ズデーテン(Sudetenドイツ語標記)

 

スデーティ Sudety チェコのボヘミアの北部と西部、モラビアの北部をふくむ地域。ドイツ語ではズデーテン。地域の名称は北にあるスデーティ山脈にちなむ。かつてのドイツ人居住地域で、1945年以前には、300万人をこすドイツ人(ズデーテン・ドイツ人といわれる)がすんでいた。

 

ドイツ人のこの地方への入植の歴史は古く、12世紀のドイツ人の東方植民(→ドイツの「東方植民」)の時代にさかのぼる。ドイツ人は、開墾や鉱山開発などを通じて経済力をつけ、ボヘミア地方のガラス・陶器・繊維工業の発展に大きな役割をはたした。ドイツ人は、植民を奨励する歴代のボヘミア王の保護もあって、特権的な社会層を形成するようになっていった。ハプスブルク家によるドイツ化がすすむ中で、19世紀にはチェコ人の民族覚醒運動が高揚し、ドイツ人との民族的対立が強まった。

 

1次世界大戦後の1918年、オーストリア・ハンガリー二重帝国が解体し、チェコスロバキア共和国が成立すると、ズデーティのドイツ人は一時、ドイツ人居住地域のチェコスロバキアからの分離の動きをみせた。戦後、資本を没収されたりチェコ語の使用を強制されるなど圧迫をうけたドイツ人は、ズデーティ・ドイツ党を結成してドイツへの傾斜を強めていった。この地域に領土的野心をもっていたヒトラーは、ズデーティ・ドイツ人の救済を口実にズデーティ地方の割譲を要求し、38年、ミュンヘン協定によってズデーティを併合した。第2次世界大戦後の45年、ズデーティがチェコスロバキア領に復すると、250万人以上のドイツ人が追放され、その後にチェコ人、スロバキア人が入植した。追放されたドイツ人のほとんどはドイツに移住した。

 

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