リューネブルクのゲーテインスティチュート   (75年8月-9月末の2ヶ月間)




リューネブルクは塩の町。
ハンザ都市の時代から、塩の取引で栄えた町。
ちょうど私のリューネブルク滞在中に、日本の鳴門市と姉妹都市となった。
田舎(四国・香川県)の父がその新聞記事を見つけて送ってくれたこと思い出す。



エルベ川
東西二つの分裂国家時代は、国境線
  
   ゲーテ・インスティチュートの遠足:エルベ川・
   向こうは東ドイツ・監視塔と鉄条網



ハーメルン
 
 週末旅行で「ねずみとり男」の童話で有名なハーメルンへ
 その「ねずみとり男の家」という名前の宿屋


 
 ハーメルンの町の家のきれいな飾り



語学学校の友人たちと お別れの会
  
  ドイツ系ブラジル人Dr.シュタンゲ氏と。
  ゲーテ語学学校の卒業お別れ会で。

 

 
シャルロッテンブルク


シャルロッテンブルク城(ベルリン)[1]


 フリードリヒI世・騎馬像


 シャルロッテンブルク城・中庭(庭園)

 




ベルリン考古学博物館:エジプトの女王像

これが何千年も前の女性の顔かと驚くほどの端正さ・気品
日本は縄文時代から弥生時代?







   
                                        (リュネブルガー・ハイデ:ゲーテの遠足)
   





ツェレCelle       ファッハヴェルクホイザー
  木組みのきれいな家々



 


   



ハノーファー       ヘレンホイザー・ガルテン

  

   


  



[1] ベルリンのシャルロッテンブルク宮

ベルリン北西部を流れるシュプレー川のほとりに建つシャルロッテンブルク宮は、プロイセン国王フリ一ドリヒ一世 (Frederick I) が王妃ソフィー・シャルロット (Sophie Charlotte) のために建てた王宮である。17 世紀から 18 世紀にかけて、ベルリンの町はドイツ北部とポーランド西部を治めていたプロイセン王国の首都であった。Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2003. (C) 1993-2002 Microsoft Corporation. All rights reserved.