『国富論』1、第1編 労働の生産力の改良・・・
第5章 商品の実質価格と名目価格について、すなわち、その労働価格と貨幣価格について
労働(量)=価値が商品の交換価値の真の尺度
「各人の貧富は人間生活の必需品、便益品、娯楽品を享受する能力がどの程度あるかによる。しかし、いったん分業が徹底的に行われたのちは、人が自分の労働でまかないうるのは、これらのうちのごくわずかな部分に過ぎない。その圧倒的大部分を彼は他の人々の労働にまたねばならず、彼の貧富は彼が支配しうる労働、つまり彼が購買しうる労働の量に対応する。したがって、ある商品の価値は、その商品を所有し、かつそれを自分で使用するつもりも消費するつもりもなく、他の商品と交換しようと思っている人にとっては、それによって彼が購買または支配しうる労働の量に等しい。したがって、労働がすべての商品の交換価値の真の尺度なのである。」
等価交換=同じ労働と労働の交換=同じ労苦と手数の交換
「あらゆるものの実質価格、すなわち、あらゆるものがそれを獲得したいと思う人に真に負担させるのは、それを獲得する上での労苦と手数である。それをすでに獲得していて、それを処分しあるいは何かほかのものと交換したいと思う人にとって、すべてのものがもっている真の値うちは、それによって彼自身が節約でき、またそれによって他人に課することができる労苦と手数である。貨幣または品物で買われるものは、われわれがわれわれ自身の身体の労苦によって獲得するものと同じく、労働によって購買されるのである。事実、その貨幣またはその品物がこの労苦をわれわれから省いてくれる。それらのものは一定量の労働を含んでおり、それをわれわれは、そのときに等量の労働を含んでいると考えられるものと交換するのである。労働こそ最初の価格、すなわちあらゆるものに対して支払われた本源的な購買貨幣であった。世界のすべての富がもともと購買されたのは、金によってでも銀によってでもなく、労働によってだったのであり、富を所有していてそれを何か新しい生産物と交換したいと思う人々にとって、その富の価値はそれによって彼らが購買または支配しうる労働の量に正確等しいのである。」(63-64ページ)
[1] 「アダム・スミス Adam Smith 1723〜90 イギリスの哲学者・経済学者。彼の有名な著作である「諸国民の富の性質ならびに原因に関する研究(国富論)」(1776)は、資本の性質とヨーロッパ諸国における工業および商業の歴史的な発展を研究した最初の本格的な試みであり、これによって近代経済学の基礎を確立した。」
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この説明だと、古典派経済学はどこに位置づけられるのだろうか?
アダム・スミスが「経済学の父」といわれる場合、科学としての経済学の創立者という意味であり、彼の理論は、その後の全経済学理論に大きな影響を与えた。
アダム・スミスの理論の核になる「労働価値説」は、リカードを経てマルクスに継承されたのであり、普通に言われる「近代経済学」ではむしろこのスミスの核心部分は否定されるか無視されている。
[2] かつてもっていた(現在もどこかにあるはずだが)キャナン版原書が見つからず、思い立って生協書籍部→アマゾンを通じて、『国富論』を買い求めた(Wealth
of Nations, Prometheus Books, Great Minds
Series, New York 1991)。なんと、配送料込みで1455円(税を入れて1527円)である。英文590ページの経済学の古典中の古典が、こんなに安価に手に入るとは。(ドルでは11ドル)
この本のまえがきから印象的な部分をみておけば、法律家で税関官吏であった父はスミス誕生(1723年6月5日)の前に死去。
14歳でグラスゴー大学で勉学を始めた。3年後オックスフォード大学へ(1746年まで奨学金を得て学生)。その後グラスゴー大学で文学と経済学を講義。1759年『道徳情操論』、刊行。これが契機となって、バックルーBaccleuch家第三代公爵the third
Dukeの家庭教師となり、フランスに3年近く(エンカルタでは18ヶ月間なので、足掛け3年ということか)滞在。
フランスでは重農主義者(ケネー)や啓蒙主義者(ヴォルテール)などと知り合う。
1776年『国富論』出版