『知識人とは何か』(叢書名:平凡社ライブラリー)E.W.サイード(大橋 洋一訳)平凡社1998.03  

Edwar W. Said, Representations of the Intellectual, The 1993 Reith Lectures, Vintage 1994.

 

通常の「知識人」イメージを批判

独自の「知識人像」の提示。

 

「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」(表紙、およびp.20

 

BBC1993年のリース講演[1]

 

はじめに

p.11 知識人の公的役割・・・「アウトサイダーであり、『アマチュア』であり、現状の攪乱者である・・・」

 

p.12 「わたしが自分で書いた本のなかで覆そうと闘ってきた相手は、『東洋(イースト)』とか『西洋(ウエスト)』といった虚構(フィクション)であり、またさらに、人種差別主義が捏造したところの従属人種、

東洋人、アーリア人、ニグロといった本質主義的分類法であった。・・・」

p.13 「東洋とか西洋といった神話的抽象概念は端的にいって虚偽であるが、同じことは、かつての植民地国が西欧に向けて発する非難のレトリックのなかで駆使されるむきだしの対立図式についてもいえる。文化はたがいに混じりあい、その内容も歴史も、たがいに依存しあい、雑種的なものであるため、外科手術的な切り分けをおこなって、<東洋(オリエント)>とか<西洋(オクシデント)>といったおおざっぱで、おおむねイデオロギー的な対立をこしらえることなどできないのである。」

 

p.15. 

「わたしが示唆しようとしたのは、知識人個人にとって、人間の悲惨と抑圧に関する真実を語ることが、所属する政党とか、民族的背景とか、国家への素朴な忠誠心などよりも優先されるべきだということである。知識人の自主規制、リスクを意識しての沈黙、愛国主義的な大言壮語、そして過去をふりかえり過去のラディカルな自分を否定する芝居がかった転向―こうしたことほど、知識人の公的活動の信用を傷つけるものはないのである。

 わたしの知識人論のなかで、一つの主題として重要な役割を演じているのが、普遍的で単一の規準にどこまでも固執する知識人の姿勢である。これは、いいかえると、普遍的なものを、限定的なものや、主観的なものや、今とここに関するものなどと、どうからませてゆくかという問題でもある。・・・」

 

p.16

「わたしが考える知識人は、可能な限り幅広い大衆に訴えかける者であり、大衆を糾弾する者ではない。大衆こそ、知識人にとって、生まれながら(ナチュラル)の支援者である。知識人にとって問題なのは、・・・インサイダーとかエキスパート、あるいは通人とか専門家(プロフェショナル)[2]存在である。なぜなら、この種の人間は、今世紀(20世紀)はじめにコラムニストのウォルター・リップマンが定式化したような方法で、世論を形成し、世論を体制順応型に誘導し、有識者からなる少数の政権担当者集団にすべてをまかせるよう大衆をそそのかしてしまうからだ。インサイダーは特殊な利害に奉仕する。だが知識人は、国粋的民族主義に対して、同業組合的集団思考に対して、階級意識に対して、白人・男性優位主義に対して、異議申し立てをする者となるべきである。

 普遍性の意識とは、リスクを背負うことを意味する・わたしたちの文化的背景、わたしたちの用いる言語、わたしたちの国籍は、他者の現実から、わたしたちを保護してくれるだけに、ぬるま湯的な安心感にひたらせてくれるのだが、そのようなぬるま湯から脱するには、普遍性に依拠するというリスクを背負わなければならない。言い換えるとこれは、人間の行動を考える際、単一の規準となるものを模索し、それにあくまでも固執するということである。外交政策や社会政策を考えるとき、これがゆるがせにできない問題となる。つまり、もし敵による不当な侵略行為を非難するならば、自国の政府が弱小国家を侵略した場合にも、ひるまず非難のこえをあげられるようになっていなければならないということだ。知識人にとって、これならば語ってよい、これならば行ってよいという指針などありはしない。真に世俗的な知識人にとって、崇拝すべき、また確固たる指針として仰ぐべき神々など存在しない。」

 

 

アメリカでは、ベンジャミン・フランクリンのようにソクラテスとキリストを並べて、偉人とする見かたは結構あるようで、上記、サイードの本では、ジュリアン・バンダの「知識人」論においてもそうである。バンダの知識人観・・・「たとえば、スピノザやヴォルテールやエルネスト・ルナンといった近代の知識人とならんでソクラテスイエスがたえず言及される」(サイード『知識人とは何か』p.29)。

 

p30-31

「バンダによれば、知識人が真の知識人といえるのは、形而上的な理念に衝き動かされつつ、公正無私な、真実の正義の原則にのっとって、腐敗を糾弾し、弱きを助け、欠陥のある抑圧的な権威にいどみかかるときなのだ。『ここで思い出す必要があるだろうか』とバンダは問いかける。『いかにしてフェヌロンとマションが、ルイ14世の起こした戦争を非難したか。いかにしてヴォルテールが、プファルツの破壊を糾弾したか。いかにしてルナンがナポレオンの暴虐を糾弾し、いかにしてバクルが、フランス革命におけるイギリスの不寛容を糾弾したか。また、わたしたちの時代では、いかにしてニーチェが、フランスにたいするドイツの残虐行為を糾弾したか、を』。・・・バンダの慧眼がみぬいていたように、政府(=行政当局…引用者・永岑注)が、確保すべく奔走しているのは、政府を指導する知識人ではなくて、政府の下僕となって働く知識人である。この種の知識人たちは、政府の政策を支援し、敵対勢力を非難するプロパガンダ活動を展開し韜晦(とうかい)と婉曲語法を駆使し、もっとおおがかりになると、オーウェル敵名<ニュースピーク>の全システムを動員するだろう[「ニュースピーク」は、世論操作やイデオロギー操作に用いるために、故意に曖昧にした言語のこと。オーウェルの小説『1984年』より]。これらは、いずれも、実際に起こっていることを『制度的配慮』や『国家的威信』の名のもとに糊塗する手段である。」

 

 



[1] 1948年開始のBBC連続講演

 最初の1948年、バートランド・ラッセル

 1950年、アーノルド・トインビー 

     アメリカ人としては、ロバート・オッペンハイマー、ジョン・ケネス・ガルブレイス、ジョン・サールなどが講師

 サイードは、「アラブ世界に暮らす思春期の少年の頃」、この講演を聴いて感銘を受けた。「中でも1950年のアーノルド・トインビーの講演は、今なお記憶に新しい。・・・」(p.9

 

[2] p.18 「いまや世界は、かつてないほど、多くの専門家やエキスパートやコンサルタントであふれかえっている・・・つまり権威筋に奉仕することで多大の利益を得るのをなりわいとする知識人のことだ。」・・・通常の意味の「知識人」

 サイードは、こうした通常の、体制や権威に奉仕する「知識人」を批判する。