点線は、1941年12月5日(日本の真珠湾攻撃直前)の前線



治安警察(Sicherheitspolizei)・保安部(SD)の

  アインザッツグルッペ

  「事件通報・ソ連」(Ereignismeldung UdSSR) (ドイツ連邦文書館のコブレンツ本部、現在ではベルリン支所で閲覧可、マイクロフィッシュは日本からも購入可能)



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第19号(1941年7月11日)

リトアニア国境で、ティルジット国家警察と共同で、・・・
 7月2日 タウロッゲンで、133人、
 7月3日  ゲオルゲンブルグで、322人(うち5人が女性)、アウグストヴォで316人(うち女性10人)、マリアムポルで68人を
射殺(erschossen)
 

上の秘密文書の重要箇所を翻訳:














第45号、1941年8月7日
 占領下ウンターシュタイヤーマルクとクラインの情勢・・・ドイツに対する抵抗を呼びかけるビラの内容。

国防軍施設のボイコットへの呼びかけ、
サボタージュの呼びかけ、
占領軍と協力するものへの襲撃、射殺の呼びかけ




アインザッツグルッペDの
 アインザッツコマンド10A(Einsatzkommando 10 A)



Kokymaコキュマで、国防軍にたいする
暴動Aufruhrと襲撃Angriffeがあったので、ユダヤ人に対する手入れを行った。その際、97人のユダヤ人を射殺し、1756人の人質を捕まえた。新しい場所でも人質逮捕を続け、ほんのわずかでも理由があればbei geringsten Anlässen処刑した。





ドキュメント抜粋の英訳本

(New York 1989)