41年6月22日の開戦から10月初めまでの3ヶ月半ほどで、100号でている。
アインザッツグルッペの活動振りを示すものであり、独ソ戦j、第二次世界大戦を研究するための第一級の文書史料(証拠資料)である。
以下は、アインザッツグルッペA,.B,C,Dの出動(治安平定活動・ユダヤ人・コミュニスト等鎮圧活動)の報告の一例に過ぎない。
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「事件通報・ソ連」(帝国保安本部第W局作成)より。
第101号(1941年10月2日)
Ereignismeldung UDSSR. Nr.101.
キエフ駐屯: アインザッツグルッペ(治安警察・保安部の特別出動部隊)Cの出動報告。
1941年9月末、キエフ郊外(バビヤール渓谷)で,
「3万3771のユダヤ人を処刑した」と。
ニコライェフ駐屯: アインザッツグルッペDの出動報告
「9月16日から30日までに、2万2467人のユダヤ人、それにコミュニストを処刑・・・総数は3万5782」と
(48部作成、その第36番のオリジナル)