ハイドリヒの思想・行動・職務

 
拙稿「総力戦とプロテクトラートの『ユダヤ人問題』」『横浜市立大学論叢』第56巻人文社会系第3号(内藤純朗教授退官記念号)20062月刊より抜粋)



ハイドリヒの1936年の著書『我々の闘争の変遷』・・・・人種主義的帝国主義の闘争の論理(「人種闘争」の世界観)


「自然の生命と同じように、諸民族の生命Lebenも、強いもの、高貴なもの、人種的に高価値のものと低いもの、下等人種との間の永遠の戦いからなっている。この闘争が遂行される方法のみが不断の変化に晒される」と。



ヒトラー、ヒムラー、ハイドリヒなどの世界観において、世界は人種的階層構造(一種の階級構造・人種による上下の階段状位置づけ)で把握され、そのなかでユダヤ人・ユダヤ人種は最下位におかれ、不倶戴天の敵と位置づけられる。



ハイドリヒの本では、「ユダヤ人はこれまでずっと、北方人種が指導する人種的に健全なあらゆる民族の不倶戴天の敵であった。ユダヤ人の目標は、多かれ少なかれ目に付くユダヤ人上層による世界の支配あったし、現在もそうである」と。



ソ連・ヴォルシェヴィズムとの関係についても、次のようにいう。

    「ボルシェヴィズムはユダヤ民族の最も重要な目的達成のための創造物のひとつ」

      
ユダヤ人が不断に追求している目標は、「いつもつぎのこと、世界の支配と北方諸民族の絶滅であった



   米ソの冷戦体制が終わってからでもすでに15年(2020年現在からすれば、30年)以上
   現在の若い人々には、ソ連の巨大さ、ボルシェヴィズムの強大さに関しては、何の観念もないかもしれない。

 しかし、第一次大戦から、ヒトラーの『わが闘争』の書かれた1920年代半ば、そしてハイドリヒの本(1936年)、さらに世界戦争、第二次世界大戦後の数十年間の、世界を二分したソ連の軍事力などを、考えていかないと、ハイドリヒのいうことがわからなくなるであろう。

 別のところでも何回か言及することになるが、ドイツの第一次大戦の敗北は、ユダヤ民族、マルクス主義等によるもの、「背後の一突き」「背後の匕首」によるものというのが、ヒトラーとその幹部たち・支持者の一貫した見方。



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ハイドリヒの1941年9月、プロテクトラート総督代理就任演説

 フォン・ノイラートは41915日付けでライヒ官房長官ハンス・ハインリヒ・ラマース宛に月間情勢報告を提出し、「緊急性にかんがみてフューラーにただちに知らせるように」要請した。
 このプロテクトラート情勢月間報告(810日から910日まで)[1]によれば、最近数週間、プロテクトラートの政治情勢を特徴付けるのは、「チェコ人の抵抗精神のたいへんな先鋭化」であった。その主要原因は、第一に「ドイツは戦争に負けるに違いないという一般的な見方の強化」であった。

 それは、350万のドイツ大軍がソ連前線で敵に多大な被害を与えつつも苦戦していることが外国放送傍受など種々のルートでチェコ人民衆の中に浸透したことを示していた。ドイツ苦戦は身近な胃の府の問題にも波及していた。すなわち第二に、生活物資供給状態の「これまで以上のいっそうの悪化に対する住民の広範な大衆の反感の増大であった[2]

 プロテクトラート(ベーメン・メーレン)の食糧事情は、独ソ開戦後悪化した
  とりわけ、異常なジャガイモ不足の結果、パンや小麦粉が同時に不足し、その質も悪くなっていることと合わさって、さらにまたこれまでの油脂や肉の配給の引き下げや供給停止によって、ところによっては
すでに破局的とみられる状況になっていた。プロテクトラートのたくさんの工業や農業の経営で労働忌避が増え、部分的には非常な成績低下がみられた。

 41810日以降、12件の一時的職場放棄が起きた。それには戦時重要経営も含まれていた。こうした労働忌避の根拠は全体的に食糧状態にあった。個々の事件を検証してみると、労働者が持ち出した訴えは「部分的には正当」とみなされなければならないことが治安当局の立場からも明らかとなったという。それゆえ、劣悪な物資供給状態が続く場合には、首謀者に対するそのときどき国家警察的措置にもかかわらず、さらなるストライキの危険、その拡大の危険があった。さらに労働者層の間では「敵のラジオで恒常的に提供されているサボタージュの教唆」に進んで従おうとする態度の増加も確認できた。


 さらに418月中旬から9月中旬の4週間にたくさんのサボタージュ事件がおきていた。そのうち特筆すべき事件として月間情勢報告があげるのは、電話線の切断、列車のブレーキ用チューブの切断、機械の損傷、放火(たとえば一件では10万リットルのガソリン)、転轍機の誤操作によって貨物列車の衝突を意図的にひきおこすことなどであった。フォン・ノイラートは、710日の報告で要求したプロテクトラートの物資供給の「ほかの帝国領域との調整」が速やかに実現されなければ、こうした情勢の更なる先鋭化が予測されるとした。

 食糧事情の悪化がプロテクトラートの政治情勢に深刻な作用をおよぼすという点で、プラハの軍需査閲官も当地のドイツ人企業家も、ナチ党諸機関と同様にますます強く示唆していた。

 
「アーリア系工場労働者」がユダヤ人に同情・連帯を示す行為も[3]、まさに、治安警察的に危険な現象以外のなにものでもなかった[4]チェコ人の一般民衆とユダヤ人を分断し、ユダヤ人を迫害することによって一般民衆の反ドイツ意識のベクトルをユダヤ人に向けてそらそうとするのが、統治手段としての民族主義的反ユダヤ主義だったからである。


チェコの危険な情勢をヒトラーは掌握していた。41921日、総統大本営で、プロテクトラート次官フランクに、キエフ攻略戦で145千人の捕虜をとったことを自慢しつつ、「チェコ人はロシアの崩壊についてどのように思うか」たずねた。チェコ人には汎スラブ主義(その熱狂的支持)があるとして、ヒトラー自身の経験を語った。小学校のとき、日露戦争について、チェコ人の同級生はロシア側に同情を示し、ドイツ人は日本側にシンパシーを示した、と。

 
922日の総統大本営における昼食会には、ヒムラー、ハイドリヒ、フランクが同席した[5]


 ハイドリヒを総督代理に任命する経過に関しては、マルティン・ボルマンの日誌が示している。それによれば、
41921日、フューラーのところでフランク次官と会談、922日 フューラーのところでヒムラーおよびフランク次官とプロテクトラートのサボタージュについて会談、923日 フューラーのところで総督フォン・ノイラート、フランク次官、ゲッベルス博士と会談、
924日 フューラーのところで親衛隊ライヒ指導者、ハイドリヒ、フランク次官と会談。ハイドリヒが総督代理になる、と[6]

  第三帝国トップのこの数日間のプロテクトラートに関する動きについて、戦後のフランクに対する尋問記録によれば、ヒトラーはプロテクトラートの情勢について各方面から、たとえばライヒ保安本部、ヒムラーあるいはナチ党などからも情報を得ていた。
 フォン・ノイラート署名の月間情勢報告書はヒトラーの手中にあった。フランクがヒトラーにこの報告書の内容を確認した。ヒトラーは、プロテクトラートではこれまでのすべての脅かしの措置が役に立たなかったからこれまでより厳しい路線を敷くことに決めたと説明した。フォン・ノイラートではこれまでより厳しい路線を実行できない、と。そこでヒトラーは、ノイラートに病気休暇を、しかも、即座に申し出るように申し渡したという。「しばらくの間」、行政の指導をライヒ保安本部長官、親衛隊大将
R.・ハイドリヒに任せることにした。ハイドリヒもすでに総統大本営にこの命令を受けとるために来ていた。ヒトラーは、ハイドリヒはきっとふさわしいやり方で厳しく対処し、秩序を回復するだろうといった。フランクはヒトラーの決定に「非常に驚いた」が、この決定は前もってヒトラーとヒムラーが話し合っていたとの印象をもった
[7]

総督代理就任直後のハイドリヒの実際の処置は、約4月間の総督代理としての仕事についてプロテクトラート高官を前に総括した演説(19422)で自ら何度も強調するように、ベルリンで準備を整え現地警察当局と作った正確な計画にもとづいたものであり、「抵抗運動の鎮圧の諸措置」であった[8]


総督代理としてプラハ着任の当日、「計画通りに」、首相エリアスを逮捕し、ついで大臣ハヴェルカを逮捕した[9]。エリアスは、保護領の自治性・自律性をチェコ人民衆と世界に示すための象徴であった。その彼に対し抵抗運動とのかかわりを根拠に、裁判で死刑判決を下した。ヒトラーが「熟慮」しているのは、エリアスの死刑判決を直ちに執行するか、延期するかであった。延期したほうがドイツ支配下のほかの地域で「自治的」政府が同じような行動を取るのを抑制することになるのか、あるいは「捕虜」として直ちに処刑したほうが「チェコ人からよりたくさん手に入れることができるか」[10]。これがヒトラーの思案のしどころだった。そのような考慮の必要のない場合、見せしめは冷酷だった。同日、即決裁判で大逆罪により元陸軍大将一名、サボタージュ行為により一名、さらに無許可の意図的な武器所有により一名に死刑判決を下し、即執行した[11]

  しかし、一握りの目立った人物を逮捕し、処刑すれば問題は解決するか。そんなことはない。前記の情勢報告からも分かるように問題の根は深く広く多岐にわたっている。戦局にしても、国際情勢にしても、食料状態にしても、さらに、「エリアス逮捕前にはサボタージュで18%も−工場によっては35%も−低下していた武器生産」[12]も、厳罰処置によっては何も解決しない。チェコ人民衆をドイツ軍需体制に再結集するのは簡単な問題ではない。この情勢の打開の一つの手段として、民衆統合の武器としての反ユダヤ主義の活用はさらに一歩を進めなければならない。


食糧問題ももちろん重要だが、戦局とそれに対する見方こそはもっと重要である。ノイラートは、ドイツ国防軍の進撃に対する「ボルシェヴィストの抵抗の予期せぬ頑強さ」とその他の外交事情から、ドイツの成功の頂点は過ぎ去り、ドイツの最終的な敗北は不可避だという見方がチェコ人の共通認識になっていると報告している。最終的にドイツが敗北する事を冷徹に見通していたなら、対独協力(コラボラツィオーン)は抑制的になる。たしかにチェコ人の政治的な代表者たちは早まった公然たる抵抗で厳しい報復措置がなされることのないように「外面的には控えめ」であった。しかし、水面下ではいたるところで「受動的抵抗」が行われ、ドイツ人に対する敵対行為が広がっていた[13]


 危機打開の手段を先鋭化する必要があった。すなわち、反ユダヤ主義の政策も一歩大きく前進させることが選択される。
418月から9月の情勢悪化を受けて、一方でユダヤ人の一般の社会生活からの排除がさらに公然と推進される。他方で、そのように孤立化させたユダヤ人を戦時下にもかかわらず「来年春までの
一時的な回避策として、帝国領域からユダヤ人を東方に移送する政策を開始することになる。これが「総統の希望により」、9月中旬に決まったことだった[14]

 したがって、このユダヤ人の一般社会・一般民衆からの孤立化と移住=追放の政策は、戦争に勝利するための保護領統治の全体的政策の一部であり、不可欠な要素であった。その相互連関を、ハイドリヒは保護領高官を前にした秘密の長時間の就任演説で述べている[15]


 親衛隊は「総統と帝国の使命、大ドイツ帝国から大ゲルマン帝国への道を歩む使命を自覚して」執行機関として行動する。親衛隊の任務を全体として述べれば、第一には「すべての敵に対して敵、すべてのドイツ人に対して保護者」というモットーで総括できるものだという。第二の任務は「ドイツ民族の強化」である。保護領における任務を引き受けたとき、二つの柱、すなわちすべての敵を鎮圧することとドイツ民族に良いことで将来のために不可欠なことすべての将来計画が基本になるという[16]

問題をプロテクトラートという「遮眼帯」で見えなくしてしまわないために、地域の全問題を「全体として」見る必要があるとハイドリヒはいう。戦争のための前提条件、戦争遂行のための前提条件、必要な諸地域の占領のための前提条件、大ドイツと大ゲルマンの帝国の創造と構築のための前提条件は「帝国本土の内政的安定であった」という。当時、外国であった地域に関する研究調査を行い、事態の展開にともないたくさんの政治的な、また軍事的な成果のための前提条件を提供したとする。さらに、ヨーロッパ圏の政治的展開にしたがって、ドイツ人を、とくに「今日、東部でわが軍が占領している諸地域の民族ドイツ人」を帰還させる必要性と課題が発生したという。過去数年の出来事はすべて有機的に関連していることをはっきり認識していなければならない。戦争の前提と帰結は、徹頭徹尾、帝国を維持し、構築し、拡大するためのものである。帝国の敵はユダヤ人とフリーメイソンによって指導されているが、ナチズムの内面的な指導によって上昇しようとするドイツを絶滅しようとし、ドイツをユダヤ民族の世界計画にとっての危険とみなしている。ユダヤ人は、ドイツ圏内部から匕首の一突きがあればこのドイツの発展をかく乱し阻止できることを知っている、と[17]

 いまや総統の指導の下に、さらなる指導のための、そして戦争の勝利のための前提として無限に多くの地域を占領した。これらの地域の占領は多くの領域で一時的なものではなく最終的なものであることを肝に銘じておかなければならない、という。帝国の将来は戦争終結後の帝国の能力にかかっており、これらの地域を維持し支配し、場合によっては帝国と融合する帝国の人間の能力にかかっている。したがって、われわれがこれらの人間をどのように取り扱い指導し融合することができるかに、帝国の将来がかかっている。ユダヤ民族の劣悪な政治的指導と影響にからめとられた人々を現代的思想の基本的な要素に連れ戻さなければならない。ノルウェー、オランダ、フランドル、近い将来にはデンマーク、スウェーデンも含め、ゲルマン民族の住む地域が国家連盟の中でガウ(大管区)ないしそれに類似の形態でわれわれに属すものとなることを明確にしておかなければならない。ゲルマン人は厳しく、しかし公正に取り扱わなければならない。また、わが民族と同じように人間的に指導されなければならない[18]

 これに対して東方諸地域はどうか。スラヴ人は同等に取り扱われることをまったく欲しない。軍事的展開にしたがってロシアにいたるまで、そのウラルにいたるまでドイツ人が上層部を形成し、この地域を原料基盤とし、住民を労働者、いや露骨に言えば奴隷(へロット)としてわれわれのために投入することになる、と[19]


 
掲げる大義はヨーロッパの東方地域を「アジアの高波」から守ることである。そのために東部全体に屯田兵による防壁地帯を構築する。その地域にドイツ人を植民させ、ドイツ人防壁を拡大していく。ドイツ人防壁の最初のものは、ダンツィヒ・ヴェストプロイセンとヴァルテガウである。これらの地域にはオストプロイセンやシュレージエンの部分とあわせて1年前までは800万人ものポーランド人が住んでいた。これらの地域こそは、一歩一歩着実にポーランド分子を追放するために、完全に体系的にドイツ人を入植させなければならない。それから東方に向けて、バルト諸国をドイツ化していかなければならない。ラトビア人やエストニア人、リトアニア人は再ドイツ化やドイツ化が可能であり、中でもエストニア人が人種的にはもっとも良好な分子である[20]

バルト諸国についで大ポーランド地域が問題となる。この地域はドイツ人が非常に漸次的に定住しなければならに第二の地域である。この地域からはポーランド人分子を次第に東方に追放しなければならない。つぎにウクライナが問題となる。ここもさしあたりはまだ潜在意識のなかに眠っている民族的な独自の考えを活用して大ロシアから切り離し、広大な原料食料基盤としてドイツ指導下に生存させておく。この地の民族を文化的に強固にさせず、大きなインテリ層を構築させないようにしておけば、将来にわたって反対派が形成されることもないという[21]

明確にしておかなければならないことは、ベーメン・メーレンがドイツ史において帝国の中心であったことだという。良好な時代にはつねにドイツ民族の防塞であり、植民の時代には東方への守衛の詰め所であった。文化領域でも発達を遂げ、よき時代には防塞であり、ビスマルクが言ったように「ヨーロッパの砦」であった。それはドイツ帝国の最初の大学がクラカウよりもウィーンよりも前にプラハに創立されたことからも根拠づけられる、と[22]


しかし、ハイドリヒによれば、この地がドイツとドイツ史にとっていかに「運命的なダイナミズム」を持っていたかは印象的だという。帝国の没落の背後の匕首は、ほとんどの場合がこの地域からやってきた」と
 
その事例として古くは東方教会、ビザンチンの影響を引き合いに出し、また30年戦争の表面的な始まりがプラハの「窓からの墜落」だったという。そして現在の抵抗運動も、ボルシェヴィズムに対する決定的な宿命の対決で帝国を背後から崩壊させようとしているのだ、という[23]

しかし他方で、ベーメン・メーレンは歴史の建設的な計画においても運命的で決定的な役割を果たした、とする。東方植民で一つの役割を演じ、オットカル王も東方植民で最終的にはケーニヒスベルクにいたる東方への突撃隊として進撃してこの町を創設したとする。カール4世の時代、フリードリヒ大王の戦いやケーニヒツグレーツの戦いもこの文脈に位置づけられるという。そしてまさにアドルフ・ヒトラーの決定的な運命的な指導力が建設的な役割を演じ、2段階でこの地域を手に入れたのだ、とする[24]。ズデーテン割譲、そしてプロテクトラートの創設はこのように位置づけられる。


そこで現在の情勢に立ち戻る。今日われわれは新しい背後の匕首の展開をまさに経験している」と。最近数週間、サボタージュ・グループやテロ・グループによって、収穫の徹底的な破壊によって、緩慢労働によって、背後から匕首が突きつけられているこれらはロンドンの宣伝で操作され、プロテクトラート政府が我慢し、あるいは促進してしまったものである。それらはまったくはっきりとした大きな路線で組織されている。この抵抗組織は非常に体系的に準備され、チェコ人とロンドンの政府がこの地を危険な不穏状態に陥れ帝国を危険に陥れる時節が到来したと思えば立ち上がれるようにあらゆることしている

とハイドリヒは見る[25]

敵はチェコ人住民を大混乱に陥れ、あるいは陥れようとしている。そうすれば、「軍需生産における労働成績」がはっきりと損失をこうむることになる。それがひいてはほかの占領地域の「手本」となってしまう。つまり、最近数週間の事態は、帝国の統一が「はっきりと危険にさらされている」といえるような状況になっている。すべてのドイツ人は「総統の兵士」としての自覚を持ち、この地域に関する基本路線を完全に把握していなければならない。

 基本路線とは、この地域の治安平定であり、あらゆるチェコ人の自立性との戦いである。チェコ人はスラヴ人であり、チェコ人もすべての恩恵を弱さから出たものとみなす。そして、次々の要求を大きくする。だから、ドイツ人とは違うのであり、ドイツの行政方法と同じものは適用できない。この地域の行政区分は、ドイツ側から見て、この地域を最終的に支配し指導するための手段であり方法であるに過ぎない[26]。プロテクトラート統治の基本目標は隠してチェコ人大衆のドイツ軍需経済への効率的統合であった。 

  当地におけるドイツ人のすべての行動は同じ方向を向いていなければならない。

 われわれは現在、戦争遂行上重要で戦術的な諸理由から、チェコ人を一定の問題でかんかんに怒らせたり、燃え上がらせてはならない。目下、特定の戦術的理由から過酷にしなければならないが、しかしチェコ人がなんらの逃げ道がなくなったと思い込んで、いまや最終的な蜂起のときだなどと信じこまざるをえなくさせるような事態はさけなければならない。
すべての行動の背後にある基本的な考え方、すなわち当地をいずれドイツのものにしてしまうことに関しては沈黙しなければならない私の当地での任務ははっきりとした大きな二つの段階と課題領域に分かれている

 すなわち、第一は戦時特有の当面の課題であり、第二は長期的な最終課題のための導入である。第一の当面の課題は、戦争指導の必要性によって決定されている。当地の平穏が必要であり、それによってチェコ人労働者がドイツの戦争遂行のために完全に有効に労働力を投入することである。同時に、軍需産業が大規模にあるので当地で補給や軍需生産の発展を押しとどめさせないことである。この課題のためにはもちろんチェコ人の労働者にも餌を与えなければならない。ただ気をつけなければならないのは、チェコ人がその癖のままにみずからの私的なとんでもない特殊目的に活用するために「帝国の危機状態」に乗じることはさせてはならない。この当面の課題実現の前提となるのは、われわれがチェコ人にまずは当地の主人が誰かを示すことであり、ここではドイツの利益が物事を決定すること、ここでは結局帝国こそが決定的なものであることをチェコ人が知ることである。帝国はここでは当地の指導部によって、したがって諸君によって代表されている。帝国は冗談半分は許さない。このチェコ人は礼儀正しい、例外扱いにしよにしようなどということは許されない。もしもわれわれみんなが全体の態度で見えるように外側に向けてチェコ人に対して一つの戦線を形成していなければ、チェコ人は抜け道を見出し、それを通じていかさまをすることになろう、と[27]


プロテクトラートにおけるドイツ人とチェコ人の関係は、ドイツ内部におけるドイツ人とユダヤ人との関係とおなじで、断固としてドイツ人が主人だということを示すべきだということになる。プロテクトラートにおいては主人であるドイツ人の下にチェコ人を置き、そのチェコ人の下に位置づけて迫害を強めてきたユダヤ人をプロテクトラートから排除する政策をすすめる、ということになる[28]


 ハイドリヒによれば、もっとも本質的なことは実際に秩序だっていないことを整然とさせることだという。チェコ人を棍棒で追い回し、大変な消耗と警察の影響力で仕事に就かせるなどというのは無意味だ。労働者が「肉体的な力」を得るため、「仕事を行うために実際に必要」としているものは手に入れるようにしなければならない。この方向で国家次官フランクの提案で国家次官バッケが同席して総統の所で相談した。まだ胸のうちに置いてもらいたいが、チェコ人労働者には油脂配給を引き上げることにした。約
400グラムくらいになろう、と
[29]



 チェコ人がわれわれを愛していようがいまいが、将来の自己の国家自立を考えていようがいまいが、少なくとも現在は、すなわち当面の戦時下においては蜂起や抵抗などすれば損をするのはチェコ人だということを見抜かせなければならない。われわれが宣伝や諸措置などを通じて明確に認識すべきは、ひそかに何を考えていようと「目下は仕事をたくさんしているのが一番いい」ことだとチェコ人に自覚させることだ。帝国とうまくいかなければ、私が行動の自由を得るだけだ、と過酷な鎮圧手段を示唆する。われわれにとってはどちらでもいい。主要なことはチェコ人が静かにしていることだ。なぜなら、われわれは、この地域を最終的に自分のものとするために平穏を必要としているからだ。だから、基本路線が明確でなければならないが、また戦術も明確になっていなければならない。基本路線はナチズム
(国民社会主義)だ。基本路線は明らかであり、戦術も明らかだ。諸措置のすべてはただ帝国の戦争遂行のための活用ということにかかっている
[30]


当地で現在行っていることのすべては「当面の解決」のためだ。だがそれが「最終解決」を害してはならない。それでは「最終解決」とは何か。それはいつかかならずこの地域をドイツ人定住地域にしなければならないということだ。この地域は帝国の中心部であり、この地から二度と匕首の一突きがやってくることにわれわれは耐えられない。当地の住民を人種的民族的にふるいにかける。人種的思想的に良好なものはドイツ化が可能である。その反対の極、すなわち人種的思想的に劣等なものは外に追い出さなければならない。「東方には場所がいっぱいある」。真ん中に中間層がいる。これは正確に念入りに検査しなければならない。この層の中には人種的に劣等だが思想的には良好なものがおり、人種的には上等でも思想が劣等なものもいるからである。人種的に劣等でも思想的に良好なものは、子供が産めないようにして帝国のどこかで何らかの形で労働投入することが考えられる。だがあたまでっかちになってはいけない。これはあくまでも理論的なことに過ぎない。そこでつぎに人種的に良くても思想的に劣等なものだが、これは一番危険だ。一部分は帝国のどこか純ドイツ的な環境の中に入植させることもあろう。そしてドイツ化し思想的に教育することが可能であろう。しかしこれがうまくいかないものについては、最終的に銃殺するしかない。彼らを外に移住させるわけには行かない。移住した東部で指導層を形成することになろうからであり、われわれに歯向かってくることになろうからである[31]


 
チェコ民族の指導層は処刑し除去しなければならない。しかし、労働者層とわれわれにとって重要な仕事をしている連中は落ち着かせなければならない。そのためには一定の宣伝の術策も、供給問題でのちょっとした公式発表なども必要であろう。この地の食糧配給のチェコ政府責任者は逮捕させた。これによってチェコ人は、ドイツ人が指導力を発揮していると感じ、チェコ人の行政当局に責任があるのだと気づくことになろう。よいことのすべてはあつかましい住民に対する帝国の贈り物だと感じさせることだ[32]

 以上、 ハイドリヒの長時間の総督代理就任演説から、重要と思われるところをかいつまんで紹介した