送信者: "伊豆利彦" 宛先: 件名 : 日々通信 いまを生きる  第114号 2004年9月1日 日時 : 2004年9月1日 14:23  >>日々通信 いまを生きる  第114号 2004年9月1日<< 9月1日、関東大震災の記念日だ。防災の日だそうである。小泉首相が警報を発令 し、大規模な訓練が行われる。  もちろんこの日は、当時日本にいた朝鮮人や中国人が大量に殺戮された事件を記念 する日だが、今日の新聞はそれについて触れていない。『赤旗』にもそれについての 言及はなかったようだ。  この日はまた、大杉栄や平沢計七ら、社会主義者が殺されたことを記念する日でも ある。  もう81年になるのだから、いつまでもそのことにこだわりつづけるのは<時代遅 れ>ということになるだろう。  しかし、これらの事件は時代とともに新しい相貌をもってよみがえってくる。  1923年のこれらの事件の根柢には、侵略者日本の彼らの復讐に対するおそれがあっ た。この事件の発端は軍の誤った情報だったという。みずから朝鮮人に対する恐怖を つくり出し、暴殺をほしいままにし、そして、これをきっかけに治安維持法を制定 し、社会主義者に対する言語に絶する弾圧をおこなった。  それが、ついにアジアの民衆に対する大量殺戮と自国民の言語に絶する犠牲を生ん で、みずから破滅したあの大戦争に道を開いたのだった。  いま、私は9・11以後のアメリカと世界について考える。  あの事件そのものがアメリカ側の謀略だったという情報がさまざまに飛び交ってい る。それはあまりに大がかりで信じがたいが、さまざまな証拠をあげて語られて見れ ば、次第にそれもあり得ないことではないという気がしてくる。  私たちにあるのは情報だけだ。そして、米英の支配者たちが虚偽の情報によってイ ラク攻撃に自国民だけでなく諸国民を動員しようとしたことが、もはや疑い得ない事 実になってみれば、そして日本のマスコミがそれに協力した事実を思えば、もはや、 アメリカ側の陰謀説を無下に否定することはできない。  謀略、デマ、政府の虚偽情報による国民操作が、国民を戦争に動員するためには必 ず行われる。震災の経験は軍や警察の暴虐をあばき出すかわりに、朝鮮人や中国人、 そして、彼らを擁護する社会主義者に対する憎悪と恐怖ばかりが残った。  不逞鮮人という言葉が使われるようになったのはこのころからではないだろうか。 社会主義者に対する非国民、国賊呼ばわりもこのころからだったろう。  こうして、日本のアジア侵略と社会主義者弾圧が国民的風潮として肯定されていっ たのだった。  いまも不逞三国人呼ばわりする石原慎太郎氏が都知事をしている日本というものを どう考えたらいいか。  その石原氏が沖縄で講演会を開くという。  私の掲示板2にも、<日本領土を支那から守る会>から<石原慎太郎怒る! 沖縄 で反支講演会>という案内が掲載された。  対支那の最前線、沖縄に石原慎太郎が殴りこみ!  日本の領域を支那人の好き勝手にさせるか。 というのだが、この講演会は<日本青年会議所沖縄地区協議会>で、その趣旨は米軍 ヘリ墜落事件で盛り上がった日米地位協定に反対する集会であるらしいので、石原が どういう話をするのか注目したい。 ---------------------------------------------------------------------------- ----  小林多喜二国際シンポジウムが8月28,29日にヤクルトホールで開かれた。  いまの事態との関連で多喜二はどう読まれるか、日本だけでなくアメリカ、ロシ ア、中国、韓国でどう読まれているかがテーマだったが、考えさせられることの多い シンポジウムだった。  アメリカのシカゴ大学でノーマ・フィールドさんを中心に、若い研究者たちがすぐ れた研究をしているのに感動した。  ノーマさんも黒人問題との関連、イラクのアブグレイブその他の拷問をとりあげて いたが、若い研究者のジャスティン・ジェステイーさんが『一九二八年三月十五日』 を取り上げて感銘深い講演をした。  韓国も中国も、多喜二が取り組んだのと同じ問題と取り組んでいたことが報告さ れ、多喜二の問題はいまの問題であり、そして世界に共通する資本主義発展の問題と して、その搾取と暴力の実態を日本の現実に根ざしてリアルに描き出したことが明か にされた。  いまの日本の大学でこのように着実な多喜二研究が行われているところがあるだろ うか。多喜二はもういまの日本とでは何の関係もないとして忘却のなかに消し去られ ようとしているときに、アメリカでは多喜二の作品の翻訳の努力が組織的におこなわ れ、そのなかで、若い研究者がアメリカの現実とかかわらせながら、これほどの成果 をあげていることに感動した。  現にいま、ブッシュに反対して10万人の大デモがニューヨークを揺るがし、世界 を揺るがした。  アメリカとはなにか。そして日本はいったいなになのか。  日本の若者はなにを考え、なにをしているのか。  そして、なにがこのような日本を生んだのか。  9月を迎えて思うことが多い。 過去の問題は過去の問題でなく、日本の問題は日本だけの問題でないことを、あらた めて強く思った。 過去の日本をいまの問題として、さらに世界の問題として考える必要がある。 毎年くりかえす感慨であるが、今年は多喜二シンポジウムのおかげで、勇気をあたえ られた。 このシンポジウムを企画し実行した白樺文学館多喜二ライブラリーのみなさんと、参 加者のみなさん、特にシカゴ大学のみなささんに感謝したい。 私も<私と多喜二>というテーマで折に触れて新掲示板1に書いていきたい。 興味ある方は時々見てください。 ついでに案内しますが、この掲示板にはKさんが1910年当時の日本の社会主義運 動について貴重な記事を書いてくださっています。 短い文章ですが、平和新聞に連載中の<文学にみる戦争と平和>に 第46回 2004年8月 原民喜「鎮魂歌」 http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@46.htm を掲載しました。 なお、「夏の花」については http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs36.htm に簡単な記事を書いています。 原民喜についても、新しく考えさせられるがたくさんあります。 昨年のこの時期の通信を見てくだされば幸です。 日々通信 いまを生きる 第72号 2003年9月1日 http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@72.htm 第73号 2003年9月6日 再び「九月の夜の不平」 http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@73.htm 第十七回 越中谷利一 一兵卒の震災手記   『戦争ニ対スル戦争』 http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/sh17.htm 以下、最近の掲示板から。 若い野間さんに有能な<なるほど>さんがていねいに答えている。 <なるほど>さんの情報は私たちの世界を拡大してくれる。 しかし、ここには私の意見がでているものだけを再掲する。 857.<日の丸は殺人旗、君が代は殺人歌−1−> 返信 引用 名前:伊豆利彦 日付:8月28日(土) 10時19分 《 ガンジー村通信  2004/08/20 vol.21 》          本誌HP http://www.h2.dion.ne.jp/~hansuto/  ◆◇  父たちのいなかった戦後3  ◇◆        <日の丸は殺人旗、君が代は殺人歌−1−>  アテネ・オリンピックたけなわである。表彰台で笑顔でメダルを受け る日本の選手たちの背後に、日の丸が揚がり、君が代が流れる。もは や、 私たち日本人の大方は、このような光景に、違和感を感ずることもな く、 疑問も抱かず、すっかり馴染んでしまっているのではないか。しかし、 日本にも、恐らくは外国にも、そのことに拘り続けている、拘らざるを 得ないでいる人々がいるということも事実である。  重慶や北京でのサッカー・アジア杯での中国の反日感情あらわな“事 件”の時、ある知人がこう言った。「仮に、イスラエルで、ドイツがナ チスの鉤十字旗を振りまわしたとしたら、どうなると思う?それと同じ ことを、日本は中国でしているのではないだろうか?」 以下 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000131341 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000131341 ---------------------------------------------------------------------------- ---- 873.世代間のギャップ 名前:伊豆利彦 日付:8月30日(月) 6時37分 28,29と小林多喜二の国際シンポジウムに参加していました。 世代間のギャップということはあるだろうと思います。 私も戦争が終るまで、多喜二を知りませんでした。 いまの若者も、また、そうだろうと思います。 しかし、アメリカの大学で多喜二の研究が熱心にすすめられていることに感銘 を受けました。 若い研究者が、公民権運動との対比、いまのイラク問題との関連で多喜二を論 じていました。 中国・韓国・ロシアでは時代により、権力のあり方で、多喜二研究はさまざま に変わってきたことが報告されました。 多喜二を研究することそのことが時代との強い関係のなかにあることが感じら れました。 いま、多喜二になにを読むかということをあらためて考えさせられました。 この問題については新掲示板1で、問題にしていきたいと思います。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-08-27/01_03.html ---------------------------------------------------------------------------- ---- 874.日の丸君が代問題について 名前:伊豆利彦 日付:8月30日(月) 11時27分 私は違和感を覚えるというより、身体的な反感を覚える。 これは<世代間ギャップ>などというものではない。 私の同世代の人でも、日の丸を喜ぶ人もいる。 <世代間ギャップ>というなら、なぜそれが生まれたか。 それが意味するものはなにかを明かにしなければならない。 <世代間ギャップ>というのは事実としても、そういうことで現状を肯定して ゆくことになる。 こうして日の丸が氾濫していくことになり、それはどこへ行くか。 なにしろ、官房長官やなんかが記者会見するのにも日の丸を飾るのはどういう ことか。 昔は大本営発表でもあんな馬鹿げたことはしなかった。 テレビ画面の日の丸が次第に増加しているのではないか。 庶民は祝祭日でも、日の丸を出さない。 昔の日本もはじめはそうだったが、いつか、それが強要され、習慣になり、や がては誰も違和感を感じなくなり、そして、やがてそれを誇らしく思うようになっ た。 その変化は、子どもたちから起こった。 小学校の教育が変わり、中学校が変わり、そして、世の中が変わった。 ナチスの旗も同様だったと思う。 「1933年のバラード」という映画を見たことがある。 一方で人々は頽廃的な文化に溺れていた。 希望もなく、理想もなかった。 ところが社会の一隅から、歩調をとって後進する青少年の集団があらわれ、や がて、それが全社会をおおいつくしていった。 歴史がおそろしい速度で動く時代がある。 気がついたときには取りかえしがつかなくなっている。 そんなおそろしさを感じるのだ。 荷風の『断腸亭日乗』を思う。 時代遅れであることは、決して恥ではない。 孤立をおそれてはならない。 そんな声が、いまの時代に発信されていることこそ必要だと私は思う。 かつて、多喜二とその仲間たちは、時代遅れと罵られ、非国民、売国奴とさえ 罵られたのだ。 そのような変化は、ほんの数年で起こった。 多喜二が登場したころは、プロレタリア作家にあらざれば人にあらずといわん ばかりの状態だったのだ。 すばえては変わる。いまがいつまでもつづくとは思えない。 ---------------------------------------------------------------------------- ---- 875.日の丸と星条旗 名前:伊豆利彦 日付:8月30日(月) 11時50分 この日の丸の氾濫が星条旗の氾濫とともに拡大している。 なんでヤンキースの試合を毎試合放送するのか。 そのたびに国旗が掲揚され、国家がうたわれる。松井は神妙な顔で、胸に手を 当てている。 僕らは毎日何度もアメリカ国歌を聴かされるのだ。 やがて毎日君が代を聞かされることになるなるだろう。 この国歌がうたわれるときに胸に手を当てる習慣は日本のスポ−ツ界にひろ がっているらしい。 なんという猿まねぶりだろう。 そしてそれは、やがて国民一般にもひろがっていくのではないか。 自衛隊だけでなく、日本のアメリカとの一体化は次第に強まっている。 なぜ、こんなことになったのだ。 同盟国という言葉がさかんに使われるようになったのも、この2、3年のこと だ。 なにしろ、イギリスもフランスもドイツもロシアも知らず、ただアメリカ文化 に一体化することをめざしてきた人たちがいまの社会の大半を占めることになったの だ。 847.Re: マスコミと政府 名前:伊豆利彦 日付:8月27日(金) 17時26分 いまでも言論の自由があるとはおもわれないが、1950年当時は、米軍によって レッドパージがおこなわれ、政府機関や言論機関から、共産主義者、もしくはその同 調者が追放された。 教育関係も同様だった。 それどころか、パージは民間企業にもおよんだ。 アメリカでもマッカーシー旋風が吹き、良心的な政治家、ジャーナリスト、学 者、研究者、教員が政府に喚問され、職をうしなった。 戦争は言論の自由を奪い、戦争反対者を弾圧する。 いまのアメリカはどうなっているのか。 一見したところ、戦争反対の声をあげる自由はあるように見えるが……。 日本の場合は、きっともっとひどいだろう。 なにしろ、一丸になってたたかうことが好きな国民だから。 毛色の変わったものを排斥する傾向の強い国民だから。 オリンピックの日の丸に熱狂するテレビに寒けを感じないではいられないの だ。 835.だまされることの責任 −− 返信 引用 名前:なるほど 日付:8月26日(木) 15時4分 「使い捨てられる人生」の絶望と悲惨(ベルナール氏) http://www.asyura2.com/0406/senkyo5/msg/332.html -------------------------------------------------------------------- 844.Re: だまされることの責任 −− 名前:伊豆利彦 日付:8月27日(金) 16時1分 愛国心について、戦争讃美の感情について考えさせられます。 日本人の心の深部に閉じ込められた感情が、不意に噴出する。 それは、おとしめあれて来た日本人にとって自然なことであるか も知れない。 しかし、それが強者である、日本の支配者であるアメリカに向か わずに、中国とか、朝鮮とかに向けて噴出するところに、いまの日本の愛国主義者の みじめさがあるのだろう。 特に、弱小国朝鮮の脅威を言い立て、アメリカの尻尾について吠 えたてるのは、あまりにあわれでもあり、滑稽でもある。 日本人よ、特に、日本の若者よ、もっと気宇広大に世界の歴史を 展望し、未来を思い描こうではないか。 漱石の『明暗』に次の言葉があります。 <彼女は前後の関係から、思量分別の許す限り、全身を挙げてそ こへ拘泥らなければならなかった。それが彼女の自然であった。しかし不幸な事に、 自然全体は彼女よりも大きかった。彼女の遥か上にも続いていた。公平な光りを放っ て、可憐な彼女を殺そうとしてさえ憚からなかった。> 827.対馬丸で死んだ子どもたち 返信 引用 名前:伊豆利彦 日付:8月25日(水) 13時16分 「朝日」の「天声人語」が対馬丸で死んだ子どもたちのことを書いてい た。 <はしゃいでいた子どもたちが真っ暗な海に投げ出され、もがきながら 死んでいった悲劇の理不尽さを問いかけている。 > 理不尽なのは対馬丸で死んだ子どもたちだけではない。 広島・長崎で死んだ子どもたち、東京・横浜、その他日本の各都市で焼 き殺された子どもたち。さらには、満洲その他から引き上げる途中で飢えて死んだ子 どもたち。 思いは、いま、イラクやパレスティナで無残な人道的報爆撃で殺される 子どもたち。その他、騒乱の犠牲になった数えきれない多数の子どもたち。 それは、避け得ぬものであったか。 避け得ぬものであるか。 正義のための戦争に出兵できるようにしたいと、正義、人道の申し子の ような方々が主張しておられるが、私はそれを信じない。 かつて、日本の天皇も正義と人道、平和のために、中国の人民を殺戮 し、アジアの全土でたたかうことを命じたのだ。 http://www.asahi.com/paper/column.html 826.◆◇沖縄を忘れてはいけない◇◆ 返信 引用 名前:伊豆利彦 日付:8月25日(水) 12時38分 《ガンジー村通信  2004/08/25 vol.20 》  http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000131341 《ガンジー村通信》については、<なるほど>さんが度々紹介してくだ さっているが、今回の記事も大事なものだった。  内容については、上記サイトを見ていただきたいが、いま、私はテレビ の騒音について述べられた次の言葉を引用して、共感の意を述べる。  テレビを「聞いて」いると、じつに騒音に満ちたメディアであること が、あらためてよくわかる。昔、評論家の大宅壮一氏がテレビは日本に「一億総白痴 化」をもたらすといった意味のことを吐き、話題になったが、大宅壮一氏はさすがに 慧眼であったと思う。  ぼくなど、テレビで生活の資を得てき、今も得ているので、天に唾す るような気分でもあるが……。  ただ、テレビも以前はもう少し静かであったという気がする、盛り場 のスピーカー等の騒音がもうすこし静かであったように。 この言葉は、私に永井荷風のことを思い出させる。 「墨(サンズイ)東綺譚」の主人公はラジオがうるさいので、我が家に いることが出来ず、ふらふら歩きまわって、玉ノ井のお雪にめぐりあうことになって いたと思うが、この作品が発表されたのは、1937年である。1936年のオリンピックあ たりから日本のラジオは格別うるさくなったのではないか。 1936年には2・26事件がおこり、やがて、蘆溝橋事件がおこる。まさに 戦争前夜だった。そして、アナウンサーの声はますます甲高くなっていった。 荷風は、その声の高さだけではなく、その内容にも耐えがたかったのだ と思う。 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000131341 823.53)新聞社批判は公益にかなう (1999年5月号) 返信 引用 名前:なるほど 日付:8月25日(水) 4時27分 大岡みなみのコラム風速計 http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/minami51-55.html#kaze53 -------------------------------------------------------------------- 824.<君が代>と<憲法>は解釈次第でどうにでもなるか 名前:伊豆利彦 日付:8月25日(水) 10時8分 <君が代>は解釈次第でどうにでもなるという考えは、憲法は解 釈しだいでどうにでもなるという考えと通じているのだろう。そして、なにごとも解 釈次第考える代々になったところから、この国の大混乱と破滅への疾走がはじまった のだ。 小泉の<人生いろいろ>もその一変形に過ぎない。 それは、新本だけのことではないだろう。 アメリカのイラク攻撃にも同様の考え方がされている。 道義の壊滅は社会の壊滅に道を開く。 私たちは旧思想・旧道徳とたたかうが、それは単に無思想・無道 徳のアナーキズムを志向するものではない。 破壊は同時に建設であるというのが、啄木や漱石の考えであり、 そこにかれらの思想的・文学的たたかいがあった。 いまの憲法無視、小泉のデタラメを許容しているところに、現代 の頽廃があるだろう。 http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/kimetsuke2.html -------------------------------------------------------------------- 825.漱石の偏見論 名前:伊豆利彦 日付:8月25日(水) 10時21分 漱石は『朝日』入社直後、専門作家として出発するにあたって 「創作家の態度」をという講演をしているが、この講演の冒頭で、 態度と云うのは心の持ち方、物の観方(みかた)くらいに解釈し ておいて下されば宜(よろ)しい。この、心の持ち方、物の観方で十人、十色さまざ まの世界ができまたさまざまの世界観が成り立つのは申すまでもない。 一例を上げて申すと、もし諸君が私に向って月の形はどんなだと 聞かれれば、私はすぐに丸いと答える。諸君も定めし御異存はなかろうと思う。とこ ろがこの間ある西洋人の書いたものを見たら、我々は普通月を半円形のものと解して いるとあったのみか、なぜまんまるなものと思っていぬかと云う訳までが二三行つけ 加えてあったんで、少し驚いたくらいであります。 と述べている。 これが漱石の文学活動の根柢の思想であった。 だから、漱石はいまのデタラメを許容しただろうか。 漱石論の問題点はここにある。 以下、掲示板1で考察してみたい。 http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/kimetsuke2.html