2005年6月7日 経済史講義メモ(A)
ケルブレ教授特別講義で、第二次世界大戦後のヨーロッパ社会の家族の変化の知識を得た。それが、経済の発達(資本主義の発達、資本主義的市場関係の発達、家族経営の現象と大企業化・大工業化・都市化・消費社会化の相互関係)と関連していることも理解した。
問題提起:
とすれば、家族は、古い時代から、歴史と経済の変化・発達とともに変容してきたのではないか?
参照: 前工業化時代から20世紀におよぶ長期間のヨーロッパの家族の変化については、M.ミッテラウアー/R.ジーダー著若尾祐司/若尾典子訳『ヨーロッパ家族社会史−家父長制からパートナー関係へ−』名古屋大学出版会、1993年(第3刷が2003年)
「前工業時代には、家族そのものがほとんど唯一の生産共同体であった。これは農業にも手工業にも同じようにあてはまる。大経営形態の労働組織は、主要に鉱山業と建築業のみに存在した。たしかに生産機能を持たない家族として、前工業時代をはるかにさかのぼって、農村や都市の数多い日雇い人を考えることができる。だが、工業的大経営の成立によって初めて、生産機能を持たない家族が大量に出現した。・・こうして生産共同体としての家族は、通例から例外的なものになっていった。
この展開は、家族の構成に決定的な意味をもった。共同で行う労働の役割配分から与えられる結びつきは、いまや消え去る。とりわけ世帯を継承する際に結婚する必要や、配偶者の死後に再婚する必要がなくなる。
もともと農家や、また広く手工業者の家でも、家長と主婦という二つの中心的な地位に空きは許されなかった。・・・家長や主婦の地位を持つ限り、前工業化社会ではたいてい結婚していなければならなかった。このことから、この時代の再婚や再再婚の高い比率も明らかになる。核をなす既婚者のペア―したがって二人の人間からなる基本要素−は、前工業期の家持ち家族では普遍的なものだった。・・・工業化やそれと平行して進む近代化プロセスの結果は、・・・「不完全家族」のチャンスが拡がったことである。つまり、家長と主婦という二つの中心的な役割の担い手を、つねに欠かせないという強制は消えたのである。圧倒的多数の家族が生産機能から解除されたことが、こうした展開の背景をなすとみることができる。・・・[1]」
戦後日本の40年間の労働力調査(講義資料として配布済み)の結果が示したことは、まさにこうした農民経営、自営業の大幅な減少であった。その意味での、社会の近代化の進展、経済構造の近代化であった。
古代社会における家族形態とその変化
古典:ルイス・H・モルガン[2]『古代社会』(1877年、ロンドン)[3]
第一篇第一章(A)(T) 発明や発見をとおしての知力の発達[4]
(T)野蛮時代
(1) 下段階。人類の揺籃期。その本来の限られた住地にすみ、果実や木の実を食料とする。この時代に音節語の始まり。魚を食料に獲得し、また火の使用の知識の獲得を持って終わる。この状態にある諸部族は、人類の歴史時代には発見されない。
(2) 中段階。魚を食料にし、また火の使用をもってはじまる。人類は原住地から、地表の大部分にひろがった。
(3) 上段階。弓矢の発明ではじまり、土器製作技術の発明を持って終わる。いわゆる「地理上の発見」で西洋人に発見された当時の南北アメリカのいくつかの部族
(U)未開時代
(1) 下段階。土器製作技術で始まる[5]。次の段階(中段階)にとっては、西と東との2つの半球の相異する資源が考慮に入る。
東半球では動物の馴養。
西半球では灌漑によるトウモロコシや植物の栽培。同時に家屋建築における乾燥煉瓦や石の使用。
19世紀中頃−70年代で、この段階にあったのは、たとえばアメリカ合衆国のミズーリ川東方のインディアン諸部族。土器製作をおこなっていたが、馴養された動物を持っていなかったヨーロッパやアジアの諸部族。
(2) 中段階。東半球では、動物の馴養ではじまり、西半球では灌漑による栽培、建築における乾燥煉瓦や石の使用で始まる。鉄鉱の溶解方法で終わる。
19世紀中頃−70年代で、この段階にあったのは、ニューメキシコ、メキシコ、中央アメリカ、ベル−の村落インディアン。そして、家畜をもってい
るが、鉄の知識をもたない東半球における諸部族である。
(3) 上段階。鉄鉱の溶解、鉄器の使用などではじまり、表音文字の発明、文藝作品における書字の使用をもって終わる。未開の上段階にあるのは、ホメーロス時代のギリシャ諸部族、カエサル時代のゲルマーニー族。
* 発見当時のオーストラリアやポリネシアは、純粋で単純な野蛮にあった。
アメリカのインディアン人種は、発見されたとき、未開の下段階と中段階を、そのほかのいかなる部分の人類よりも詳細に、そして完全に示していた。極北のインディアン、南北アメリカのいくつかの沿岸部族は、野蛮の上段階にあった。ミシシッピ川東方の半村落インディアンは、未開の下段階にあった。南北アメリカの村落インディアンは中段階にあった。
第一篇第二章 生活手段の諸技術
人類の進歩の大きい諸時期は、多かれ少なかれ直接的に、生活手段の諸資源の拡大と一致していた。
(1) かぎられた居住地での、果実または草根による自然的な生活手段。原始時代、言語の発明。このような種類の生活手段は、熱帯的または亜熱帯的な気候を仮定する。熱帯の太陽のもとで、果実や木の実を生ずる森林。
(2) 魚食品。 最初の人工的な食べ物で、料理しなくては、完全に用いられない。火がはじめてこの目的のために利用された。(野鳥の狩猟は、人類の生計の唯一の手段とするには、つねにあまりにも不安定であった。)
この種の食べ物によって、人間は気候や場所から独立するようになった。海や湖の岸をつたい、また河の流域に沿って、野蛮の状態にあるあいだに、地表の大部分に広がることができた。
これらの移住の事実について、全大陸で発見された燧石や石器の遺物に豊富な証拠がある。
つぎの時代までの間に、食べ物の種類や分量における重要な増大。
改良された武器、特に弓矢による狩の獲物の不断の増加。弓矢は、槍や戦闘棒の後にあらわれた。弓矢→狩猟の決定的武器であり、野蛮の末期(野蛮の上段階)にあらわれた。弓矢はポリネシア族一般やオーストラリア族に知られていなかった。
魚がいる広大な地域の外部では、すべてこれらの食物資源の不安定性によって、人食い(カニバリズム)が人間の手段となった。
(3) 栽培による澱粉質食物
東半球のアジアやヨーロッパの諸部族では、未開の下段階、そしてまた中段階の終わりに近づくまでは、穀草の栽培は知られていなかったらしい。
反対に西半球では、未開の下段階にアメリカ原住民に穀草栽培が知られていた。彼らは園圃耕作を持っていた。
両半球は自然によって与えられたものが等しくない。
東半球は馴養に適したあらゆる動物と大部分の穀草をもっていた。
西半球は、栽培に適する一つの、だが最良の穀草(トウモロコシ)をもっていた。
未開の中段階のはじめに、
東半球のもっとも進歩した諸部族が、穀草に知識がなくても肉や乳を与える諸家畜をもっていたとき、彼らの状態は、西半球のアメリカ原住民(トウモロコシや植物を持っていたが家畜を持っていなかった)よりも、はるかに優れていた。
動物の馴養とともに、セム人種やアーリア人種の、未開人からの分離が始まったらしい。穀草の発見と栽培が、アーリア人種の間では、動物馴養よりもあとである・・・
(証明: アーリア語のいくつかの方言で、動物のための共通語はあっても、穀草または栽培された植物のための共通の用語がない)
耕作(囲まれていない小地面の耕作)→囲まれた園圃の地面の耕作→田畑の耕作
東半球での園圃耕作は、人間の必要よりもむしろ家畜の必要のためにおこったらしい。
西半球では、トウモロコシとともにはじまった。アメリカではそれは集中的居住と村落生活をもたらした。
穀草や栽培植物のおかげで、人間は食物を豊富にする可能性についての最初の印象をえた。−澱粉質食物とともに、人食いが消える。それは戦時には残存[6]したし、未開の中段階にあるアメリカ原住民、たとえばイロクォイ族やアステカ族の間では、戦闘集団によって実行された。だが一般的な慣行は、消滅していた。
人食いを、野蛮時代の野蛮人は、捕虜とした敵たちに対して、そして飢饉のときには、友人たちや親族者たちに対して実行した。
(4) 肉と乳製品
西半球では、ラマを除いて、馴養に適した動物の欠如。例外的に家禽や七面鳥、その他の野鶏。
東半球において発達した動物の馴養は、肉や乳製品をたえず供給した。それらを持っていた諸部族は、そのほかの未開人から分離した。→ 脳の大きさのちがい。「アーリア人種やセム人種の優秀さは、大量の家畜の維持のおかげである。」
動物の馴養 → 人類揺籃の地から離れて、ユーフラテ河とインドの平原、アジアの諸草原での牧畜生活へ → 穀草栽培を習得して、西アジアやヨーロッパの森林地帯へ生活圏を広げる。
(5)
田畑耕作による無限の生活手段。
諸家畜は人間の筋肉を、畜力でもって補い、もっとも高い価値のある新しい要素である。
ずっと遅れて、鉄の生産は、畜力によって引かれる鉄頭の犂、そして、もっとよい鍬と斧を与えた。
そして、これらのおかげで、従来の園圃耕作から田畑耕作がおこり、それによってはじめて無限の生活手段が保証された。
→ 森林開墾、広い野原の耕作
→ 限られた地域での稠密な人口が可能となった。
モーガン『古代社会』(邦訳・岩波文庫、他)重要部分抜粋[7]
人類史における生命の生産・再生産(家族)の仕方の発達・労働能力の発達・生産諸力の発達・富の形成・その継承相続の欲望 → 家族・社会関係の変化発達、国家の起源
家族形態(結婚形態)・・・血族、姻族の親族名称(誰を親と呼び、誰を兄弟と呼び、誰を子供とするか、誰をいとことするかなどの名称体系)のあり方を巡る研究から、家族形態の変化発展を解明。モーガンは、人生の大部分を19世紀中頃当時、ニューヨーク州に住んでいたイロクォイ族のなかで過ごし、イロクォイ族の一つのセネカ部族に養子として迎えられた人物[8]。
大局的な対応関係:
野蛮・・・集団婚、 未開・・・対偶婚、 文明・・・単婚
古代家族
最 古・・・乱婚を伴っている群生活。無規律(現在または以前の時期に行われる禁制[9]の障壁が行われていなかった)の性交。「たんに兄弟と姉妹が元来は夫婦であったばかりではなく、親子の間の性交さえ、多くの民族では、今日でも[10]なお許されている」。
家族はなかった。嫉妬という障壁は成り立たなかった。
ここでは、人類が乱婚を抜け出し新たな社会形態を作り出す契機としては、母権だけが、何らかの役割を果たすことができた。母権制、親子間性交の禁止へ。(自然淘汰の原理) 部族の中での氏族(母系)の分化へ
血族家族(家族の第1段階)・・・もっとも原始的な形態にある家族・・・血縁の兄弟たちと姉妹たちのあいだの交婚制。婚姻制度の範囲が広がるにつれて、傍系の兄弟姉妹たちをしだいに含めた。・・・一集団のなかでの直系や傍系の兄弟姉妹たちの交婚。
この血族家族では、夫たちは一夫多妻婚で、妻たちは多夫一妻婚で暮らしていた。
群れは、乱婚(近親繁殖の害が多い、現実の経験)から、血族家族にならなければならなかったが、血族家族は最初の「組織された社会形態」であった。
プナルア[11]家族(家族の第2段階)・・・血縁の兄弟と姉妹たちとの婚姻関係を漸次的に排除した結果としての家族制度(近親繁殖の害の排除)。しかし、傍系の兄弟たちと姉妹たちを婚姻関係のなかに留める。
兄弟たちは彼らの直系の姉妹たちを娶ることをやめてしまい、氏族組織が社会に対してその完全な結果をあたえたあとでは、彼らの傍系の姉妹たちと婚姻することもやめた。だが、この中間では、彼らは彼らの残りの妻たちを共有した。同じようにして、姉妹たちは、彼女たちの直系の兄弟たちと婚姻するのを止めてしまい、長い期間の後で、彼女たちの傍系の兄弟たちと婚姻するのをやめた。だが、彼女たちは彼女たちの残りの夫たちを共有した。
未開の中段階のマッサゲタイ族についてヘーロドトスの章句、「各人は一人の女を娶るが、彼らはすべての女たちを共有している」は、対偶家族の端緒を示す。それぞれの夫は、彼の主妻となった一人の妻とむすばれていたが、集団の範囲のなかでは夫たちと妻たちは共有でありつづけた。ヘーロドトスの別の章句、「彼らは、互いに兄弟たちであるために、また親族者たちとして、互いに嫉妬も嫌悪もいだかないために、妻たちを共有している」。
対偶家族(家族の第3段階)・・・排他的な同棲を伴わない個々の一対のあいだの婚姻。
「すでに集団婚のもとでも、あるいはさらにそれ以前にも、長短の期間にわたる、ある程度の対偶関係は生じていた。夫は多くの妻のうちに一人の主要な妻(まだ愛妻とまではいえない)をもち、彼女にとって彼はほかの夫たちの中でももっとも主要な夫であった。・・・しかし氏族が発達すればするほど、そして、いまでは互いに通婚できなくなった「兄弟」や「姉妹」の階級が多人数になればなるほど、そのような慣習的な対偶関係はますます強化されざるをえなかった。
氏族によって与えられた血縁者間の通婚阻止への衝動は、その後さらに力を振るった。こうしてわれわれは、イロクォイ族やそのほか未開の低位段階にある大部分のインディアンでは、彼らの制度に列挙されるすべての親族の間での婚姻が禁止されているのを見るのであるが、通婚禁止親族は数百種にも上るのである。通婚禁止が複雑さを増し、集団婚はますます不可能になり、対偶家族によって駆逐されていった。この段階では、一人の男が一人の女と同棲するが、しかし、一夫多妻制と時たまの不貞は、たとえ一夫多妻制が経済的な理由でまれにしか生じなかったにしても、男の権利であることに変わりはなかった。これに対して女は、同棲の期間中、たいていはきわめて厳格な貞操を要求され、その貫通は残酷な処罰をうける。しかし、婚姻紐帯はどちら側からでも容易に解消できるし、子は依然として母にだけ属する。
血縁者を婚姻紐帯からますます排除していくことのうちにも、自然淘汰が作用しつづける。血縁関係のない諸氏族間の婚姻は、肉体的にも精神的にも強力な人種を生みだした。進歩しつつある二つの部族が混血すると、新しい頭蓋と脳髄は自然に拡大して、両部族の能力を包含するまでにいたる。」[12]
「対偶婚以来、婦女の略奪と購買がはじまる。[13]」
家父長的家族(家族の第4の、だが通常的でない段階)
一夫一妻婚家族(家族の第5段階)
富の増加→直系の子どもたちへの富の伝達の欲望→出自を母系から父系へと変える。財産の直系による相続の設定[14]。
財産の創出、保護、享有を主要な考慮に入れて、統治機関と法律が作り出された。財産は、それの生産の手段として、人類の奴隷制度を生み出した。財産所有者の子どもたちによる財産相続の確立とともに、厳格な一夫一妻婚家族の可能性が、はじめて現れた。
一夫一妻制家族が、子どもたちの父を確保し、氏族、部族の共同所有権を不動産や動産の個人的所有権にかえ、父系親の相続を子どもたちによる排他的な相続にかえた。
第四篇 財産観念の発達
第一章
第一章
相続の三規則
「最古の財産観念(!)」は、生活手段の獲得、基本的な欲求と、密接に結びついていた。生活手段が依存している諸技術の増大とともに、所有権の対象が、自然的に多くなる。財産の発達は、このように、発明や発見の進展と歩調をあわせた。こうして、継起的諸時代は、発明の数ばかりでなく、これらから生じた財産の多様さと数量においても、先行の時代と比べて、著しい進歩を示している。
財産の諸形態の多様性は、占有と相続に関する一定の諸規定の発達をともなわねばならなかった。財産の占有と相続のこれらの規制が依存する諸慣習は、社会組織の状態と進歩によって決定された。こうして財産の発達は、発明や発見の増大と、人類進歩のいくつかの継起的時代を特徴付けている社会制度の改善とに、密接に結びついていた。
(T)野蛮の状態における財産
野蛮人の財産は取るに足らぬものである。粗野な武器、織物、什器、衣服、火打石(器)、石器、骨器、等が。彼らの主な財産品目である。財産物件が少ないので、所有欲もない。
土地(=主要な生産手段)は、部族によって共有され、また、共同長屋はその居住者たちによって共有された。
発明のゆっくりした進歩とともに増大した純粋に個人的な物件に対しては、所有欲が、その芽生えつつある力を育てた。もっとも価値あるものとみなされた物件は、死亡した所有者の霊界での継続的な使用のために、死亡した所有者の墓にうずめられた。
相続、その第1の大きい規則は、氏族制度とともに生まれたが、この規則は、死者の動産を、その氏族員たちに分配した。実際にそれらは最も近い血族者たちによってつかわれた。だが、財産は死者の氏族に残された。そして、その成員たちの間で分配されたというのが一般的な原則である。
氏族・・・母系・・・母系相続・・・子どもたちは彼らの母を相続したが、彼らの父とみなされたものからは、何も受け取らなかった。
(U)未開の下段階における財産
主な諸発明・・・土器製作技術、手織り。栽培技術、動物馴養。
(1) 見ぶり言語=人身記号の言語、(2)絵文字、象形的な記号、(3)象形文字、すなわち慣習的な記号、(4)音標力の象形文字、すなわち図式によって培われた音標記号、(5)音標字母、すなわち記述された音声[15]。
栽培(労働)の発達→耕されている田畑または園圃という財産形成・・土地財産
土地は部族によって共有されていたとはいえ、耕地に対する占有権は相続の主体となった個人または集団に、いまや認められた。共同世帯に統合されていた集団が、だいたいにおいて同じ氏族に属し、そして、相続規則は土地が血族関係から引き離されることを、許さなかった。
相続。夫と妻の財産および動産は、別々に保有されていて、彼らの死後には、彼らがそれぞれに属していた氏族のなかに、留めおかれた。妻や子どもたちは、夫や父から何も受け取らなかった。
男が妻や子供たちを残して死んだならば、彼の財産は、彼の姉妹たち、その姉妹たちの子どもたち、彼の母方の伯叔父たちが、財産の大部分をうけとるというように、彼の同氏族者(母系氏族)たちの間で分けられた。
妻が夫や子供たちを残して死んだならば、彼女の財産は、彼女の子どもたち、姉妹たち、母の姉妹たちによって相続されたが、大部分は彼女の子どもたちに割り当てられた。
つまり、いずれの場合も、財産は氏族のなかに残された。
財産の種類と量は野蛮時代よりも多かったが、それでもなお相続に関して強い感情を発展させるには、いまだ十分に強くなかった。
人類生成発展史における野蛮時代、未開時代の長さについて:
「野蛮の段階、未開の下段階、これら2つの時代が、地球上での人類の全生存の、少なくとも5分の4をおおっている。未開の下段階に、人間のよりすぐれた諸特質が発達し始めた。人格の尊厳、雄弁、宗教的感情、正直、剛毅、勇敢が、いまや性格の一般的な諸特徴であるが、残忍、反逆、狂信もそうである。宗教における自然力崇拝は、人格伸や大霊についての漠然とした観念、素朴な試作、共同長屋、トウモロコシのパンとともに、この時期に属している。それはまた対偶家族をもたらし、また胞族や氏族から組織された諸部族の連合体をつくりだした。人間の向上に、かくも大きく貢献した大きい能力である想像力は、いまや神話、伝説および伝承の口承文学を生み出した。」(『ノート』p.63)
(V)未開中段階における財産
財産。個人の財産の著しい増大と、人々の土地に対する関係におけるいくらかの変化。
土地の所有権はなおも部族の共有に属したが、いまや一部分は統治機関の維持のために、一部分は宗教目的のために、別個にされたが、またいっそう重要な部分−それから人々がその生活手段を手に入れた−は、同一の部族に居住していた人々のいくつかの氏族あるいは共同体のあいだで分配された。
諸氏族または人々の諸共同体による土地に対する共有、諸共同長屋、親縁の諸家族による占有方式によって、家屋や土地の個人所有は存在を許されなかった。
第二章 第二章 相続の規則(続き)
未開の上期は東半球で始まった。
鉄鉱石の溶解法。青銅があるにもかかわらず、技術的な目的のために、じゅうぶんに強くて固い金属の欠如によって、進歩がはばまれていた。→ 鉄の発見!これにより進歩急速。
(W)未開上段階における財産
この時期の末には、多量の財産が一般的になった。・・・定住的農業、手工業、地方的な取引、外国貿易による。・・・財産は多種類となり、個人的所有権により保持された。
「財産の差が生じるにつれて、したがってすでに未開の上位段階で、賃労働が奴隷労働と並んで散発的に現れ、そして同時に、その必然的な相関物として、自由人の女子の職業的な売春が、奴隷の強制された肉体提供とならんで現れる。」『起源』p.88.
[1] ミッテラウアー/ジーダー、45−46ページ。
[2] 最近(2004年7月)、佐原真『遺跡が語る日本人のくらし』岩波ジュニア新書234、1994年(2004年6月、第13刷)を読んだ。モルガンに関する評価が、p.182以下にあったので、抜粋しておこう。
「人間が大昔から現代までどのように発展してきたのかということを考えた人は大勢います。今からおよそ100年前、アメリカのルイス=H=モルガンという人類学者が、次のような発展段階を考えました。
野蛮→未開→文明
このモルガンの原案をほとんどそのまま使って、ドイツの社会経済学者フリードリヒ=エンゲルスが、次のような発展段階を示しました。
野蛮→未開→文明
狩猟→遊牧→農業」
現在の研究の到達点からすると、「狩猟→遊牧→農業」の進化は一般化はできないという。
「一番古い時代は、食糧採集の時代です。狩をしたり、木の実を集めたり、魚や貝をとるなど。自然の恵みを集めます。つぎに農業が生まれます。とくに西アジアでは、食べるための家畜をあわせもった農業がはじまったのです。遊牧はこれから分かれていったもの」と。
→ 遊牧
狩猟
→ 農業
[3] 以下の講義メモは、そのマルクスがモルガンの本を抜粋要約した『古代社会ノート』邦訳、未来社、1976年から抜粋したものである。
[4] 頭脳の発達の基礎となるのは生活諸条件獲得のための人間の営為。歴史貫通的原因!
[5] 燧石や石器は、土器製作よりも古く、古代の居住地では、しばしば土器を伴わずに発見された。
[6] 20世紀における戦時でも。
日本の敗戦時のフィリピン(大岡昌平『野火』)、独ソ戦期のソ連地域(スターリングラード)など。
[7] フリードリヒ・エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』による補足。
[8] 『起源』の最新訳(土屋保男訳、新日本出版社、1999年)の解説(浜林正夫)によれば、モーガンはニューヨーク州で生まれ、1844年弁護士資格を得て事務所を開いた。
「アメリカの原住民であるインディアンは、1830年の強制移住法によって西部に追いやられ、東部に残った人々も差別と貧困に苦しんでいたが、白人の中にもインディアンに連帯する動きがではじめていた。そして、インディアンの土地を買収しようとした土地会社とのトラブルに、弁護士としてモーガンはインディアンの側に立って交渉にあたり、結局、土地買収を阻止することに成功した。この成功によって、モーガンはインディアンから多いに尊敬されるようになり、イロクォイ族の一つであるセネカ族の養子という身分を与えられた。養子というのは、氏族以外のものを氏族員として受け入れることである。」同書、p.288.
1861‐1868年共和党下院議員、68‐69年上院議員。『古代社会』等の現じ人類史、原始家族史の研究成果が認められ、1875年アメリカ学士院の会員に推され、80年にはその会長に選ばれた。その翌年、64歳で没。
[9] 「禁制」(タブー)の観念も一つの障壁。
タブーとしての「近親相姦」観念の形成は人類がある発達段階に達して獲得した歴史的なもの。「横倒しの世界史」・・・19世紀70年代でも、つぎの注に見られるような古い制度慣行が例外的に残存し、したがって近代的一夫一妻婚と並存状態にあった。
[10] 「今日」とは、つぎの意味。バンクロフト(『北米太平洋岸初秋の原住人種』1875年、第一巻)は、ベーリング海峡沿いのカヴィアト族、アラスカ近くのカディアク族、英領北アメリカのティンネー族について、これを報告している。ルトゥルノーは、北米のチップウェイ・インディアン、地理のクークー族、中南米のカリブ族について、同じ事実の報告を集めている。エンゲルス『起源』岩波文庫、p.48.
イランのパルチア族、ペルシャ族、黒海北岸のスキタイ族、中央アジアのフン族、等などに関する古代のギリシャ人やローマ人の説話も、これを報告している。同上、p.49.
[11] 1860年ホノルルのある裁判官が伝えたハワイの血族名称体系の表に添えた手紙の文章・・・「プナルアの親族関係は、むしろ2重的である。それは二人またはそれ以上の兄弟たちが彼らの妻たちを、または二人またはそれ以上の姉妹たちが彼女の夫たちを、互いに共有する傾向があった事実から起こった。だが、この言葉の現在の用法は、親友または親しい仲間のそれである。」
[12] モーガンからのエンゲルスの引用。『起源』岩波文庫、pp.62-63.
最近、少子化の急速な進行が問題になり、それとの関連で、結婚のあり方も問題になっている。つい最近のニュースでは、日本人と外国人の結婚が増えてきたこと、そうした日本人と外国人の結婚を素材にした漫画がベストセラーになっていることなどが報じられている。
世界は、経済関係、文化関係、人間関係のグローバル化の進展を通じて、かつては見られなかったほどに婚姻関係をもますます世界的なものグローバルなものにしている。現代世界は、諸人種・諸民族の「混血による新しい頭蓋と脳髄」の拡大を人類史上、かつてないほどに飛躍的に拡大しているといえるかもしれない。人種・民族・国家のこれまでの枠組みは、人間移動、人間関係のグローバル化の進展度に応じて、根底から変革・破棄されていき、新しい高次元の人類が形成されていくということか?
[13] 同上、p.64.
[14] 「未開の下位段階まで、永続的な富は、家屋、衣類、粗野な装飾品、食料の獲得と調理のための道具、すなわち小舟、武器、ごく簡単な什器にほぼ限られていた。いまや、馬、らくだ、ロバ、牛、羊、山羊、豚の畜群という形で、前進的な遊牧諸民族―インドの五河地方(パンジャブ地方)とガンジス河地帯等にいたアーリア人、エウフラテス河とティグリス河の流域にいたセム人―は、わずかの見張りとごく大雑把な世話をしさえすれば、ますます大量に繁殖して乳や肉の食料をきわめて豊富に供給する財産をもつにいたった。・・・
この新しい富は、当初は、氏族のものであった。しかし、畜群の私的所有はすでにはやくに発展したに違いない。・・・確実なのは、正史の入り口では、畜群がすでにいたるところで家族首長の単独財産であったのが見いだされる、ということである。未開期の工芸品、すなわち金属器、奢侈品、そして最後に人間家畜―奴隷、とまったく同様に。」エンゲルス『起源』岩波文庫、p.72.
[15] 現在でいえば、IT化の急激な進展、インターネット網の世界的発達が、「主な発明」として、後世から評価されるかもしれない。
[16] 「下位段階の未開人には、奴隷は無価値であった。したがってまた、アメリカ・インディアンも征服した敵を、ヨリ高次の段階で行われたのとはまったく別の方法で取り扱っていた。男は殺されるか、または勝利者の部族に兄弟として迎え入れられるかした。女は娶られるか、またはその生き残りの子と一緒に、同じく養子に迎えられるかした。人間の労働力は、この段階では、まだその生活費用をこえる剰余をいうにたるほどもたらしはしなかった。」 エンゲルス『起源』pp.72
「牧畜・金属加工・機織り、そして最後に畑地耕作の採用とともに、事情は変化した。以前にはあれほど容易に得られた妻が、いまでは交換価値をもち、買われるようになったが、労働力についても、特に畜群が最終的に家族所有に移行して以来、同様のことが生じた。家族は家畜ほど急速には増加しなかった。家畜を見張るためには、もっと多くの人間が必要となった。戦争でつかまった敵がそれに利用され、そのうえ彼らは家畜そのものと同様に繁殖させられたのである。」同上、p.73.
対偶婚時代に、実母と並んで公認の実父・・・当時の家庭内分業によれば、食料の調達とそれに必要な労働手段の調達は夫の仕事であり、したがって、労働手段の所有もまた夫に属していた。妻はその什器を保持。当時の社会慣行によれば、夫は新しい食料源泉である家畜の所有者であり、またのちには新しい労働手段である奴隷の所有者でもあった。
父から子への富の継続・相続の欲求・・・母系氏族の打破。一夫一妻婚と富の所有者としての「男性の独裁」。
「富が増加するのに比例して、この富は、一方では、家族内で男性に女性よりも重要な地位を与え、他方では、この強化された地位を利用して、伝来の相続順位を子に有利なように覆そうとする衝動を生み出した。・・・母権制による血統が覆られなければならなかった。」同上、p.74.
[17] 婚姻は便宜婚。ここでの「単婚は決して個人的性愛の果実ではなかった。」「一夫一婦制が歴史に登場するのは、けっして男女の和合としてではなく、・・・一方の性による他方の性の圧制として」である。『起源』岩波文庫、p.86.