公立大学と自治体------横浜市の場合-------

                       

                            横浜市立大学 藤山嘉夫

               

1 中田市政の誕生と大学の市場化  

20024月、横浜市長選が行なわれ、312年勤めた現職で、共産党を除く全ての政党の支持を受けて立候補した高秀秀信氏が松下政経塾出身の新人中田宏氏に敗れた。中田氏は、無党派市民層に支持を訴える手法で票を集め、大方の予想を覆す結果となった。

 中田市長は、新自由主義の立場に立った徹底した民営化論者である。市立保育園、住宅供給、市立港湾病院、市立大学、学校給食などを次々にその対象として設定してきている。現場や関係者の声を取り入れることなく進められることに対して現場から悲鳴が上げられている。市立港湾病院については、昨年9月の市会で公設民営化に向けた病院条例改正案が可決された。これに関する声明文を出した病院長が市当局の撤回要求に応じなかった問題で、横浜市は、病院長ら港湾病院幹部職員4人を処分した。市立保育園の問題では、4月から4園を廃止して民営化することを決定したが、これに対し、4園の保護者と園児ら68人が廃止処分撤回を求める訴訟を横浜地裁に起こした。

中田氏は、ニュージーランドの行政改革・民営化の手法をモデルとして重視している。なかでも、市立港湾病院、横浜市立大学については、外部委員を入れた「あり方懇談会」方式を採用し、これによって外堀を埋める手法をとってきた。現場や関係者の意見を取り入れることなく、構想のみを一人歩きさせることをその特徴のひとつとしている「新しい行政経営(NPM)」 の手法である。

 200293日に発足した市長の諮問機関「市立大学の今後のあり方懇談会」の討議経緯と答申内容、そして、その後の展開は、まさに、この手法に沿ったものであった。市大の在り方を論ずるにも拘わらず、市大の関係者をその委員としてひとりも参加させていないこの懇談会は、市大事務局が資料提供と資料説明を行なうことによって、事務局主導で展開されたのである。しかも、事務局が資料操作を施すなど、それは極めて公正さを欠くものであった。

 2003227日の「あり方懇」の最終答申では、「横浜市立大学の累積負債」は1140億円であるとして、それらの大部分が市立病院建設などの市債残高であるにもかかわらず、あたかも横浜市立大学自体が膨大な赤字を出しているかに描いた上で、「@大胆な改革で生まれ変わり、存続する、A有力私大に売却する、B私立大学に転換する、C廃校とする・・・現状のままで存続する道は、全く考えられない」としている。

 そして、市大の現状についての分析をおこなわず、また、改革理念をまったく語ることなく、以下のような事項を含んだ60項目にわたる具体的提案がなされている。 @研究を行わない教育大学にし、「プラクティカルなリベラルアーツ」(?!)を教育する。Aまったくその理念を論ずることなく3学部を統合する提案。B独立行政法人化。C教員身分は非公務員。D教員の新組織への移行は無条件ではなく再就職。E年俸契約を原則。F主任教授制を採用し、教員は主任教授が選考。G任期制・公募制。H主任教授は任期なし。I市費による研究費負担は原則として行わない(外部資金が得られれば研究をする)。J学費を値上げする、等々、独法化のさらにその先を行くような提案がなされているのである。

 こららが、すべて実現されるとすれば、自由闊達を旨とすべき大学としての本質が、完全にといって過言でないぐらいに剥奪されることになる。日々を生きる学生諸君に日常的に接触し、即座には成果の出にくい基礎研究を地道に積み上げることの必要な教育・研究の現場は、明らかに変質し、大学とは似て非なるものが創出される。これは、現場の声・関係者の声を取り入れないことの帰結であり、NPMの手法が、教育と研究という効率性になじまない領域においていかに否定的な帰結をもたらすかを如実に示している。

 

2 学長・事務局の秘密主義・トップダウン

中田市長は、重要な施策を職員に周知する前にいきなり記者会見で発表するなど戦略的方針をトップダウンで決定するというNPMの手法を実行しているが、学内においても学長と事務局が一体化して極端な秘密主義とトップダウンで作業を推進してきた。  

200357日、市長は「市立大学改革について」を発表し、「あり方懇答申を踏まえ」ること、および、「独立行政法人を念頭に置」くこと、この2点を前提にした改革案を大学側が作るべきことを強調し、学長は、市長に対してこれを確約した。市長サイドは、「報告を見て設置者としての改革方針を決定」するが、改革案の内容次第では「他の選択肢を用意」すると述べた。つまり、それが市長の意に染まないものであれば、市が引き取るという宣言である。その期日が10月末日とされ、学長はこれを約した。このような市長の要求の仕方、これはまさに、大学の自立性への行政介入であり、教育は「不当な支配に服することなく」とする教育基本法第10条の精神に反するものである。

 514日、大学内に教員、職員ほぼ同数からなる「プラン策定委員会」を発足させ、市の側には、同時に、副市長を本部長とする「市立大学改革推進本部」が設置された。「プラン策定委員会」に教員・職員7名ずつからなる「幹事会」を構成し、幹事には厳しい箝口令を敷き案の作成を開始した。

   1029日、横浜市立大学の小川学長は、横浜市大学改革推進本部会議において「横浜市立大学の新たな大学像について」(以下、「大学像」)を提出した。「大学像」はその基本的な論点に関して、先に見た「あり方懇」答申を継承した内容となっている。

本「大学像」とその伏線となってきた諸案(「あり方懇」答申、「大学改革案の大枠の整理について」、「大枠(追加)」「横浜市立大学の新たな大学像について(案)」)に関して、本質的な諸論点に対して学内で厳しい批判が相次いできた。各学部の教授会、臨時教授会、付置研究所の教授会、評議会、臨時評議会、プラン策定委員会などにおいてそれらに対する極めて厳しい批判が続出した。学部教授会、大学院研究科委員会、研究所教授会において、「あり方懇」最終答申以来わずか10ヶ月の間に20件近くの反対決議や教授会見解、遺憾表明、意見が出されているのである。したがって「大学像」は決して全学の総意を結集したものとはなっていない。

 

3 最大の関係者としての市民

 横浜市立大学の歩んでいるこの過程は、国や自治体の設定した「中期目標」に対してトップダウンの形で「中期計画」を立て実行に移すという法人化された大学の歩む道を体現しているとも言える。そこに共通している原理とは、効率主義の徹底、「成果」主義になじまないものの排除という思想である。

 効率主義の徹底は、構想と実行を分離し(テーラー!!)、現場や関係者の声を無視する手法によって貫徹されていく。だがこの手法は、政治家にとっては、アキレス腱でもある。関係者とは、政治家を選択する市民に他ならないからである。公立大学が市民との連携をいかに創出しうるか、このことが深刻に問われている。(227日脱稿)