新自由主義―その論理の批判的解明―

 

はじめに

 

新自由主義とはなにか。先ずもっとも普通の理解を確認するために、『有斐閣 経済辞典』第4版によれば、

古典的な自由放任主義計画原理にたつケインズ政策に基礎をおくのではなく,市場の競争条件を利用し,価格の自由な動きに根本的な信頼をおこうとする考えで,第2次大戦後,西ドイツやアメリカなどで台頭した。1980年代にイギリスのサッチャー(M. H. Thatcher)政権やアメリカのレーガン(R. W. Reagan)政権に影響を与えた。() オルド自由主義」と。

 

それでは、「オルド自由主義」とはなにか。同じく上記辞典をみると、

 「第2次大戦後の旧西ドイツの経済復興を支えた新自由主義の別名。1948年創刊の年報『オルド』( ORDO )に由来し,代表的経済学者はオイケン(W. Eucken),レプケ(W. R ö pke),ハイエク(F. A. von Hayek)ら。ナチズム,社会主義,ケインズ主義などいっさいの中央管理経済と自由放任との双方を拒否して,人間の自由と尊厳の立場から自由競争秩序の人為的形成(秩序政策)の必要性を強調し,CDUCSU政権下の「社会的市場経済」を理論的に基礎づけた。() 新自由主義 社会的市場経済」と。

 

それではさらに、「社会的市場経済」とはなにか。上記辞典によれば、

「第2次大戦後の「西ドイツの経済奇跡」をもたらした経済構想で,国家的措置と市場経済を結合して意識的に形成されるべき競争秩序を理想とした。政治的に実践したのは連邦経済大臣,その後連邦首相になったエアハルト(L. Erhart)であった。東西ドイツ統一の際にも,通称第1次国家条約1条において「東西ドイツの共通する経済体制として社会的市場経済を採用する」と。

 

新自由主義は、一方の極における古典的自由放任主義に対する批判、他方の極における中央権力=国家による経済管理、中央集権的な統制システム、すなわちナチズム、社会主義、そしてケインズ主義に対する批判から出てきたものであることがわかる。

 新自由主義の潮流は、この思想・政治志向を担う人が、いつの時代に何を課題とし、何に対決したかによって、それぞれが特徴をもつ。

 オイケンは、

「ドイツの経済学者。概念操作をもとにした経済学を排して,現実の経済現象の考察を通じ理論化することを主張。経済政策については,管理政策を批判して,自由主義的経済思想を唱えた。〔主著〕 Die Grundlagen der National ó konomie , 1940

 レプケは、同じく、

ドイツの経済学者,社会学者。オーストリア学派の流れをくむ新自由主義の主導者。集産主義には批判的であるが資本主義にもとらわれず,「第三の道」として経済ヒューマニズムを志向した。戦後旧西ドイツの奇跡的経済発展の立役者の1人。〔主著〕 Civitas Humana , 1944

 ハイエクは、

「オーストリア生まれの経済学者。1974年度ノーベル経済学賞を受賞。社会主義に反対し,自由な競争市場を至上とする。ケインズ(J. M. Keynes)とも対立。市場の各所に点在する「現場の知識」そのものは伝達できないが,価格を用いる競争メカニズムが秩序のある配分を達成すると主張。〔主著〕 Prices and Production , 1931 The Pure Theory of Capital , 1941.

 

 これら3人の代表的論者は、上記辞典によれば、世界経済恐慌、社会主義、ナチズムの時代に、これらをどのように克服するかを課題として出てきたものであったことがわかる。ただ、ハイエクにおいては、自由な資本主義競争がもたらす恐慌に対してどのように対処するかよりも、社会主義批判、そしてナチズムが前面にでているようである。すなわち、社会主義とナチズムが出てきた根本原因としての資本主義の根本問題は、直視されていないかのごとくである。

  それでは、そもそも、ハイエクは、世界経済恐慌など景気循環をどのように考え、それにどのようにしたら対処できると考えたのか? 完全雇用や経済発展の筋道を示さないかいぎり、失敗が明らかになった中央集権的国家主義的社会主義やケインズ主義の批判としては有効でも、景気循環を大量失業の現実をかえることはできない。

 

上記、辞典によれば、ハイエク(F. A. von Hayek)の提唱した景気変動の説明理論は、「貨幣的・金融的要因を重視する理論」だという。「貨幣量の変動,とりわけ信用創造は,消費財産業と投資財産業との間に不均衡を生ぜしめ,景気の変動をもたらすと考えられている」と。このような景気循環に関する理論は、貨幣的景気理論 とよばれている。この理論は、「銀行の信用創造の拡大・縮小を景気変動の根本的原因とみなす景気理論。このような景気理論をとなえた代表的学者としてホートリー(R. G. Howtrey)とハイエク(F. A. von Hayek)がいる。前者は信用創造の在庫投資に対する影響を重視するのに対して,後者は生産の迂回過程に対するその影響を重視するという違いがある」と。

 

 景気循環が、信用創造の拡大・縮小の減少と関連することはだれで知っている。だが、それをバランスを失して「重視」したり、景気循環の「根本的原因」とみなすとすれば、それは浅薄である[1]。ノーベル経済学賞は、自然科学系の本来のノーベル賞とちがってあまり信用がないようであるが、それも当然かもしれない。この場合の「信用創造」は、まさに理論が現実を説明する力であり、科学的合理性・科学的論理力である。スウェーデン銀行が賞の「信用創造」しようとしても、信用は創造されない。賞の価値は低下するか形骸化する。経済の論理と科学の論理にも共通するものがある。問題は、現実の経済の論理的説明であり、その説得力である。

問題は、銀行の「信用創造」が何によって起きるか、ということである。

銀行は勝手に、自由主義的に、信用創造を行っているのか? 「信用創造」を行える範囲はなにか? その許容範囲はなにか? まさにこうした問題を検討すれば、生産と市場の相対的変動が浮かび上がってくる。景気循環の基礎にあるのが生産と市場の不一致だということが浮かび上がってくる。生産と市場が不一致をきたすに当たって、信用が大きな役割を演じること、これは事実である。だが、根本は、そうした媒介によって、生産(能力・その拡大、供給能力)と市場とが不一致をきたす、ことにある。

 不良債権などという減少は、まさに巨額の銀行からの借入金で生産を拡大したが、現実には、市場は満杯になるか過剰化しており、その借りた企業が債務を弁償できないということである。

 仮にハイエクの言うように銀行の信用創造に問題があるとして、それでは、ハイエクは、銀行がきちんと理論的に行動して、不必要な信用創造を行わなければいい、という結論になるのか? 不良債権を負った銀行は倒産してもいい、あるいは整理統合すればいい、ということか。これはまさに日本の最近の構造不況で起きたことである。ハイエクからすれば、国家資金2兆円の投入などはすべきではなかったということになるのであろう。

 

 



[1] 経済学の浅薄さは、とりわけ、産業循環の局面転換のたんなる兆候でしかない信用の膨張や収縮をこの転換の原因としているということのうちに、現われている。」(『資本論』第1巻第23章 相対的過剰人口または産業予備軍の累進的生産、大月版(1968)1825ページ)Die Oberflächlichkeit der politischen Ökonomie zeigt sich u.a. darin, daß sie die Expansion und Kontraktion des Kredits, das bloße Symptom der Wechselperioden des industriellen Zyklus, zu deren Ursache macht.