軍需主導の景気回復
−ワイマール民主主義体制を破壊(結社・言論思想の自由などの破壊)した上での全権委任法体制


文献:Noakes/Priodham,Nazism, vol.2

生産財の生産増加、これに対する消費財の生産増加
(表190)
明らかに生産財主導(軍事主導に関連)

全工業生産の増加は、1933年を100として、1938年に205.1

しかし、生産財の生産は、
255.6.これに対して消費財はわずかに145.1


    
(表191) 生産財の増加率が、消費財の増加率をつねに(1939年初めを除いて)うわまわっている。



(表192)1928年(相対的安定期の最後の年)から1938年まで(恐慌期を除く)の投資の推移

 ヒトラー政権誕生の1933年から投資がはじまり、1938年までに総額は4倍
298億ライヒスマルク)になっている。

 その総投資額のうち、たとえば、1938年は、136億ライヒスマルクが軍需関連投資である。



1933年から38年の
投資総額は、1059億ライヒスマルク。そのうち、軍需関連が418億ライヒスマルク

 軍需以外の基礎的生産財投資は、1933年から389年に160億ライヒスマルク(表では、あやまって160.0となっているが16.0が合計額として正しい)。

 この160億ライヒスマルクのうち、四カ年計画(戦争準備のための火薬・爆薬、合成ゴム・合成ガソリンなど大化学企業イ・ゲ・ファルベンのものが多い)の
43億ライヒスマルクも、軍需関連に加えるべきものである。なぜなら、その生産物は、軍が需要するものであり、普通の生産財として生産物に入るのではないからである。

 418億+43億=
461億ライヒスマルク、これは、33−38年の総投資額43.5%
 

 民需投資についてはワイマール期の最高額(93億ライヒスマルク)にも達しなかったことを見ても、
軍需主導・軍需中心の投資であったことが明確である。





GNPに占める軍需生産の割合(ドイツ、アメリカ、イギリスの比較)

 
ドイツが、GNP比率で、軍事費を1933年の3%から、毎年のように増大させていく様が手に取るように分かる。

     ヴェルサイユ体制(ヴェルサイユ条約)で軍備を制限されていたが、これをヒトラーは大国との「同権」を主張しながら、打ち破っていった。

     1936年に大幅に増え、さらに「平時」の最後の年、1938年に急激に増えていることもはっきりしている、

      実際に戦争が始まると、
軍事支出の割合は当然のことながら急速に増大する。


     四カ年計画(ナチ政府は第二次四カ年計画と位置づける)を党大会で公表した1936年に、国民所得の13%。

     ズデーテン問題、ミュンヘン危機、チェコスロヴァキア解体の1938−39年には17%、23%とに上昇
     (ここでシャハトはライヒスバンク総裁を退陣)。

     電撃戦段階の1940年で38%。
    



 
イギリスが、急激に軍事費の割合(GNP比)を高めるのは、1939年以降である。
 ドイツとの開戦後、それまでの遅れを取り戻すかのように急激に軍事支出を増やした様が分かる。

 
アメリカがGNP比で急速に軍事費を増やすのは、1941年以降である。







ヒトラー政権誕生後、軍需生産中心の投資と財政支出(国家による軍需品購入)が進んだが、それでは、ドイツの輸出入はどうなったか?

 ワイマール期の平和的相対的安定期の輸出入額は、ヒトラー政権誕生の1933年まで下落を続け(輸出は1934年まで)、その縮小した規模が1938年まで続いている。

 ドイツ第三帝国・ナチス経済は、閉鎖的な経済、世界経済との関連(貿易関係)を縮小した経済、ということができる。
 閉鎖的な経済体制で、軍需生産に力を注いだ体制、といえよう。


 それを一挙に打破しようというのが、1939年以降の侵略戦争である。





農産物の輸入と工業原材料・製品輸入の統計




輸出の農工部門別内訳





工業製品売上げの統計・・・軍需景気に対応して、1939年にはワイマール期の最高水準(190億−200億ライヒスマルク)にまで回復(単位は10億ライヒスマルク)
  

(ただし、ワイマール期は平和経済であり、ヴェルサイユ条約による軍備制限のもとで軍需売上げがほとんどなかったことを考えれば、売上げの内容=使用価値がまったく違っていたことは、はっきりしている)





これに対して民需(国民の消費生活)に関連する小売業の売上高はどうか?
 

 ナチ政権誕生の年を100として、1939年までにかなり小売業売上げも増加していることがわかる(総額で173)。

 
失業者の減少、雇用の増大は消費支出の増加と結びついたことが明確である。
 だが、雇用などのような分野で拡大したか?・・・・すでに見たように、投資の中心は軍需生産・・・軍需関連分野

 
消費生活協同組合が労働組合の破壊と関連して、ひどく打撃を受けたことがはっきりわかる。






ナチ政権の軍備増強政策に対する財界の態度
  1.重工業を中心に諸手をあげて賛成
  2.しかし、輸出に重点を置く企業、民需関連企業は反対、異論。




ナチ党は、大企業の中の反対を抑えていくためさまざまの工作・・・ユダヤ人経営者を辞めさせ、ナチ党員重役に置き換える。





軍需で大もうけをした企業(たとえば
大化学企業イ・ゲ・ファルベン社)は、ナチ党への献金を儲けの増加に対応して増やした。
ナチ党と軍需関連大企業の密接な関係。






農業・食糧問題

ドイツの当時の自給率は?(重要農産物について)

 自給率の低いのは食用油脂。




1938年まで、食料消費の水準(一人当たり)は、恐慌期の最低の年1932年より、わずかに改善しているだけ。

   コストの増加に比べて、収入の増加がうわまわっている。
   景気回復、雇用状態改善(完全雇用化)などが、農産物売上げの増加、収益の増加をもたらしたといえよう。
   
 (1935年以降、価格統制は厳格だったが、コストを相対的に抑制しつつ、総売上の増加で、収益の増加が達成できた、ということであろう)



価格統制下でも、コスト増加(労賃は抑制)に見合って価格の一定の上昇はみられた。

ただ、価格統制のため、農業経営者は農業労働者賃金を引き上げることも、農業機械を導入することも難しかった。




農業においては、
農業労働力不足が深刻になった。(イタリアやポーランドから低賃金農業労働者調達の努力)










ナチスと労働者階級
 −自立的独立的労働組合の破壊−


ヒトラーの設定したナチ党存在理由
    ・・・労働者を「ユダヤ」のマルクス主義や国際主義(インターナショナリズム)から切り離す、

      労働者を、ナショナリズムと反ユダヤ主義(反マルクス主義)「民族共同体」に引き付ける。


ナチ党の労働組合活動は失敗→労働組合(自立的な組織としての労働組合)を破壊
  ・・・親衛隊・突撃隊が、労働組合事務所などを襲撃し、財産を没収。。



    既存の労働者組織を破壊して、独自に労働者を組織する課題・・・
民族主義的・労使共同体的「ドイツ労働戦線」を創出。

 「マルクス主義が労働組合の背後に隠れることを許してはならない」・・・
反ユダヤ主義=反マルクス主義の連結=労働組合潰し




「労働の価格」=賃金の決定権限は、
労働信託官(国家の役人)に与える

労働組合が団体交渉に基づく団体契約で、雇用主=経営者側と取り結んでいた労使対等原則(商品売買者対等原則)の否定。




ドイツ労働戦線は、ナチス国家に労働者を統合することを目的とする

経済的社会的地位に関係なく労働戦線に組織する。すなわち、経営者・資本家と労働者を同じく扱う・・・と言っても労働者が固有に自分たちの組織を作り自分たちの独自の主張を掲げることは許されない。



 「労働戦線の高度の目標は、仕事をしている全ドイツ人がナチズム国家(国民社会主義国家)を支持するように教育することであり、国民社会主義(ナチズム)のメンタリティを見に身につけさせること」

 すなわち、「ユダヤ的・国際主義的・マルクス主義的な」思想・メンタリティから労働者を切り離すこと。

  
反ユダヤ主義=反国際主義=反マルクス主義の結合




1934年10月24日発布の
ドイツ労働戦線の本質と目標に関する命令Decree


1.DAFは、頭脳と腕の創造的ドイツ人の組織である。

  以前の労働組合のメンバーも、以前のホワイトカラーの労働組合のメンバーも、また以前の雇用者組織も、同権を持ったメンバー

2.ドイツ労働戦線の目標は、真の
民族的(国民的)で生産的な全ドイツ人の共同体を創出すること。

3.ドイツ労働戦線は、ナチ党の分枝組織a branchである


4.ドイツ労働戦線のリーダーシップは、ナチ党(NSDAP)の責任である。

7.ドイツ労働戦線は、労働平和を確立しなければならない・・・




DAFの中の組織として、
「労働の美」・・・労働条件改善
「歓喜力行団」・・・・・・労働者の労働意欲の刺激・喚起・・・物質的利益を目指す労働意欲ではなく、共同体への奉仕の理念、「工場共同体」、「民族共同体」などへの奉仕としての労働の位置づけ。


各種娯楽・
余暇活動の組織化


スポーツ活動の組織化

  
旅行・ハイキングなどの組織化




ナチ政権が引き継いだ
「雇用創出計画」(すぐに軍需主導に転轍)






雇用創出計画(1933年と34年)







軍需景気主導の景気回復による失業の減少1936年頃から早くも一部で労働力不足、特に熟練労働力不足の出現)

  (cf. 平時における基地経済依存型経済構造・・・基地・軍需縮小と失業・営業問題・・・平和経済創造の選択肢)






労働力不足・・・労働者(特に熟練労働者)の奪い合い


期限厳守の必要な公共的契約(したがって軍需・公共事業関係)に縛られた企業が、
引き抜きをやる。




賃金抑制のための努力・・ヘスの政令





賃金上昇圧力・・・「インフレの脅威」・・・
1938年6月25日のゲーリング令:賃金最高額固定令

「再軍備へのまい進を弱め、あるいは四カ年計画遂行を遅れさせるようなことを阻止するため・・・」





労働力不足にもかかわらず、
ナチ政府は賃金抑制に成功。


   出来高賃金引下げ・・・それに対する抗議の嵐・・・・ゲシュタポの出動、逮捕、解雇など