20050621経済史講義メモ
中世都市の成立
古典荘園時代のヨーロッパ・・・「直接的な欲求充足にもとづく」実物経済
→純粋荘園制への移行
この移行の背景に、封建社会の安定、生産の余剰と領主層の「賦役労働の生産物」および現物地代(生産物地代)の交換の漸次的形成
*地中海貿易と北海・バルト海貿易
地中海貿易・・・イタリア商人による東方貿易。南欧商業。
アレクザンドリア、トリポリ[1]、アンティオキア[2]など、イタリアから見て「東方(レヴァント)」すなわち、地中海東岸を訪ねて、東洋の産品を手に入れる→ヨーロッパへ。
アマルフィとピサに続いて、13世紀にはヴェネツィアとジェノヴァが栄えた。フィレンツェもこれを追っていたが、15世紀にはヴェネツィアが優位。 3000隻のヴェネツィア商船が地中海を往来。
商館(フォンダコ)を設けて、外来商人の取引を統制。イギリスやフランドルへも進出。
東方貿易の商品・・・奢侈品・・・香料(胡椒、生姜、丁子[3]、肉桂[4]など)、染料(サフラン[5]、明礬[6])、乾燥果実、高級綿・絹織物(ダマスクス[7]製の綾織、モスル[8]制のモスリン、ガザ製の紗織、じゅうたんなど)
なかでも胡椒は、食生活ばかりか支払手段として土地の購入や借金の返済に、関税の支払や持参金にも用いられるなどきわめて珍重され、「19世紀イギリス外国貿易における綿花と茶に匹敵する」ほどの重要な商品。
→シャンパーニュをはじめ北ヨーロッパの大市(メッセ)へ運んで売りさばいた。
パリの東南にあるシャンパーニュ伯領では、12世紀半ばころから毎年4箇所で6回のメッセが交替で開かれ、あらゆる国々の隊商を迎え入れて特産品の交換。
14世紀シャンパーニュのメッセの衰退→ブリュージュ、ケルン、フランクフルト・アム・マインなどのメッセが栄える。
南ドイツ商人も、ヴェネツィアを訪ねて東方産品の卸商業に関与。
ヨーロッパから東方への物産・・・鉱産物、毛織物、奴隷などが輸出。
穀物、船材、刀剣類なども禁令を犯して供給。
中でも重要なのが、ドイツ産の銀と銅。
複式簿記・・・イタリアで誕生
コンメンダ・・・持分資本・・・東方貿易で発生。
バルト海貿易・・・北ドイツ商人によるハンザ貿易。北欧商業
不リースランド人とノルマン人(ヴァイキング)に続いて、10世紀末頃から北ドイツ諸都市の商人が乗り出す。
バルト海沿岸に建設された多数の植民都市(リューベック1158年、ウィスビー1160年頃、ロシュトック1218年、ダンツィヒ1230年頃)にも商圏を広げた。
14世紀後半の黄金時代・・・加盟都市は90を越える。
ロンドン、ブリュージュ、ベルゲン、ノヴゴロッドに商館を設けて、北欧商業に独占的地位を築く。
イギリスの外国貿易も、イタリア人から次第にハンザ商人の手に。羊毛輸出のおよそ3分の一あるいは2分の一。
ハンザ商人
北東ヨーロッパの特産物(毛皮、蜜蝋、ピッチ、タール、ニシン(鯡)[9]やたら(鱈)などの魚類、木材、鉱産物、穀物[10])
西ヨーロッパの塩、羊毛、毛織物など。
*内陸の商業路の漸次的形成・・・遍歴商人
隊商を組んで、王の宮殿はじめ貴族の城や修道院あるいは各地の市などを遍歴。
遍歴商人の定住・・・宮殿、城、修道院、教会などのある集落や川岸の取引場所に、最初は一定期間、のちに永続的に定着。
北フランス、ベルギー、西ドイツなどの地域で、10世紀頃から、商人集落の形成→都市。
さらに、年市やメッセ
イングランドの羊毛、ライン地方のぶどう酒、東方の香料と高価な織物、ロンバルジア[11]の甲冑や武具、スペインのサフランや水銀、ポメラニアの皮革、フランドルの毛織物、その他各地の教会工芸品や琥珀、塩、奴隷などがおもな取引品。
農村・・・手工業者や巡歴職人の形成。
→都市への吸引。手工業者の都市への集住。
高価な特産品ばかりでなく、農産物や手工業品も交換される週市も。
都市は商人や手工業者の来住で膨張
→城壁街の地域に住み着く・・・外郭市区
外郭地区に新しい教会。
農村(農民)と都市(商人・手工業)の分業関係・・・・都市経済
都市の自治
封建領主と戦って自治を獲得。市民文化の形成。
商人や手工業者の定住地・・・封建領主の土地。その支配に服する。
しだいに経済力をつけ、商人ギルドなど団体(誓約団体)を結成・・・自分たちの共通の利益を守る。
領主の暴政に対して、自治権獲得の運動・・・コミューン運動。
1074年のケルンの運動。
1077年のカムブレー[12]の運動。
商人と手工業者などが市民として共同体を結成・・・ケルンの場合、市民は独力で城壁を築き、市民の共同体を形成。1112年大司教はこの市民共同体を承認。
裁判権と徴税権を獲得。
市民の間から市長と市参事会員を選ぶ。
市場の取引を規制・・・都市法の制定(独自の法領域)。・・・禁制圏の設定。
城壁(財産、生命、自治のとりで)
「一年一日の原則」(Jahr und Tag)・・・逃散農民の避難・市民化
「都市の空気は人を自由にする」(Stadtluft macht frei)
「門閥都市」から「平民都市」へ。
都市の自治の担い手・・・最初、有力商人・大地主、「門閥」(都市貴族パトリツィア)
門閥ギルド。都市の要職を独占、遠隔地取引や問屋制前貸で都市市場を支配。
14世紀から15世紀
下積み手工業者による挑戦
手工業者は、同職ギルドに結集・・・ギルド闘争(ツンフト闘争)
同職ギルドの参政権が確立した都市・・・「平民都市」
ギルド闘争の結果・・・二つのタイプ(北欧型と南欧型)
南欧型・・・フィレンツェ・・・1378年、チオンピ(職人)の一揆→フィレンツェの市政を手中に。
1382年、崩壊→都市貴族の力
フィレンツェの毛織物工業も、また都市全体も行き詰まり状態へ。
北欧型・・・フランドルやイギリスの諸都市
同職ギルドの市政参加がある程度達成される。
それと並んで、農村工業が展開・・・イギリスではすでに15世紀に、フランドルでも16世紀には都市工業を圧倒する勢い。
南ドイツ・アウグスブルク・・・1368年手工業者の蜂起。市の役職は、都市貴族と同職ギルドの双方から同数ずつ・・・「民主的市政」・・・1548年まで180年間続く。
このほか、ドイツでは、大部分の都市で同職ギルドが市政に代表を送るようになった。
16世紀半ば以降、別の条件から、ドイツは都市による農村工業の抑圧(禁制領域拡大)が進む。
[1] トリポリ Tripoli レバノン北西部、地中海に面した港湾都市。アラビア語でタラーブルス、古代のトリポリスにあたる。トリポリには鉄道と幹線道路が集中し、石油パイプラインの終点でもある。主要な産業は、石鹸製造・タバコ耕作・海綿採集・石油精練など。かんきつ類・石油・羊毛が主要な輸出品となっている。トリポリは、前700年代に建設され、古代フェニキアの首都だった。後638年イスラム教徒に支配され、1109年十字軍に占領された。1289年エジプトとの戦争で破壊されたが、再建され、のちにオスマン帝国領の一部となった。1920年フランスの委任統治領レバノンが成立、レバノンの一都市となった。人口は16万人(1998年推計)。
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[2] アンタキヤ
アンタキヤはラテン語名をアンティオキアといい、前3世紀には壮麗な建物のたちならぶ商都として繁栄していた。パウロらによるキリスト教布教の拠点にもなり、世界史に何度も登場する古都だが、6世紀の大地震やササン朝ペルシャの攻撃などによって荒廃し、現在はのこっている史跡も少ない。オロンテス川をはさんで東岸はバザールなどのある旧市街、西岸は近代的なビルがならぶ新市街である。
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アンタキヤ
アンタキヤはラテン語名をアンティオキアといい、前3世紀には壮麗な建物のたちならぶ商都として繁栄していた。パウロらによるキリスト教布教の拠点にもなり、世界史に何度も登場する古都だが、6世紀の大地震やササン朝ペルシャの攻撃などによって荒廃し、現在はのこっている史跡も少ない。オロンテス川をはさんで東岸はバザールなどのある旧市街、西岸は近代的なビルがならぶ新市街である。
Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2003. (C) 1993-2002 Microsoft Corporation. All rights reserved. アンタキヤ
アンタキヤ Antakya トルコ南部、シリアとの国境近くにある都市で、アンティオキアともいう。オロンテス川沿いに位置し、地中海に近い。近隣の農業地域では、かんきつ類とブドウが豊富に栽培されるほか、オリーブ・メロン・小麦・綿花も栽培されている。おもな製造品は、石鹸・絹・革製品・金属の加工品がある。また、シリアのアレッポなどとむすばれる交通の要衝で交易も盛ん。人口は12万3871人(1990年)。
アンティオキアは、アレクサンドロス大王に仕えた将軍で、後継者のひとりとなったセレウコス1世によって前301年につくられた。古代の街は現在よりは大きく、セレウコス朝シリア王国の首都で、ローマ帝国の属州の主都でもあった。地中海とイラク地方をむすぶ隊商ルートの交差地点に位置しており、ローマやアレクサンドリアにひけをとらない壮麗な建造物がたちならぶ通商都市に発達した。前64年に、シリアがローマに占領されると、アンティオキアはローマ帝国(→ ローマ史)の東の主都になった。ローマ人は、神殿、宮殿、劇場を建設し、水路を拡大してメイン・ストリートを大理石で舗装するなど、街をさらに華麗にととのえていった。
アンティオキアはキリスト教の中心地だった。使徒たちは伝道にでかける前に、ここで説教をした。パウロの指摘で、「クリスチャン」という言葉がはじめてこの地でつかわれるようになった。260年に街はペルシャの手におち、その後13世紀もの間、アラブ人、ビザンティン帝国、セルジューク・トルコ、十字軍、エジプトに占領されつづけた。戦争による荒廃や、25万人が死んだといわれる526年の地震などによって、街はしだいにその重要性をうしなっていった。
近・現代になるとアンタキヤとよばれ、1516年にはオスマン帝国の一部となり、第1次世界大戦(1914〜18)後にはフランス領シリアにくみこまれた。1939年にトルコに割譲された。
古くからの街にもかかわらず、古代からの建造物はわずかである。街をとりかこむ高い壁や、ローマ時代の水道橋の一部がのこっている。考古学博物館には、2〜3世紀の床モザイクのコレクションがある。近郊にはキリストの使徒が説教をしたペテロの洞窟があり、その中には、12〜13世紀に、十字軍がたてた教会がある。Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2003. (C) 1993-2002 Microsoft Corporation. All rights reserved.
[3] ちょう‐じ【丁子・丁字】#(clove) フトモモ科の熱帯常緑高木。原産はモルッカ諸島。18世紀以後、アフリカ・西インドなどで栽培。高さ数メートル、枝は三叉状、葉は対生で革質。花は白・淡紅色で筒状、集散花序をなし、香が高い。花後、長楕円状の液果を結ぶ。蕾つぼみを乾燥した丁香ちようこう(クローブ)は古来有名な生薬・香辛料。果実からも油をとる。黄色の染料としても使われた。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
[4] にっ‐けい【肉桂】#クスノキ科の常緑高木。インドシナ原産の香辛料植物。享保(1716〜1736)年間に、中国から輸入。高さ約10メートル。樹皮は緑黒色で芳香と辛味がある。古来、香料として有名。葉は革質で厚く、長楕円形。6月頃葉腋に淡黄緑色の小花をつけ、楕円形黒色の核果を結ぶ。にっけい1##の樹皮(桂皮)を乾燥したもの。香辛料・健胃薬・矯味矯臭薬とし、また、桂皮油をとる。にっき。シナモン。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
[5] サフラン【saffraanオランダ・#夫藍】
アヤメ科の多年草。南ヨーロッパの原産。球茎をもち、細長い葉を出す。10月頃、淡紫色6弁の花を開く。花柱は3裂して糸状、赤色で、紀元前15世紀ごろ、すでに香辛料・薬・染色に利用。サフランの名は本来この生薬の名。漢名、番紅花。##秋#。〈物類品隲〉[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
[6] みょう‐ばん【明礬】
(alum) 硫酸アルミニウムとアルカリ金属・アンモニウム・タリウムなどの硫酸塩との複塩の総称。一般には、硫酸アルミニウムの水溶液に硫酸カリウムを加えて結合させたカリウム明礬(化学式KAl(SO4)2・12H2O)を指す。熱すれば結晶水を失い白色無定形の粉末(焼明礬)となる。水溶液は酸性を呈し、収斂しゆうれん性の味がある。媒染剤・収斂剤・製革・製紙など用途が広い。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
[7] 現在ではシリアの首都。
[8] モスル Mosulで、ニネベ県の県都。アラビア語でマウシルとよばれる。モスルは、国内の主要都市と鉄道や幹線道路でむすばれ、またトルコにもつながっている。周辺地域では果物や穀物が栽培され、家畜が飼育される。モスルは農産物の重要な集散都市となっている。また、この地域には埋蔵量の豊富な油田がある。産業としては、自動車修理・セメント製造・綿織物・テンサイ精製・皮なめしなどがある。モスル大学(1967年創立)と技術専門学校がある。また、ティグリス川の対岸には、古代アッシリア王国の首都ニネベの遺跡があることでも有名である。モスルは、1977年から80年代後半にかけて、多数を占めるクルド住民とイラク政府との衝突で、人口の半分以上をうしなった。人口は87万9000人(1995年推計)。Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library 2003. (C) 1993-2002 Microsoft Corporation. All rights reserved.
[9] 13世紀の主要漁場・・・バルト海、
15世紀以降、主要な漁場がオランダ北岸・・・ハンザ衰退の原因のひとつ。
[10] 東方植民が進むにつれてs巻。プロイセ都市(ダンツィヒ)の比重の増大も、穀物取引匂っていた。
[11] ミラノ、クレモナなどの地域の平野(ロンバルディア平野)
[12] 北フランス