大学教員任期制法の濫用から学問の自由を守るための法解釈、法政策論
―京都大学井上事件をふまえて
神戸大学 阿部泰隆
一
井上事件
1997年に施行された大学教員任期制法(平成9年法律第82号、以下、本書では基本的には、任期制法と略する)に基づき任期制を導入する動きが、特に医学部系の学部・研究科を中心に広がっている。また、都立大、横浜市立大、長野大では任期制を全学的に導入しようという動きがある。
これはきわめて危険な動きである。それを現実に証明するのが、京都大学再生医科学研究所で、再生医療学界の権威、井上一知教授が、任期制の罠に嵌って、「失職」扱いで追い出された事件である。筆者は、これを山崎豊子の小説「白い巨塔」(適法な内部紛争)というよりも、「黒い巨塔」事件という方が適切だと理解している。また、学問の自由を守ったことで、歴史に記憶される滝川事件(1933年)は、文部省の弾圧に京大が抵抗した事件であったが、この事件は皮肉にも、京大が研究者の学問を弾圧した事件である。そこで、筆者は本件を、昭和の滝川事件に比して、平成の井上事件と称している。
もともと任期の付かない教授の公募に応募したところ、発令を引き延ばされて、その間に、任期制の規程が施行されて、再任が原則ですとして、任期への同意を騙し取られ、業績がありすぎて、外部評価委員会で高く評価されたのに、理由の明示がないまま、研究所協議員会(教授会のようなもの、研究所の教授のほか、一部他学部の教授も参加している)で再任が拒否されて、任期で「失職」という扱いにされたのである。
これに対して、井上教授は、学内での救済手段を失ったので、社会正義を信じて、京都地裁に訴え(地位確認の訴え、「失職」処分・再任拒否処分の取消しの訴え、再任発令をせよという義務づけ訴訟)を提起し、仮の救済である執行停止を求めた。弁護団は最初民事保全法に基づく仮処分を求めたが、公務員事件はなぜか公権力の行使で、仮処分は禁止されるという行政事件訴訟法44条の悪法のために審理が進まなかったので、行政訴訟に転換したのである。
本件は民事労働事件なら簡単に原告勝訴になる。しかし、行政事件となると、 法律上の論点としては、実体法上違法事由があるのかを論ずる前に、まずは、行政訴訟の対象になるのかという障害物が立ちはだかる。裁判所が、法律に「任期」が明示されているので、動かしがたいと感ずると、権利救済は瓦解する。法治国家が逆に権利救済を阻害しているのである。
二
失職通知は行政訴訟の対象となる「処分」である
本件では、まずは、法律上の論点として、本件が、行政訴訟の対象として取り上げられるべきものかどうかという、いわゆる窓口論争が行われた。行政訴訟の対象は、行政事件訴訟法3条に定めるいわゆる「行政処分」である。それは「直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているものをいう」。たとえば、定年は「失職」である。これは法律で定めた効果が自動的に発生するもので、任命権者が権利義務を形成することはないから、裁判所がこれを取り消すこともできない。しかし、免職なら、行政庁の判断で、職を奪うので、処分に当たるわけである。
原告側は、当初は、再任拒否があまりにもずさんで策略に満ちて違法であること、再任審査が適法に行われれば任期が更新されること、したがって、井上教授は任期により「失職」したものではなく、違法な再任拒否により「失職に追い込まれた」ものであるから、これは、免職処分と同様に評価されるものであり、行政訴訟の対象となる「行政処分」であると主張した。これはやや難しいが、要約すれば、任期制法は、その法律自体では、再任されなければ失職するという法律構成を採っているので、失職はまさに失職であって、処分ではないとされやすいが、他方、同じ任期制法、文部科学省令に基づき委任された学則・学内内規において再任可とする定めをおいている場合には、任期付き教員に法令により再任申請権を附与したものであるから、これに対する恣意的な再任拒否の決定はその権利を制限する処分であり、その結果の失職は、期限の到来によるものではなく、再任拒否という人為的な法的判断によるものであるから、抗告訴訟の対象となる行政処分である。それは、失職という法的効果を生じさせるものであるから、単なる拒否処分(それならば、執行停止の対象にならない)ではなく、失職へと持ち込む免職処分(不利益処分)であるから、執行停止の対象になる。また、研究所「内規」も文部科学省令の再委任立法であり、少なくとも行政規則の外部拘束力という、今日一般に承認されている学説によっても、この「内規」は井上教授と京大の間に、申請に対して適法に応答すべき法律関係を生じさせるので、再任拒否は行政処分というべきであるというものである。この段階で阿部泰隆意見書も提出されていた。また、原告側は、再任発令せよと言う義務付け訴訟、任期が無効であるとして、教授たる地位の確認訴訟も提起していた。
しかし、京都地裁は、2003年4月30日の執行停止却下決定において、これはやはり「失職」であるとして、この訴えを相手にしなかった。これは、任期で終わり、再任に関しては、権利はないという、形式論的判断である。
井上教授は、大阪高裁に即時抗告の申立てをして、さらに園部逸夫、平岡久、矢野昌浩意見書を追加提出した。研究所の内規は法規範であり、再任拒否が不利益処分であることは、阿部の独断ではなく、これらによってより説得的に明らかにされたのである。しかし、大阪高裁下方元子裁判長は、弁護団によれば、裁判官の任期制と同じと理解したらしく、無理というので、原告は無念の涙をのんで、これを取り下げ、2003年9月から、京都地裁で本案審理を求めた。
その結果、学術振興会の5年継続の科研費もいったん打ち切られることとなった。交渉の結果、研究代表者の変更で2003年度だけ認められ、以後は打ち切りとされ、井上教授は、実際上研究を継続するのに至難の苦労をすることとなり、また、糖尿病に関するこの研究の成果を期待する者を失望させる。
さらに、原告教授の病院での診療の突然の拒否(10数年間井上教授が診察してきた患者を事務局が突然切り離し、医師と患者の信頼関係を侵害したこと)、研究室からの追い立ての試みなど、種々の妨害行為が行われている。
行政訴訟が機能不全に陥っている典型例であると思う。
三 任期への同意徴収はそもそも騙し討ちで無効
1 「同意」の瑕疵の論点を追加
京都地裁は、本案訴訟でも、本件は「失職」であり、それは法律判断であるから、事実審理を要しないとして、結審しようとしたので、原告側は500名にも上る署名を提出した(http://www.ac-net.org/poll/2/)。多数の方からの心温まる支援をいただいたのである。
そして、法律論として、2003年12月16日の法廷で、原告側は、私の理解では、おおむね次のような主張を追加した。任期による失職は任期が適法に付されたことを要件とするが、同意を適法に徴収していないとか、任期を付すことができる場合に当たらないのにこれに該当するとしたなど、任期を付すことが違法である場合には、任期はついていないこととなる。したがって、任期のない教授の地位を確認することができる。それにもかかわらず失職扱いにすることは、失職へと持ち込む免職処分と解される。
そして、「同意」が適法に徴収されたかどうかは、事実問題であり、井上教授の本人尋問のほか、前所長、外部評価委員である東大出月名誉教授の尋問なくして解明できないと。
裁判所は、さすが、結審できずに、「同意」の点に限ってと条件を付けたが、井上教授の本人尋問を行うこととした。それが2004年2月18日である。井上教授の返事はしっかりしていて、京大側の反対尋問は支離滅裂で、被告代理人はまじめにやる気がないと思われた。本当は京大が悪いとわかっているためではないか。陪審裁判、裁判員裁判なら、完全に原告勝訴である。私たちも完全勝訴を確信したが、しかし、今の京都地裁の態度では、一抹の不安があった。
2 「同意」を取られた経緯とその無効の根拠
憲法上(80条1項)当然任期制となっている裁判官の場合には任期への同意徴収は不要であるし、一般の公務員には身分保障があるから、任用への同意は必要であるが、任期への同意などの問題は起きない。これに対し、大学教員の任期制は、法制度上全くの例外であるから、任期制法4条2項は、任命権者は、「任期を定めて教員を任用する場合には、当該任用される者の同意を得なければならない。」と定めている。本人にきちんと説明した上で、同意を得るべきである。
しかし、井上教授が公募に応じた平成10年1月には任期制の条件はなかった。そのうえ、発令は平成10年4月1日の予定であったが、なぜか、発令が同年5月1日に1ヶ月延期され、その間の4月9日に任期制の京大規程が施行された。
そして、井上教授が任期について同意書を提出したのは平成10年4月20日であったが、それは、事務長から、京大の任期制規程を見せられ、「普通に、まともに仕事していれば、定年まで何度でも再任される性質のもの」との説明を受け、そこに定められた別紙様式通りのひな形に従って書かされたものである。
しがたって、任期が到来したときに行われる再任審査が新規採用と同じという趣旨とはまったく想定できなかったのである。任期制法を特に勉強しているわけではなく、この法律が施行されたばかりで、特に事件のなかった当時は、これが普通の人の心理であろう。
ところが、最近になって(平成15年7月25日)、研究所は、HPで、平成10年4月21日の「原則再任しない」という協議員会の申し合わせが根拠だといいだした。しかし、これは、井上教授の同意を取った翌日に、同教授にはその内容を知らせることなく行われたものである。これが根拠なら、研究所は、表向き、再任が原則であると説明し、裏では、再任を原則としないと、二枚舌を使っていたことになる。井上教授の同意は錯誤に基づくもので、無効である。また、協議員も、この事情を知らされずに、再任を原則としないという前提で、否決の投票をしたもので、錯誤に陥っていたから、その決定も無効ではないか。この点は第4章で詳述される。
また、法廷で、京大代理人は、任期制の同意を騙し取っても、任期は有効だなどと主張した。およそ学問をやっている学長の代理人の言葉とは信じられないことである。私は、これから、京大を「詐欺大学」と命名したい。京大出身者・関係者はこれに反発するが、代理人が詐欺でも有効といえば、学長がいったことで、学長に本件を解決してと要望しても、まともな返事がないから、詐欺の共犯になることは明らか。それは京大がやったことになるので、京大を詐欺大学と命名されても文句が言えるはずがない。文句は私に言う前に、京大当局にいうべきだろう。
しかし、京都地裁はこの本人尋問だけで結審して、2004年3月31日判決が予定されている。
四 実体法上の違法事由
1 概要
本件「同意」は適正な再任審査を前提としているので、それが行われないのであれば、錯誤であり、任期という附款は無効であるという前記の主張、任期制法の違憲のほか、以下に述べるように、多数の違法事由があると思われる。
2 外部評価に「基づく」との審査基準
本件研究所では、人事の最終権限は協議員会にあるが、再任拒否の判断をする前に、再生医療を専門とする井上教授の業績を理解できる専門家からなる外部評価委員会を設置して、その評価に「基づいて」決めるという内規が制定された。そして、その外部評価では、井上教授の「再任を可とすることに全委員が一致して賛成し、今後の活躍に期待をしめした」。したがって、これを覆すには、外部評価に重大な誤りがあるか、外部評価とは別の重大な不適格性を指摘する必要がある。
3 再任拒否の理由
そして、研究所では、当初は、この観点から審査されたものと思われる。後述のように、研究所長が、外部評価報告書の作成に介入して、評価を引き下げようとしたことや、平成14年11月12日の協議員会議事録に、当初「井上教授退出後の審議で、井上教授の説明内容にいくつか問題点ありとされたが、外部評価委員会の結論を尊重するとしている以上外部評価委員会の結論を覆すだけのものがあるかについて議論がされた。」という記載があること、京都府立医大との合同申請により行おうとした共同研究に「医の倫理」の問題があるのではないかとされたことがその証拠である。
しかし、この共同研究は、糖尿病患者の治療に大きく貢献する自家細胞注入治療といったもので、倫理上何らかの問題があるはずもない。
そうすると、外部審査委員会の結論を覆す理由は見あたらない。したがって、この再任拒否は外部評価「に基づく」という内規違反であり、自ら定めたルールを自ら踏みにじる恣意的なものであるから違法である。
研究所もこのことに気が付いたのか、前記のように、実はこのポストは、5年で原則再任しないポストだったとして再任拒否を正当化しようとしているが、それは前記のように、「同意」の錯誤無効すなわち任期の附款の無効を惹起するものである。
いずれによっても、この再任拒否は違法というしかない。
4
不公正な再任審査のしくみと運用
この京大のしくみでは、任期制の適用を受ける協議員は、井上教授だけで、他の教授は安全地帯にいて、同僚の身分を左右する。これはきわめて恣意的な運用を可能にする。
また、この協議員は、井上教授の専門を理解できる人がたくさんいないのに、外部評価委員という専門家の判断を無視した。
協議員会は無記名投票で決め、しかも白票は反対票と数えるという制度となっていたので、きわめて無責任な決め方であった。
5 所長の越権行為
この前研究所長が、外部評価委員会に働きかけて、一部は原告に不利に修正させた。他方、再任に全委員賛成という文章を、特にそれを不可とする意見はなくという消極的な文章に書き換えさせようとしたとか、「国際的に平均」という評価から「国際的」を落とそうとして失敗した。井上教授に辞職するように説得を依頼して失敗した。これは外部評価委員出月東大名誉教授から明らかにされている。
6 1号任期制に該当するか
任期制は限定されている。本件はいわゆる1号任期制(流動化型)であって、「先端的、学際的又は総合的な教育研究・・・多様な人材の確保が特に求められる教育研究組織の職に就けるとき。」にのみ適用することができるが、同じ最先端の研究をしているこの研究所の教授の中で、なぜ井上教授だけがこれに該当するのか。
7
司法審査は不可欠
こんな無茶苦茶な再任拒否も、任期切れだから救済の方法はないというのが京大当局と裁判所の見解である。無法地帯というべきであろう。
韓国では、任期制違憲判決、「失職」を処分として救済した判例もある。日本の司法の現状について国際会議で説明するときは本当に恥ずかしい思いをする。
五 任期制法の有害性
1 任期制は多数派による少数派弾圧手段
任期制は、身分保障に安住した怠慢な教員を追い出し、大学を活性化する手段だ等と思っている人が多いが、実は逆で、任期制法が適用されると、失職か再任かを決めるのは、当該大学(教授会、あるいは理事会)である以上は、怠慢な教員が追い出されるのではなく、学内派閥の少数派は、どんなに業績を上げても、追い出されやすい。多数派の身分が保障され、少数派の身分が害されるだけである。そこで、多数派に隷従するか、むしろ、自ら多数派になるしか、学内では生きることができない。同じ大学で、競争講座をおいて、あえて学説の対立を現出することによって、学問の進展を図ることなど、およそ夢の又夢になる。これでは、教員の学問の自由が侵害され、大学が沈滞することは必然である。
したがって、教授の任期制を導入するまともな国はない。任期制が一般的な韓国でも、それは副教授以下に限っているから、日本のしくみは国際的にも異常である。
私は、これまで幾多の闘争をしてきた。それは学問を発展させたと信じているが、それが可能となっているのは、わが同僚からは追放されない保障があるからである。もし同僚と意見が合わないと、追放されるリスクがあれば、私は「毒にも薬にもならないお勉強」をするに止めたであろう。
2 任期制でも学問は活性化しない
任期による入れ替えと流動化・活性化との合理的な関係は希薄である。たしかに、自校出身者の学閥人事のために研究教育が停滞している大学は少なくないが、任期制を導入したところで同じ学閥内で流動化するだけの可能性が少なくないし、これは大学による自主的な選択的導入とされているから、当該大学が活用しなければ意味がない。また、「多様な人材の確保が特に求められる」という口実で大学教員の職務はすべて任期制にできるのではないかという疑問があるが、文部省の国会答弁では、これは任期制を導入できる場合を限定したものとされている。それなら、なおさら、任期制法が成立しても、実際に任期制を導入するポストは限られるから、大学の活性化にはさして結びつかないであろう。
学閥人事などによる研究教育の停滞を打破するためには、採用人事において、自校出身者の割合を一定以下に下げるように目標値を設定させ、それに応じて、予算措置で優遇措置を講ずること、諸外国に見られるように、優秀な教員を優遇措置付きで招聘することができるように予算措置を講じて、全国すべての大学が優秀な教員の誘致合戦を行うようにする方がよほど研究教育の向上に資する。さらに、優遇措置を受けて招聘されたら、何年かは他から招聘を受けても辞職しない(異動しない)という約束を有効とする特別規定も必要である。
結局、任期制法は廃止すべきである。仮に廃止できないとしても、それを適用する動きは断固ストップすべきである。
六 任期制導入に際しての大学における留意点
1
任期制は導入するな
このように、本来は、任期制法を廃止し、大学教員スカウト支援法を制定すべきであるが、日本では一度制定された法律は、いかに悪法でも、それを廃止するエネルギーを結集することは至難であるため存続する。そこで、大学においては、井上事件を再度発生させないように次の点に留意すべきである。
まずは、任期制の導入は、各大学の選択によるから、この法律は合理的根拠もなく、致命的な欠陥があることを説明して、導入しないこととすべきである。ただし、研究助手型はそれなりに合理的であり、プロジェクト型についてはインセンティブをつけるなら、導入するのも良いだろう。
これから大学は外部評価、文科省の評価にさらされるが、その際に任期制を導入すれば評価が高いのではないかといった噂が飛んでも、応ずべきではない。
2
任期制の導入は徹底議論して
仮に任期制を導入する場合も、これらの点について、学内で徹底的に議論するべきである。任期制の施行は周知が徹底してからにすべきである。
大学全体で一挙に導入する動きがあるが、任期制を導入できるのは、「職に就けるとき」に限るから、新規採用・昇進の教員に限る。そうすると、既存の教員は安全地帯にいて、新規採用・昇進の教員の生殺与奪の権限を有することになってしまう。
3
同意の取り方
任期制への同意を求める前に、再任は一切ないのか、あるならば再任審査のルールをきちんと明示し、署名を取る前に熟慮期間をおくか、消費者保護法にあるクーリングオフ(無条件取消)制度をおくべきである。
4 再任審査のあり方
評価基準をきちんと作って、その運用が恣意的にならないようにするべきである。
評価には、教育と研究上の業績だけに絞り、人柄とか学内業績などという、曖昧なものは入れるべきではない。
その評価のデータは毎年収集し、評価の良くないと思われる教員については、事前警告制度をおき、改善の機会を与えるべきである。
再任するならともかく、再任を拒否する場合には特に慎重な手続を行うべきである。内部だけではなく、外部評価を行うべきである。外部評価では、再任拒否に持っていけるようにと、敵方の人物を入れることがあるので、その点も事前に教授会でしっかり吟味すべきである。また、除斥事由も定め(民訴法二三条参照)、論敵などについては、評価される教員からの忌避申立て(民訴法ニ四条)を認めるべきである。
外部評価については、事実に即したきちんとした理由をつけさせるべきである。
そのときどきイエス、ノーで個別に判断すると恣意的になるおそれがあるので、その組織の判断を一貫させるため、まとめて数人は一緒に行うべきである。
外部評価の結論を覆すには、それに値する重大な理由を事実に即して示すべきである。
教授会では無記名投票で決定するにせよ、再任拒否案には理由をつけ、その当否を判断できるようにすること、あるいは、再任を拒否するなら責任をもって、記名投票とすべきである。
再任拒否の前に、本人の聴聞を行い、かつ、再任拒否決定には、異議申立手続をおくべきである。
これらの手続は、内規などではなく、正式に学則・条例で定めるべきである。正式に定めれば、先の京都地裁決定の立場でも、救済手段が認められるからである。
『追記』
京都地裁は3月31日、井上教授の訴えをまともに取り合わずにはねた。判決は全くずさん。詳細は改めて報告しますが、こんな裁判所を「正義の機関」と思って救済を求めたのが馬鹿だと言わんばかりの判決。
普通にやっていれば再任されるという説明があったことを認めた上で、再任される保障はないことを明確に説明するのが望ましかったと言うだけで、再任は期待にすぎないという。同意書も自ら作成して提出したとひどい認定。錯誤などという言葉は出てこない。ばたばたで、言われるままにかかざるをえなかった事情は評価されていない。再任を拒否するための策略は認定されず、再任拒否が処分ではないという理由は、先の執行停止の時よりも悪い。再任請求権はないなどと判断しているが、当方はそんな権利を主張するものではないと何度も言っている。そのほか、何を主張しても、それに反論せずに、はねている。
こんなものは学生のレポートなら突っ返すところ。裁判官とはなんて気楽な商売だと、憤懣やるかたない。
司法改革と言うが、裁判官に論文を読めるようにしてほしいとかねて思っていたが、本当にそういう判決である。
高裁で、まともな裁判官に当たるか、ダメ裁判官に当たるか。昨年即時抗告で当たった下方裁判官だったら最悪。
このままでは、普通にやっていれば再任されると騙しても、皆同意書は有効で、多数派に迎合しないと、大学から追い出されるから、大学ではなくなる。日本の学問も大学も死滅します。残るのは無能教授とアホ官僚の支配だけ。こんな大学でまともな学生が研究者を志すわけはない。
しかし、この判決は、任期制は学問の自由を侵害しないことは明らかと勝手に断定している。学問がなんたるかを知らない判決。
こんな裁判官こそ再任拒否すべきだ。京都大学学長も、騙しても同意書を取った方が勝ちだと言わんばかりの主張をしているのだから、とても学者とは言えない。
どうすれば、この裁判のひどい状況を改善できるでしょうか。
なお、この井上事件は大阪高裁に控訴しますが、高裁の裁判官も簡単にはねてしまう可能性があるので、是非ともご支援をお願いします。世論が大事です。小生は、この点について至急本を出版します。京都大学井上事件(信山社)の予定です。