離散ユダヤ人の歴史
cf.滝川著
ローマ帝国のユダヤ国家征服→ローマ帝国内各地に離散。
キリスト教徒によるレコンキスタ(771年開始)
イスラム教徒追放
ユダヤ人のキリスト教への強制改宗
ペストの発生・・・恐怖から「ユダヤ人殺し」
カトリック教会による異端審問・迫害・・・改宗ユダヤ人(マラノ)に対して。
レコンキスタの完遂とユダヤ人追放
1492年3月31日、イサベラと夫のフェルディナンドが、ユダヤ人追放令に署名。
ユダヤ人を受け入れたのは、オスマントルコ。
他方、スペインからひとたびポルトガルへ、しかしそこにも異端審問導入で、さらにオランダ(スペインと対立する独立国オランダ)へ。
貿易国家オランダは、ユダヤ人に寛容。
アムステルダムには、ドイツのアシュケナジ系ユダヤ人も流入
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ドイツとフランスのユダヤ人
宮廷ユダヤ人
ユダヤ人の土地所有禁止・商業のみ・・「ユダヤ人と商業が同義語」
イギリスのユダヤ人
キリスト教徒には、倫理にもとる行為として金貸しを禁じられていた。
十字軍によるユダヤ人大虐殺・・・進撃する十字軍・農民の血祭り
ペストの流行・災厄・・・・スケープゴートとしてのユダヤ人
ポーランドのユダヤ人
ドイツで迫害され、12世紀後半ドイツからポーランド、リトアニアへ。
ポーランドでは、モンゴル侵攻で荒廃した国土の再建のため、ユダヤ人やキリスト教徒を問わず、ドイツからの入植者を受け入れ。
ドイツ、オーストリア、ボヘミアから反ユダヤ環境に押し出されて多くのユダヤ人がポーランドへ。
ロシアのユダヤ人
ポグロム