ラインハルト作戦で使われた
ポーランド総督府(東部地域)のベウゼッツ・ソビボール・トレブリンカの3つの絶滅収容所の解体報告書(1943年11月4日付)
この証拠隠滅により、絶滅収容所は、アウシュヴィッツ・ビルケナウしか知らないという事態が、ながく続いた。
したがって、その誤った認識の下では、アウシュヴィッツ・ビルケナウだけで、「400万人」のユダヤ人が殺戮されたと思われていた。
社会主義体制下ポーランドの時代、アウシュヴィッツ・ビルケナウの説明書には、「ここで400万人のユダヤ人が殺戮された」と掲示されていた。
その誤った認識は、戦後長く、日本の世界史の歴史教科書のなかでも、見られた。(わたしがかくにんしたところでも、2005年ころまでのある高校世界史A教科書がそうだった。
証拠隠滅の証拠
ドイツ語のオリジナル
ラインハルト作戦を遂行したグロボチニクの
ヒムラー(親衛隊最高指導者・ドイツ警察長官)宛の書簡(1943年11月4日付け)
「私が総督府で遂行したラインハルト作戦を1943年10月19日を持って終了いたしました。そして、すべての収容所を解体しました。
総括報告書として、文書つづり一式を添付し、お届けします。」