旅が我々にもたらすものは何か(K.R.No.1

 

A.主題選択理由

  

1991年にアルプスで発見されたアイスマン、エッツィーやゲルマン民族の大移動

などに見られるよう、古くは旅は生きるための、いわば生活の一部であったと考えら

れる。しかし、人類は定住した後も旅を続けていることもまた事実である。その行動

は特定の地域に見られるものではなく、古くから歴史の書物に見受けられる。しか

し、現代は交通の発達等により、旅をすることは別段困難なこととは思われなくなっ

たであろうが、昔の旅は危険性が決して低いとは思われず、また多大な労力を必要と

したであろうと思われる。現在に至るまで、旅に生きた者は何を求めて旅をしたのだ

ろうか、旅は我々に何をもたらすのかといったことを考えるようになった。今回は4

人の思想家の意見を参考に、旅というものを考えてみたい。

 

 

1.思想家の見解―旅は人間をつくる(橋本和也著『観光人類学の戦略』世界思想社

 1999より)

 

  @モンテーニュ…判断力を磨く

 

   モンテーニュ(1533〜92)は、【エセー】の中で、外国を訪れることは

「その国々の国民性や、風習などを調べ、そうしてわれわれの脳味噌を他人のそれに

こすり合わせ、磨くことを目的とするものでなければなりません」という。当時の貴

族たちは、外国に行っても衣服がどうだとか、遺跡がどうだとかいったことにうつつ

をぬかしていたのである。そして他国の国民性とか風習とかを調べて、かれらの脳味

噌を磨く、つまりかれら自身の悟性を鍛え、判断力を磨いてはいなかったのである。

だが、必要なのは、すべてを自分でする自由をもった悟性と、自分自身の判断であ

る。そのためには、「お子様を幼少時代から外国を遍歴させることを、そしてとく

に、一石二鳥を狙って近くの国で、しかもわが国の言葉と最もかけ離れた言葉の国へ

やったらいいと思います。そういう言葉は早くから訓練しないと、舌を馴らすことが

できません」というのである。

 

 

 

  Aロック…教育の仕上げ

 

   ロック(1632〜1704)は、かれの教育論の旅行に関する章で次のよう

にいう。「教育における最後の部分は通例海外旅行です。海外旅行は教育の仕事の仕

上げであり、紳士の完成であると普通考えられています。」かれによれば、外国旅行

には大きな利益があり、その主たるものの「第一は言葉であり、第二は多くの人々に

逢い、いろいろの相互に異なった、とりわけ自分の教区、近所の人たちとは異なった

気質、習慣、生活方法の人たちと付き合って、知識と分別を向上させること」であ

る。

 

   ただ、ロックは、子どもを外国にやる時期についてはモンテーニュと異なっ

て、慎重である。「外国語を覚え、正しいアクセントで話せるようになる最初の時期

は、7歳から14歳ないし16歳である」と認めるものの、「自分を律するだけの思

慮も経験もない時期に、かれら【子どもたち】を両親の目の届かぬ遠い所へやって、

1人の監督者にゆだねることは、かれらをその全生涯の最大の危険に曝すことにほか

ならないのではないでしょうか」と危惧するのである。

 

 

 

  Bルソー…人間一般を知る

 

   ルソー(1714〜78)は【エミール】の中で「1国民しか見ていないもの

は、人間というものを知ることにはならないで、一緒に暮らしてきた人々を知ってい

るだけだということを異論の余地ない格率とわたしは考えている」という。そして、

「立派に教育された人間」は自分の同国人しか知らないのではなく、「人間一般を知

る必要がある」といっている。「10人のフランス人を比べてみたものはフランス人

というものを知っていることになるが、同様に10カ国の国民を調べてみたものは人

間というものを知っていることになる。」したがって、人間を知るためには、旅行が

必要ということになるであろう。ところが、ルソーによれば、当時の実態は、1番よ

く旅行するフランス人が1番諸国民を知ることがなかったりするなどして、必ずしも

旅行は適切にやられているわけではなかったのである。旅行自体は人々の天性をその

傾向に推し進め、人間を完全に善くしたり悪くしたりするものである。だから旅行は

「ごくわずかな人にだけふさわしいことだ。しっかりしていて、まちがったことを教

えられても心を迷わされず、不徳の見本をみせられてもそれにひきずられない人にだ

けふさわしいことだ」とされる。

 

 

 

 

  Cゲーテ…遍歴は立派な人間にする

 

   ゲーテ(1749〜1832)は教育小説ともされる【ウィルヘルムマイステ

ルの遍歴時代】の中で、人は立派な成人となる前に遍歴者として厳しい義務が課せら

れているという。「3日以上、1つ屋根の下にとどまってはならない。1つの宿を立

ち去るときは、少なくともそこから1マイル遠ざかって新たに宿をとらなければなら

ない」という掟である。これは、「歳月を遍歴の歳月とするのに」、また「定住の誘

惑がおこらないようにするのに」ふさわしいとされている。これは、ゲーテのまった

くの想像力のみから創作したのではない。ドイツでは、職人は、労働と教養の統合を

目指して、徒弟として各地の親方の元を遍歴し修行してはじめて1人前の親方へと成

長したという歴史的伝説がある。マイステル(マイスター)とは仕事をマイステルン

(マスター)した人、すなわち仕事を会得し名人や達人の域にまで熟達した人という

意味である。

 

   ゲーテはいう。「人間には自分がその中で生まれ、そのために生まれた状態だ

けがふさわしいのだからね。偉大な目的のために異郷に駆り立てられるもの以外は、

家に止まっているほうがはるかに幸福なのだ。」これは必ずしもただちに旅行を勧め

る言葉ではなく、むしろ凡庸なものには家にとどまることを勧める言葉である。しか

しながら、人は誰であれ、異郷をいかに遍歴するかによって、偉大な人となるか、凡

庸な人として終わるかの機会を与えられているともいえるだろう。なぜなら偉大な人

も異郷を遍歴しなければ凡庸に終わるかもしれないし、凡庸な人も異郷を遍歴してみ

なければ凡庸か否かは分からないからである。

 

2.見解として

 

 まず、私はモンテーニュの言葉についての意見は賛成できない。一般的に幼少時に

異国で暮らした場合、バイリンガルになると思われることは多い。たしかに、帰国子

女に見られるように無事にバイリンガルになれる人も多い。だが、その一方で、母国

語と外国語をコントロールすることができず、たった一つの言語も習得できないとい

う人達もいる(『入門 通訳を仕事にしたい人のための本』、遠山 豊子、 中経出

版、2001)。そう考えると、ロックの意見に私は賛成である。またルソーの言う

とおり、自分の知ってる世界とは別の世界をみることによって自分の中には存在しな

かった新しい世界を発見するということも賛同できる。だが、ゲーテの意見も参考に

してみると、私は限られた人だけではなくむしろ、誰もが旅を経験するべきなのでは

ないだろうか?私の場合、数々の国を回り、様々なカルチャーショックを受けた。し

かし、そのなかで、自分の中の狭い常識が崩れ、また自分の中になかった新しい世界

を生み出すことができたと思う。オーストラリアでは一日18時間バスに乗り続けた

事や67時間もの鉄道の旅、時間にルーズな交通機関、カジノにたむろするアボリジ

ニなどをはじめ、自分の抱いていた先入観が崩れ、新たな発見をしたという新鮮な感

動を味わうことができた。同時に日本という国が少しずつではあるが見えるようなっ

てきたと思う。そう考えれば、旅をする前になんであれ自分の意見や国のことを知っ

ておくことが重要になると思う。自分の世界を持たなければ、旅で得られるものは少

なくなるに違いない。

 

3.EUをみて

そうかんがえると、EU内を自由に旅行できるというシステムはすばらしいと思う。

確かにアメリカやオーストラリアでも大陸周遊といった旅行者用のパスはあり、場所

によって全くといっていいほど世界は異なるのであるが、やはり州ごとに検疫などの

チェックが入り、開かれているとはいい難い。だがEU内での移動は国から国という

異文化の間であり、その間にはおどろくべきことに、荷物検査すらされない。(イギ

リスなど一部除く) このような流れは各国間の文化交流を促進し、また他国への理

解が深まっていくのではないかと予測できる。アメリカやオーストラリアにはすでに

コミュニティーとしての完成をし、完成した姿のものが多いと思われるが、ヨーロッ

パでは他国の文化が入ってくることによって、自国のアイデンティティーをいしきす

ることができると思われる。

 

4.まとめとして

現在はグローバルスタンダードと呼ばれるほど、一国単位ではなく世界全体で物事を

考えるじだいになったと思う。そのためか、我が国でも英語の重要性が叫ばれてい

る。だが、私は真に学ぶのべきは異文化の姿とそこに映し出される自国の文化ではな

いかと思われる。今日、我々は自国と他国の文化をどれくらい知っているだろうか。

異文化の摩擦などによって発生したニュースが連日メディアを賑わす中、そんなこと

を考えずにはいられない。旅をすることは単にエンターテイメントだけでなく、我々

というものに新しい世界を教えてくれるものであると私は思う。これからは異文化と

接して生きることはもはや珍しいことではなくなるであろう。そのために旅をするこ

とは重要であると思う。