Walter C. LangerThe Mind of Adolf Hitler. The Secret Wartime Report, 1972,

『米国戦時秘密報告  ヒトラーの心』平凡社、1974(1989年、第3刷)










ヒトラー暗殺計画は何度もあった。
その最大規模のものが、1944年7月20日事件(軍、保守派、労働組合活動家などの陰謀事件)である。シュタウフェンベルク少佐がヴォルフスシャンツエの総統大本営の会議の際に爆弾を仕掛けたが、間一髪、それは失敗に帰した。




軍の暴動:兵士の大衆的反乱こそは、ヒトラー・ヒムラーなどが細心の注意を払って回避しようとした者であり、それに成功したことであった。
その点が、第一次大戦と決定的に違う点である。いやむしろ、その「1918年を回避する」ということこそ、ヒトラーの全戦略の中核にあったものというべきである。
上にも述べたが、現実にあったのは、軍上層部の暗殺計画であり、それは挫折した。

 米国の心理分析者がもっとも可能性があるとした最後の可能性=自殺の可能性、これが歴史的に事実となった。
自殺=「これはもっとも可能性のある結果である」と。


米国が、いかにしてヒトラー神話の形成を押さえ込みたかったか、非常によく分かる。
その意味では、ヒトラーを自殺に追い込んだことは、後世にとって、ドイツ人とヨーロッパの人々にとって、幸いであった。