ドーズ案(1924年)とヤング案(1930年)


ドーズ案

ドーズ案 ドーズあん Dawes Plan 第1次世界大戦後にむすばれたベルサイユ条約によってドイツに課せられた賠償金の負担を緩和するため、1924年に作成された支払い計画案。

アメリカの銀行家チャールズ・ドーズを長とする国際委員会が立案し、ドイツが支払い予定をまもることができるように年間支払い金額をゆるやかに設定した。ドイツは国有鉄道や工業施設を担保として、アメリカを中心とする外国からの借入金を導入した。ドイツの民族主義的政治家たちは、ドイツを経済奴隷化するものだと非難したが、外相シュトレーゼマンは、社会民主党の支持をとりつけ、また第1党の国家人民党を分裂させて、国会承認に必要な3分の2の多数をえることに成功した。ドイツ国会は、1924年8月27日、ドーズ案をうけいれた。

フランスとベルギーの軍隊は1923年以来賠償金支払いを確保するためにドイツ最大の工業地帯ルール地方を占領していたが、25年、ドーズ案にもとづいて撤退した。またライヒスバンク(帝国銀行)も、外国による管理を受けた。

しかし、その後ドイツはふたたび支払いがむずかしくなったため、賠償金総額をさらに減額したヤングによって修正されることになった。ドーズはこの功績によって25年ノーベル平和賞を受賞した。