横浜市立大学の改革をめぐる諸問題
平成16年3月28日 横浜市立大学 松井道昭
1.市行政のなかに占める市大の位置
一昨年来今にいたるまで横浜市立大学で生起した出来事を、55年に及ぶ大学の歴史の中に位置づけることから考察を始めることにしたい。
今回の出来事の取っ掛かりは国立大学の独立行政法人化である。市大をめぐる一連の変化はそうした過程のなかで発生。市大はこれまで、教養部改革にせよ、設置基準緩和にせよ、入試制度改革にせよ、あるいは学費改定にせよ、すべて国立大学を追随するというかたちで歩んで来た。
市大に限らず一般に公立大学は、国立大学の文部省にあたる教育・研究の在り方をコントロールする管理部、私立大学における理事会というものがなく、これまでは何らか改革をなすばあい、大学側のイニシアティブにおいてなしうる立場にあった。財政的には公的助成を受けるわけであり、経営上の心配をかかえ込むこともなかった。ある意味で公立大学は国立大学(経営的安定)と私立大学(自由と個性)のいいところを享受してきたといいうる。
横浜市立大学にも事務部門を統括する部署があったが、ここにいる官僚は大学専属ではなく、他局(経済、財政、都市計画、民生、環境衛生 etc)を渡り歩いてきた者で、大学教育・研究には不慣れな集団であった。大学事務局はエリートコースではなかった。設置者(市)が市大を重視してこなかったため、戦後の高度成長期においてさえ大学は改革や拡充からはずされてきた。一方の教員たちも設置者に期待を掛けても所詮ダメということで、少ない予算の中で与えられた使命を全うするのみの態度で過ごしてきた。教員サイドの目標はせいぜいのところでハ−ド面、ソフト面ともに国立大学並みであった。入学してくる学生は超エリートではないにしても、まずまず優秀であり、教育や就職に支障を来すこともなかった。こうした変化に乏しい中で一種の調和が、言い換えれば安逸が大学の空気を支配していたのである。このことは、1949〜52(昭和24−27)年に3学部体制の新制大学になって以来、文理学部の改組が行われる1995(平成7)年まで、学部・学科の増設や学生定員の増員はまったく行われなかったことに端的に示される。
横浜市の大学に対する態度に明確な変化(重視傾向)が出てくるのは1990年代であるが、その兆しが現れるのはもう少し前、1978年のことである。この年の春、文化行政に熱心な細郷市長になってからエリ−ト官僚が大学事務局に送り込まれるようになると、事情が少々変わってきた。研究費は増額され、陽の当たる部分――医や理――には思い切った改革が、すなわちキャンパス移転、病院増設、研究所新設、建物の増改築行われるようになった。そうした変化はバブルが弾けたあともつづき、文理学部の改組や看護短大の設置、大学院(MC,DC)の設置、リカレント講座(ア−バンカレッジ)の開設とつづく。
ところが、90年代に入ると市財政は「みなとみらい計画」などバブル期の拡張政策のツケがまわってきたため、緊縮政策に転換する。大学にとっての曲がり目は予算10%カットの始まる今から10年くらい前のことである。図書予算が緊縮財政のいちばん被害者で、今では惨めなほどに圧縮されている。バブル期に少し遅れて拡張政策の恩恵を受けてきた大学は緊縮政策の一番手に指名された。それゆえ、文理学部改組で2つの学部が誕生したが、その成否を見定める間もなく、はや統合縮小に追い込まれていく。同じことは、建物の増改築において最後に予定されていた講義棟の再築案が振り出し状態に戻り、結局のところ改築だけに終わったことにもあらわれている。
こうしたなかで独立行政法人化の波が本学にも押し寄せる。国立大学に一年遅れての独法化の実現を目標に本格的検討に入った。転機となったのは2年前の4月、中田市長が登場したことである。市長は当選まもない5月、市政方針演説のなかで、市民病院、大学、学校給食、保育所などの抜本的改革を打ち出し、民営化を仄めかした。この指針表明はただちに大学改革に跳ね返った。すなわち、市大事務局池田輝政総務部長のもと、一昨年の夏(8月)に今までの検討案をすべて凍結し方針転換することが打ち出された。それから物事はアレヨアレヨという間に急展開していく。
2.市大改革案及び策定方法の問題点
かいつまんで言えば、市大改革案及び策定方法の問題点は次の諸点にある。
(1)市大の歴史=過去の総否定がベ−スになっていること。改革を怠ってきた主因は大学自身つまり教員にあること。市大=重病人;主犯=教員(抵抗勢力)説。
(2)重病患者に対する対処療法は教員に任せるのではだめというわけで、改革案策定において教員をはずし外部評価((横浜市大のあり方懇談会))の名を借りてその実、市長及びその側近の意向を汲んだ官僚がトップダウン式に行う。改革案の策定過程は極端な秘密主義をとった。教員には「協力しなければ将来は保証しない」といった暗黙の圧力をかけ、官僚たちが用意した案の呑み込みを要求する。ところが、議会、ジャ−ナリズム、市民向けには大学自身が策定した改革案と喧伝。市長はしきりに「改革案は大学が決めた」という。「大学」を「大学事務局」と解するなら、この説明は理解できる。だが、大学に関するそうした定義は一般には受け入れられていない。今、行われていることは法人化後の大学管理運営のリハーサルとみるべきであろう。
(3)市大事務局は都庁事務局と連携をとりつつ、都立大学の「改革」案を参考にしながら、都立大学と先陣争いをするがごとく次々に前代未聞の改革案を策定。次々と繰り出される諸案に著しい類似性が認められる。
(4)地方自治体に相応しい大学づくりの名において「教育中心の大学をめざせ、ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指せ」という。研究部分については、市民ニ−ズに応えることを名分としつつその実、産=官=学の融合をはかる。市役所が発行するPR紙における説明で、以前は単に「市民」または「民」といわれていたのが、最近では「市民等」ということばに置き換わっていることに注意されたい。「等」に含まれるのは企業と推定される。
(5)3学部を統合し1学部とする。経済研究所と木原生物学研究所2研究所事実上の解散など改革の基本線は縮小にある。縮小基調のなかにも、理系に厚く文系に薄いというニュアンス差はある。
(6)経営的観点の突出(研究・教学的機能の経営的観点への従属)。眼につくもの、数値化しうるもののみが評価対象となるであろう。つまり知の創造者=大学が本来もつべき質の部分は軽視され、受講者数とか研究論文数とか行政貢献度とかがもっぱら評価の対象となるであろう。独創的研究が本来的に付随する、生まれ出るまでに長い時間を要することは考慮から外され、何はさておきスピ−ドが優先されるであろう。研究についての評価も「横浜市への貢献」が強調されていることから、評価者の恣意に委ねられる公算が大。
(7)大学の自治的機能=人事権の剥奪。大学の生命線は自治にあり、自治の根幹は教育・研究に携る当事者による人事にあるが、これが保証されない以上、「大学」ではなくなり、各種学校か予備校にすぎない。したがって、今、進行中の出来事は大学改革への暗中模索ではなく、大学の解体への道にほかならない。
(8)競争原理の導入=教員任期制と年棒制の導入。これは冒頭(1)で述べた大学重病=教員主犯説と同一線上にある。官僚たちが様々な機会を捉えて公式または非公式に発言するところによれば、「教員は遊んでいる」「ほとんど大学に来ない、登校回数は週2度」「授業はいい加減」という。市議会の議員に頼んでこうした質問をさせる。こうしたぬるま湯体質を改めるには、競争原理の導入しかないという。だから任期制と年棒制によって教員に危機感を与えるとともに、適材適所の原則を当てはめねばならない、となる。
3.改革の動機
大学改革をめぐり、この2年間いろいろなことがあったが、今もってわからないことがある。それは、そもそも進行中の改革案の本当の狙いはどこにあるか?である。(1)市の財政難という理由がときおり表に出ることがある。しかし、これは当たらない。事実、中田市長側近の一人南学参与も新聞記事(「朝日新聞」)で「財政問題のみを理由に大学改革に着手したのではない」と明言している。市大財政の8割を占めているのは医学部と病院であり、これに手をつけない限り、瀬戸キャンパスだけの緊縮財政で財政難が解決するはずもない。他の政令都市と比べ横浜市のばあい、そもそも市の予算中で大学費の占める比率は少ないわけで、たとえ市大を廃校にしたところで、市財政難の根本的解消にはつながらないだろう。
(2)18歳人口の縮小も改革理由に挙げられることがある。これも当たらない。人口漸減が深刻化する地方の大学ならいざ知らず、横浜市立大学は今なお人口流入の続くヨコハマの有力大学として多くの(控えめに言っても、安定した数の)受験生を集めているからだ。市大不人気説は根拠に乏しい。
(3)もう一つの考えられる動機として、市長が(市役所が)管理権を握って大学を地域貢献に役立てたいがある。この説はある程度妥当性をもつだろう。それは、「ヨコハマ企業戦略コース」の設置構想に現れている。これは広くグローバル化が進むなかで、狭い「横浜藩」的発想ではあるが、自治体としては当然の動機と理解できなくもない。しかし、大学を自家薬籠中のものとした途端に大学は死に向かうわけで、この目的は早晩達成できないことになろう。現に市大を見切った教員の逃散(Academic Exodus)が始まっており、この傾向は今後ますます激しさを増すことが予想される。そして今後、教員の空きポストはすべて任期制と年棒制になると思われるが、応募してくる教員・研究者は語弊を覚悟で言えば、「食い詰め浪人」が主となり、優秀な人材あるいは育ちきった人材は市大から去ることになるだろう。
極端に管理された大学が破綻につながるかどうかは今すぐ明らかになることではない、しかし、教える側、研究する側にとって魅力がないという事実は早晩、マイナスの結果をもたらすことは確実である。教えられる側(学生)にとって魅力があるかどうかも疑問である。教育する側におけるパトス不足は即学生に跳ね返るものである。そして、大学の地域貢献が設置者を満足させるかどうかもはっきりしない、このばあいの評価は基準の適用次第でどのようにでもなることだ。
(4)ルサンティマン(怨恨)説。ことばに出していいにくいことだが、市大改革案の策定に関係した者は何かしら現市大を快く思っていないグループから成る考え方がこれである。これにははっきりした根拠があるわけでもない。しかし、上記(1)〜(3)の説が成り立ちにくい事情を考えると、単なる被害妄想として片付けられない面もある。
4.「国際総合科学部(仮称)コース・カリキュラム案等報告書」 (3月25日)
卒業式の日(3月25日)に「国際総合科学部コース・カリキュラム案等報告書」が発表された。これについては、まだ十分検討したわけでもないので、特徴のみを記すにとどめたい。
[目的と理念]
ア.「横浜市立大学の新たな大学像」をベースにした改革案であること。
イ.「プラクティカルなリベラルアーツ(実践的な教養教育)」を目指す教育。
[教養と専門の関係]
教養教育は1年、その後は学生に学府とコースを選択させる。
[学府とコース]
ア.3学府6コースの他に学府融合1コースをおき、計7コースとする。
ウ.学生は主・副の複数コースを履修できる。
エ.従来の学部表記順が変更された。
オ.「数学」系が消滅。
[カリキュラム ]
ア.教養科目を共通教養と専門教養に区分。
イ.共通教養において総合講義と教養ゼミを重視。
ウ.第二外国語が消滅。
エ.専門教養を中心的科目、周辺的科目、関連科目に区分。「中心」「周辺」「関連」の関係が不明確。
オ.経済・経営から社会学と歴史学が消滅し、純化型になる。
カ.「ヨコハマ企業戦略コース」は科目体系性に欠ける。
[大学院]
ア.経済・経営が一本化された。
イ.文系に博士課程が残った。
[入試]
ア.学生定員は変更せず。
イ.文系と理系の区分を設けるが、文系2学府及び理系2コースの定員明記はせず。
ウ.文系・理系共通の募集も行う(定員は50名)。
エ.推薦とAO入試の特別入試枠は現行定員より若干増。
[教職課程]
ア.数学、英語、理科のみが残る。