偶然必然


たとえば、商品の価格と価値の関係

 個々の商品の価格の変動・違いと価値法則

 日々の商品価格の変動は、日常みんなが経験するところである。

 しかし、それでは、商品の価格は、むちゃくちゃに、何の法則性もなく、変動しているのであろうか?

 ある商品の供給と需要で価格が定まってくる。


 個々の商品の価格は変動ただならないように見えるが、ある地域、ある時期、ある安定性をもつ。たとえば、卵1個10円-15円、牛乳1リットル160円-200円、などなど。普通の日常において、卵1個が160円とか200円になることはない。逆に、牛乳1リットルが10円や15円になることはない。この二つの商品の価格関係の大体の安定性の背後に何があるか?

個々の商品、商品相互関係において、ある安定性(必然性)があるが、その安定性の背後には何があるのか?


たとえば、卵の価格、牛乳の価格、のほか、お米の価格はどうか? 土地50坪、建物35坪の家の価格は?

 それぞれの商品の価格の違いは、どこから来るのだろうか?

  商品のコストはどのようにして決まるのだろうか?

商品の中に含まれる「儲け」の部分はどのようにしてきまるのだろうか?

偶然性だけではない必然性が貫徹しているからこそ、経営が成り立つ。

 

 

参考:
 商品の価格・交換割合(偶然性)と価値(必然性)の相互関係

生産物交換者たちがまず第一に実際に感心を持つのは、自分の生産物とひきかえにどれだけの他人の生産物が得られるか、つまり、生産物がどんな割合で交換されるか、という問題である。この割合がある程度の慣習的固定性をもつまでに成熟してくれば、それは労働生産物の本性から生ずるかのように見える。

たとえば、1トンの鉄と二オンスの金とが等価であることは、1ポンドの金と1ポンドの鉄とがそれらの物理的属性や化学的属性の相違にもかかわらず同じ重さであるのと同じことのように見える。

 じっさい、労働生産物の価値性格は、それらが価値量として実証されることによってはじめて固まるのである。この価値量のほうは、交換者たちの意志や予知や行為にはかかわりなく、たえず変動する。交換者たち自身の社会的運動が、彼らにとっては諸物の運動の形態を持つのであって、彼らはこの運動を制御するのではなく、これによって制御されるのである。

 互いに独立に営まれながら、しかも社会的分業の自然発生的な諸環として全面的に互いに依存しあう私的諸労働が、絶えずそれらの社会的に均衡の取れた限度に還元されるのは、私的諸労働の生産物の偶然的な絶えず変動する交換割合を通じて、それらの生産物の生産に社会的に必要な労働時間が、たとえば誰かの頭上に家が倒れてくる時の重力の法則のように規制的な自然法則として強力的に貫かれるからである、という科学的認識が経験そのものから生まれてくるまでには、充分に発展した商品生産が必要なのである