電撃戦勝利(ポーランド侵攻→デンマーク・ノルウェー占領→西部戦線・フランス占領)
1.ポーランド侵略
1939年9月ポーランド攻撃・ポーランド分割
(ポーランド西部・・ドイツに編入=併合、東部・・ソ連が編入=併合、
残余の地域が総督府)
ヒムラー親衛隊全国(ライヒ)指導者・ドイツ警察長官を
民族(性)強化全権に任命
ドイツ併合地域からのポーランド人およびユダヤ人の追放・
ドイツ帝国本土の拡大・併合した地域の民族的強化
cf.拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆1941−1942』同文舘、1994年、第2章。
(ドイツに併合したヴァルテラントからポーラード人を追放)
「指導者なき労働者民族」ポーランド人
ポーランド人追放の年表と人数
「労働民族」ポーランド人のドイツ戦時経済への動員(強制労働)
ドイツに併合した地域・都市における民族別住民構成−民族リスト−
ドイツに併合した地域には、特にヴァルテラントに非常にたくさんのポーランド人がいたことがわかる。
ヒトラー・第三帝国の見地からすれば、将来はこうした多数のポーランド人をドイツ帝国から追放し、この地域を純粋などいつ地域にする必要があった。
ドイツ民族強化策として、ドイツ人として認める(混血度合いで4つのランク)人間を「ドイツ民族リスト」に選別した。
以上のポーランド人に対するドイツ第三帝国の政策から確認しておくべきことは、
ドイツ第三帝国は、ポーランドを占領し、長期戦略ではこの地域をドイツ化ししてしまうことが目標であり、
短期的には、それを可能とする戦争に勝利することであり、従って、そのための労働力調達(奴隷的な労働使役)であった、ということである。
戦時下のポーランド支配においては、ポーランド人の中の反ユダヤ主義を利用し、
ユダヤ人を戦時下のさまざまな困難の不満のはけ口とし、生贄とすることが必要とされた。
ポーランド人の中のユダヤ人を最底辺におくこと、ユダヤ人を迫害することが、占領統治の必要不可欠の条件となった。
諸民族を階層的に位置づけ、
頂点はドイツ人(ゲルマン民族)、
中間にポーランド人その他多様な民族を配置し、
最底辺に、ユダヤ人。
総督府統治を任された総督フランクは、大量のポーランド人とユダヤ人を受け入れることは難しいと、拒否の姿勢。
ポーランド人追放・ユダヤ人追放の圧力、
しかし、総督府には、受け入れる余地なし(極めて困難)。
2.1940年 北欧・西欧侵略
デンマーク、ノルウェー占領
オランダ、ベルギー、ルクセンブルク占領
−占領諸地域、ドイツ軍需経済への組み込み・利用
→民衆への圧迫
→ユダヤ人迫害要因の蓄積−
cf. @拙稿「ドイツ第三帝国のオランダ・ベルギー占領とその軍事経済的利用」『経済学季報』第40巻第4号、1991年6月。
A拙稿 「ドイツ第三帝国の占領政策と民衆意識の変遷−オランダ・ベルギー、ルクセンブルクを中心に−」、『経済学季報』第41巻第1号、1991年9月。
民衆意識の変遷−反ドイツ意識−
3.フランス占領
cf.拙稿「 」『1939 ドイツ第三帝国と第二次世界大戦』同文舘、1989.