鉱山業の発展



ロシアの農民改革後の発展の初期には、鉱山業の主要な中心地は、ウラル。
それが、19世紀末には、相対的に没落し、南部が飛躍的に発展。
なぜか?



農奴制の残存(ウラル)と自由な資本主義制度の発展(南部)の違い。







農奴制は途方もなく賃金を押し下げ、労働意欲の自由な発展は欠如。
ウラルは鉄道がなく、封鎖的。




南部では、労働者は、我慢できるだけの稼ぎが畑仕事であれば、いつでも鉱山や工場見捨ててしまう。縛り付けられていない。相対的に自由!




南部は多くの点で、ウラルとは正反対。

第91表 1867年に、銑鉄精錬の65%以上を占めていたウラルが、90年代に入って急激にその地位を相対的に低下させ、代わって南部が台頭し、1902年には追い越している様子が明確に出ている。


「南部は若くて、形成期にある。
最近の数十年間に個々で成長した純資本主義的工業は、伝統も、身分性も、民族性も、一定住民の封鎖性も知らない。
南ロシアには、外国の資本や技術者や労働者が多数、続々と移住してきたし、今も移住してきており、現在の熱狂時代(1898年)には、アメリカからそこへ多くの工業が移されている。
国際資本は難なく関税障壁を突き破って、「他国」の土地に腰を落ち着けたのである。」






第92表
ラルが遅れた生産関係(農奴制)に縛られているのに対し、ウラルが純資本主義的な機械制大工業として発展している様は、蒸気機関の数とその馬力数、さらに労働者数(南部は機械制で高生産性なので相対的にわずかの労働力・労働者数)にも示されている。

蒸気機関の増え方
馬力数の増え方
労働者数の増え方(絶対数では、低生産性のウラル地方が非常に多い)



石油・・・・カフカーズ・・・コーカサス・・・・バクー油田・・・・急激な発展

石炭・・・ドネツ炭田・・・・巨大炭坑への生産の集積


第93表
炭坑業の規模別(労働者数による規模別)の生産に占める割合・・・・・生産の巨大炭坑への集積

小規模の炭坑(労働者10人未満や、10-24人の規模)における低い生産性(労働者一人当たり採掘高)

大規模炭坑(労働者500人から999人、あるいは1000人以上)における高い生産性

生産性を左右するものとしての機械の導入レベル・・・蒸気機関の台数と馬力数





クスターリ工業=農民的家内工業



資本主義と国内市場は、生産財生産における増大で急速に。