リューネブルクは塩の町。
ハンザ都市の時代から、塩の取引で栄えた町。
ちょうど私のリューネブルク滞在中に、日本の鳴門市と姉妹都市となった。
田舎(四国・香川県)の父がその新聞記事を見つけて送ってくれたこと思い出す。
ゲーテ・インスティチュートの遠足:エルベ川・
向こうは東ドイツ・監視塔と鉄条網
週末旅行で「ねずみとり男」の童話で有名なハーメルンへ
その「ねずみとり男の家」という名前の宿屋
ハーメルンの町の家のきれいな飾り
ドイツ系ブラジル人Dr.シュタンゲ氏と。
ゲーテ語学学校の卒業お別れ会で。
シャルロッテンブルク城(ベルリン)[1]
フリードリヒI世・騎馬像
シャルロッテンブルク城・中庭(庭園)
ベルリン考古学博物館:エジプトの女王像
これが何千年も前の女性の顔かと驚くほどの端正さ・気品
日本は縄文時代から弥生時代?
[1] ベルリンのシャルロッテンブルク宮
ベルリン北西部を流れるシュプレー川のほとりに建つシャルロッテンブルク宮は、プロイセン国王フリ一ドリヒ一世 (Frederick I) が王妃ソフィー・シャルロット (Sophie Charlotte) のために建てた王宮である。17 世紀から 18 世紀にかけて、ベルリンの町はドイツ北部とポーランド西部を治めていたプロイセン王国の首都であった。Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2003. (C) 1993-2002 Microsoft Corporation. All rights reserved.