1995年からの『国防軍犯罪展』とそれを巡る対立
   −国防軍犯罪の歴史的確認、国防軍神話の克服プロセス−

 ドイツ全土を移動する写真展。各地で注目を浴びると同時に、ネオナチ・極右勢力、右派勢力によって攻撃ないし非難された。

 そうした政治主義的非難や攻撃が続いた後、1999年には歴史実証的な問題が指摘された。写真のいくつかが、説明と違う、ということが歴史研究者によって学術雑誌で指摘されたのである。

 その歴史科学的な批判を受けて、移動写真展を主催したレームツマは、国際的な歴史科学的鑑定委員会を立ち上げ、検証の結果、一部写真の誤用を認め、移動写真展を中止した。

 そうした政治的・歴史科学的論争を経て、2001年秋に再開されたのが、ドキュメント中心の『国防軍の犯罪−絶滅戦争の諸次元』の展覧会であった(以下の写真はこの展示会カタログから抜粋したものである)。
 

『国防軍犯罪展』のプラカード
「絶滅戦争:国防軍の犯罪−1941年から1944年」


写真展示の会場風景(ハンブルク、1995年3月1日)





代表的な写真として広く知られ使われるようになった展示写真のひとつ
(セルビアにおける国防軍兵士による射殺現場:1941年4月)

ドイツの硬派週刊誌『シュピーゲル』の表紙(左):  『展示写真集』の表紙(右)




  (下)ドイツ国防軍の神話と残酷な真実






ドイツ各地・各都市を移動して展示。
   各地で、多くの訪問者により成功。

しかしとくに、
ミュンヘンにおける『国防軍犯罪展』で俄然、政治的論争(CSUと局による批判・非難)が激しくなり、世論が沸きたち、社会の関心を呼ぶ。

ミュンヘン市議会でも論争。


ミュンヘンのキリスト教民主同盟(CSU)議長ガウヴァイラーは、移動展示主催者・ハンブルク社会研究所長(ヤン・フィリップ・レームツマ:タバコ会社経営者)を批判。


1997年2月24日展示会が市庁舎内で開幕。
これに対し、極右政党NPDが、抗議デモを呼びかける。3月1日に、ドイツ全土から、極右勢力が4000人から5000人結集

これに対して、社会民主党、、緑の党、労働組合が呼びかけた極右反対・反ファシストのデモ集会(ナチ犠牲者記念碑前広場で)


列を成す展示会訪問者(マリーエンプラッツ・市庁舎)

ミュンヘンでは9万人が展示会を見た
そのうち、1万6000人が生徒。

              ミュンヘンのCSUによる無名戦死者記念碑への献花(1997年2月24日)。



           ミュンヘン市庁舎前での市民間の論争
展示への抗議・批判派               展示の積極的支持派
「市民団体・ドイツ兵士擁護同盟」       : ドイツ労働総同盟(DGB)「われわれは考え、思い起こそう」
「わが国防軍兵士は犯罪者ではない」        



社会民主党と緑の党は展示会を支持。
「緑の党」のCDU(キリスト教社会民主党)の態度に対する抗議のデモ(1997年2月24日、ミュンヘン)。




極右勢力は展示物にスプレーで落書きした。
(落書き防止のための覆いのビニール取り付け作業)

また、レームツマ批判を繰り広げた。
レームツマのタバコに、「わが兵士は犯罪者ではない」とシールを貼り付けろ、と。



極右勢力は、都市によっては、もっと過激な行動に出た。デモが暴徒化した。

1998年1月24日のドレスデンでの1000人以上の極右スキンヘッドのデモ
1999年1月30日、キールでは暴徒化。

 ザールブリュッケンでの極右政党のデモ
 「世界大戦の勇敢なわが兵士の名誉を!」

ザールブリュッケンでは展示会場(VHS市民大学校舎)の爆破までも(1999年3月9日)。




------歴史家の間での検証--------
ミュンヘン現代史研究所の所長メラーが、写真展の誤りと学術的な面の問題について批判を行う。



写真の説明が間違っている事例:NKWD(ソ連)の行為を、ドイツ国防軍の行為として説明。事実誤認。




写真の誤った説明の問題化


その
『現代史季報』に掲載されたムシアルの史料料批判の学術論文





もうひとつの学術的批判・・・・写真は正しい、しかし、その説明が不適切なものがあるではないか、と。






ポーランドの歴史家が、いくつかの写真の誤解(誤った説明)を指摘(センセーショナルな新聞掲載記事)。

新聞で大々的に報じられる。

   (下の写真は、ムシアル)



レームツマが展覧会を中止し、専門家委員会へ鑑定に。

 (1999年11月4日)



一年後(2000年11月15日)に、委員会報告