満州事変を主導した石原莞爾の発想・世界観


石原莞爾『最終戦争論』中公文庫
1993年、(改版2001年、2003年改版3刷)






石原莞爾が講演した時点は、1940年5月19日だから、ドイツがオランダ・ベルギーフランスに向けて侵攻を開始して間もない時点である。
若干手を入れたのが同年8月で、すでにドイツがフランスを屈服させた時点である。

この時点で、「第一次欧州大戦」、「第二次欧州大戦」という言葉を使っている。第一次世界大戦、第二次世界大戦という用語にはなっていない。


この本が出版された時点は、1940年9月10日付け。





---------------第二章 最終戦争-------------


「次ぎの戦争は体(3次元)の戦法」
「国民の持っている戦争力を全部最大限に使う・・・」




「戦争発達の極限に達するこの次ぎの決戦戦争で戦争が無くなる・・・」
「戦争発達の極限が戦争を不可能にする・・・・」





核兵器のような大規模・大量破壊兵器を予測
−現実の世界は、20世紀後半と通じて、核兵器・軍拡競争の時代だった-






--------------第三章 世界の統一--------------

国際連盟の失敗、しかし、
国家連合の時代

「自由主義の信条に基づく新しいヨーロッパの連合体制を採ろう」・・・イギリスにおける発想
「ドイツが勝ったならばヨーロッパ連盟を作る・・・」・・・パーペンの発言。



英国の傾向的没落・・・「二十世紀の前半期は英帝国の崩壊史」・・・「国家連合の時代には、英帝国のような分散した状態ではいけない」・・・(シンガポール以東の権益が拡大できるかの幻想)

アメリカ合衆国の勢力拡大

「日、独、伊、すなわち東亜と欧州の連合と米州との対立」

東亜で日本・・・との見方(実に甘い幻想)


スターリン体制のソ連・・・・「堅いけれども落とすと割れそうだ。スターリンもしものことがあるならば、内部から崩壊してしまうのではなかろうか?」






ヨーロッパ・・「ヨーロッパの組はドイツ、イギリス、それにフランスなど、みな相当なものです。とにかく偉い民族の集まりです。しかし偉くても場所が悪い。・・・となりあわせている。いくら運命共同体を作ろう、自由主義連合体を作ろうといったところで、考えはよろしいが、どうも喧嘩はヨーロッパが本家本元であります。その本能がなんと言っても承知しない。なぐりあいを始める。因果な話で共倒れになるのじゃないか。



「科学の進歩から、どんな恐ろしい新兵器がでないとも言えません」・・・原子爆弾体系の予感