過去・現在・将来のための戦後責任F.M.No.2) 

 

 

1、       選択動機

 1945年、ドイツ・日本は共に第二次世界大戦の敗戦国となった。そして今現在、戦後60周年を迎えた中、両国は世界の先進国となった。ドイツは戦後、ヨーロッパ連合という大きな構造改革の中でリーダー格の国家に成長した。一方、日本も高度経済成長を経て経済大国となった。しかし近年、中国との関係は経済だけが熱を帯び、政治関係は冷え切っている。アジアとの関係においても、歴史認識の違いにより軋轢を生んでいる。このままでは東アジア共同体構想が歌われている現状で日本は取り残されるのではないか。第二次世界大戦中、ドイツはホロコーストという人類史上最大の国家手動による虐殺行為、そして侵略戦争を行った。日本は、アジア諸国に対し侵略戦争、及び植民地化を行った。このような重大な犯罪に対しての「責任」をドイツ・日本は果たしているのだろうか。このレポートでは、将来日本がアジアの一員として生き延びるため、認められるために、「戦後責任」という問題についてドイツの足跡とともに考えてみようと思う。

 

2、「過去の克服」を目指して―ドイツ・日本の戦後―

 戦後ドイツでは、国際軍事裁判がニュルンベルクで行われドイツの主要戦犯が裁かれた。日本でも同じように、東京裁判・BC級戦犯裁判が行われ多くの戦犯が裁かれた。しかし、これで「責任」を果たしたとは到底思えない。旧西ドイツでは、ナチス戦犯に対する追及を一貫して行ってきた。またナチスによって被害を受けた人々への補償を戦後早くから行ってきた。79年には、「ナチス犯罪(殺人)の時効を廃止し、永久に追及する。」という国会決議がある。それにより、ドイツのシュトゥトガルト地方裁判所が元ナチス親衛隊長・強制収容所所長ヨーゼフ・シュヴァムベルガーに対して、半世紀前の度重なる殺人と大量の殺人ほう助罪のゆえに終身刑の判決を下した。半世紀前の罪のために80歳の老人に終身刑が下ったのだ。ニュルンベルク裁判以外に、自国の裁判所によって9万人を超えるナチス関係者を裁判にかけた。これに対し日本は、東京裁判・BC級裁判のみであり、自ら裁きを行うことをしなかった。

 また52年にドイツではイスラエルとのルクセンブルク協定に基づき、ユダヤ人被害者のために345000万マルクの支払いを行った。そして56年にはナチズムに迫害を受けた人々に対して79億マルクが支払われてきた。ドイツ統一後は東欧諸国に対しても戦時賠償の支払いが進められていった。ここで重要なのが、ドイツの賠償金が安いか高いか、あるいは「戦争責任」を金で解決できるのかと言ったことが問題なのではなく、ドイツが「過去を過ちであったと認めたこと」「過去を直視すること」「過去の克服を願っていた」という姿勢が重要なのである。この姿勢は、日本には欠けているのではないだろうか。ドイツがナチ被害者に79億マルクを支払うと決めた56年に日本では経済白書の中で「もはや戦後ではない」という言葉を使った。これは経済復興を意味して使われたもののようであるが、56年の時点で戦争の傷跡が日本の内外いたるところで残っていたのは間違いない。この言葉は、ある種の現実逃避であったのではないか。戦後責任から逃れたいという意識の現われに思える。

 

3、ドイツ・日本による戦後責任の相違の原因

 上の歴史を見るとドイツと日本は戦後責任に対して全く違った行動を取っている。これはなぜなのだろうか。おそらく、戦後の占領形態・地理的問題にあるのだろう。ドイツでは、連合国によって占領された。そして、様々な国戦後責任を迫られた。経済復興においても近隣国との関係は不可欠であった。そのためドイツは、経済復興するためにまず、ヨーロッパ内部できちんと責任を取り、一国として認めてもらう必要があった。

 しかし日本は基本的に、アメリカによる戦後復興であった。アジア諸国は日本の戦後復興に関与することが出来なかった。このような状況の中で、日本はアメリカとの密接な経済関係を強めていった。これが、日本の甘い戦後状況を作っていったのだろう。

 

4、時間遅れの戦後責任

 冷戦が終結した90年代初頭、それまで冷戦構造下の強権政治体制の中で責任追及に名乗りをあげることが難しかった被害者個人が出現しはじめた。その例として、「従軍慰安婦問題」が挙げられるだろう。これによって、「もはや戦後ではない」と思えた時代が「まだ戦後が続いている」という認識に変えられた。冷戦という「アリバイ」をなくした日本は、立ち現れ始めた「戦争責任」に対し如何に答えていくべきなのか。この問題は、将来の日本にとって非常に重要な問題である。

 

5、応答可能性(レスポンシビリティ)としての戦後責任

 90年代にアジア諸国で湧き上がった「戦後責任」は今を生きる我々に向けられている。しかし、実際戦争を行ったのは我々の上の世代であり、一見我々には無関係であると思える。しかし、高橋哲哉氏は『戦後責任論』の中で「戦争を経験していない我々にも責任がある」と述べている。それは「応答可能性(レスポンシビリティ)としての責任」である。「応答可能性(レスポンシビリティ)」とは一体何であるのか。

 英語で「責任」のことを「responsibility」という。「response」とは「返事」「返答」と言う意味である。であるからして、「responsibility」とは「応答可能性」とも言えるのではないかと高橋氏は言う。もし、私が歩いていて向こうから友人が歩いてくる場面があるとしよう。そのとき、友人は私に手を振ってきた。私は、友人に対して手を振る・声をかけるなど出来る。あるいは、無視をするということも可能だ。そのどちらの態度を取るべきか私の「自由」なのである。無視をしたら友人は私のことを「なんてやつだ!」と思うかもしれないが法的に罰せられるわけではない。しかしここで重要なのでが、友人の手を振ると言う行為を私が認識した瞬間、応えるか応えないかの選択に迫られる、責任の内に置かれる、レスポンシビリティのうちに置かれる、このことについて私は「自由」ではありえないのである。高橋氏は「このことは、責任というものが根源的には<他者に対する責任>であり、<他者との関係>に由来する」と述べ「完全に自由であろうとするなら、他者を抹殺するしかない。他者からの呼びかけをいっさい聞きたくないとすると、他者が存在しないところに私は生きるしかない」と言う。

 高橋氏は「応答すること」を創造的だと述べてもいる。応答することは他者とのコミュニケーションであり、信頼関係の第一歩である。日本はそうような意味では、応答を求める「他者」にたいして沈黙を守っている。コミュニケーションを破綻させている。今を生きる戦争知らない我々は「実質的」な責任は無いが「応答可能性」としての責任はある。なぜならば、我々はもうすでに「他者の呼びかけ」を聞いてしまっているからである。このままずっと「応答」しなければ、日本は他者との関係を断ち切って生きていくしかないのだ。しかし、それは無理なことである。ドイツのように戦後数十年経っても「呼びかけ」に「応答」する態度、そのような態度こそが戦後を終える、いや戦争責任は償われることは無いであろうが、しかし将来のために少しでも信頼回復を図ろうと思うのであるならば、日本は戦争被害者の「呼びかけ」に「応答」しなければいけないのではないか。

 

参考文献

栗屋憲太郎、三島憲一ら『戦争責任・戦後責任―日本とドイツはどうちがうか―』朝日選書、1994年、東京

高橋哲哉『戦後責任論』講談社学術文庫、2005年、東京

東京新聞戦後50年取材班編『心に刻む歴史 ドイツと日本の戦後50年』東京ブックレット、1995年、東京