親衛隊(エスエス、SS、Schutzstaffel)


下記に示すように親衛隊が警察機構の重要部署(ドイツ警察長官、治安警察長官、刑事警察長官など)を握り、その親衛隊・警察機構がホロコースト(射殺、移住、ガス室などでユダヤ人殺戮)を行った。

 それでは、その責任者の人々の顔は、「何百万のものユダヤ人を殺戮した人物・主犯」に見えるか?


 
 政治の世界において、何百万の人間を殺す機構の責任者(主犯)たちが、「極悪非道の人物の顔」に見えないとすれば、われわれは、しっかり物事を考える必要にせまられるのではないか?

 ヒムラーやハイドリヒは、どのような理念、どのような大義を掲げて、ユダヤ人を殺戮したのか?




ニュルンベルク裁判の検察官(アメリカ主席検察官代理)だったケンプナーの次ぎの著書(初版1964年、拡充再版1987年)から、いくつか引用しておこう。




親衛隊帝国の全体図(1944年現在)


                   ヒムラー親衛隊ライヒ指導者・ドイツ警察長官
                               
R・ヒルデブラント         ハイドリヒ(カルテンブルンナー)  ダリューゲ      ポール
(人種・植民本部長官)        (ライヒ保安本部長官)     (秩序警察)    (経済管理本部長官)
                               
内国情報部(オーレンドルフ):外国情報部(シェレンベルク):刑事警察(ネーベ):ゲシュタポ(ミュラー)
                                                          
                                                 B4ユダヤ人課(課長アイヒマン
                                        (ヨーロッパ全域からのユダヤ人の絶滅収容所への移送を組織) 


一般SS(1939年)24万人
武装SS(1944年)56万人
親衛隊髑髏部隊(1944年)3万人




頂点ハインリヒ・ヒムラー親衛隊ライヒ(全国・帝国)指導者・ドイツ警察長官(初代のゲシュタポ長官ディールス・右と)



ライヒ保安本部(訳としては、帝国保安本部・国家保安本部も)長官・治安警察・親衛隊保安部長官ラインハルト・ハイドリヒ




イスラエルに逮捕されて裁判を受けるアイヒマン(監獄で)


元アウシュヴィッツ司令長官・ルドルフ・ヘース
   ニュルンベルク飛行場(ポーランドへの引渡しの時、1946年6月)




親衛隊経済管理本部長官オスヴァルト・ポール
(強制収容所は当初、髑髏部隊のもとにあったが、のちに経済管理本部の下に置かれた)



経済管理本部は1942年にヒムラーの命令で創設された。
(強制収容所の管理、収容所囚人の強制労働者としての利用など)