ナロードニキ

ナロードニキ Narodniki 帝政ロシア末期に生まれた革命家集団。
その思想は、西欧的資本主義の発展段階を経験せずに、農民共同体(→ 共同体)を土台にして社会主義的段階に移行することができるというものだった。

その思想の背景には、後進国ロシアにおける革命運動のハンディキャップをいっきょに解消するために、先進西欧諸国が生みだした社会主義思想とロシアにおける共同体的な伝統をむすびつけようとするものだった。そのため、資本主義的発展の必然性を説くロシアのマルクス主義者たちと対立を深めていった。

このナロードニキ主義の始祖としては、ゲルツェン、チェルヌイシェフスキーがあげられるが、彼らの活動が活発となったのは、「ブ・ナロード(人民の中へ)」運動以降のことであった。

1876年に、社会主義の理論を説かず、すでに人民が自覚している要求を名前にした秘密結社「土地と自由」が誕生した。この結社は、農村に定住して宣伝活動をおこなったが、ブ・ナロード運動がもりあがった数年前にくらべ、今度は農民にうけいれられた。

しかし、帝政の弾圧がきびしくなり、権力との直接闘争へとむかっていった。

1879年には、農村における宣伝活動に重点をおく「土地総割替」派と、テロル戦術(→ テロリズム)による急進的な政治革命をめざす「人民の意志」派に分裂し、後者は81年に皇帝アレクサンドル2世の暗殺に成功した。



しかし、こうした権力闘争には、政治的ビジョンがとぼしく、その後のきびしい弾圧によって、ナロードニキの組織活動は壊滅においこまれた。その思想はエス・エル党にうけつがれていった。

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