ある自分たらしめた歴史環境を介して[2]、親や祖父母たちの生活様式とつながっているのである。」
p.16 デリダ・・・1930年生まれ、アルジェリア、エル・ビアール育ち・・デリダがナショナリティと運命共同体という支柱をじかに体験したのは、1942年10月に彼が、エル・ビアール近郊の、かつて修道院だった場所にあったベン・アクヌーン高校を追放されたときだった。排除の理由は粗暴なふるまいなどではなく、フランスへの、そしてアルジェルアも含めた植民地への人種差別法の適用だった。彼が辛そうに振り返るところによれば、1942年に追放された少年は、「少し色黒で、とてもアラブ風の顔立ちをしたユダヤ人で、彼は放校について何がなんだか理解できなかった。誰も彼にその理由についてほんの少しの説明もしなかった。両親も友人たちも。」
p.16-17
「第二次世界大戦の暗黒の中で、ジャン=ポール・サルトルのような実存主義の哲学者たちは古典的な人間主義の新しいヴァージョンを打ち出そうと望んだ。サルトルは人間を 「人間的実在[ハイデガーの『存在と時間』がアンリ・コルバンによって最初にフランス語に翻訳されたとき、コルバンがDaseinにあてた用語realite humaine]」と定義し直すことを提案したが、その用語で彼が言わんとしたのは、人間主体を世界から切り離して理解することはできないということであった。