民族強化政策・・・・全権ヒムラー
拙著(1994年)第2章、および、
つぎのゲッツ・アリー『最終解決』(ドイツ語Frankfurt,1995年、邦訳1998年12月)
私の説(ポーランド・西欧ユダヤ人の絶滅政策への移行=1941年12月説=その帰結としてのヴァンゼー会議の画期性)とゲッツ・アリ説(ひとつの大々的命令なるものは存在しない)との違いは、画期性(大々的転換点、飛躍)を41年12月=対米宣戦布告・世界大戦への移行に置くかどうか、という点にある。
「民族の耕地整理」
移住計画責任者=ヒムラー=親衛隊最高指導者(Reichsführer SS)=ドイツ警察長官=民族強化全権
マダガスカル計画、1940年夏
「民族の耕地整理」
絶滅収容所の立地など。