アウシュヴィッツへの道

−「過去の克服」の世界的到達点の地平から−

 

  世界史的悲劇としてのホロコースト、その現場としてのアウシュヴィッツ(絶滅収容所)は、現代史に関心のある市民ならば、ほとんど誰でも知っているでしょう。127日のアウシュヴィッツ解放記念日は、1996年にドイツ大統領ヘルツォークによってホロコースト記念日と宣言されましたた。2005年には国連が同じ解放記念日をホロコースト記念日としました。アウシュヴィッツはホロコースト、ユダヤ人の悲劇の世界的な象徴となっています。それだけに多くのドキュメンタリー映画がアウシュヴィッツの実態については明らかにしています。

 

 しかし、それではアウシュヴィッツの悲劇は、どのような主体とどのような思想・世界観によって、どのようなプロセスで、どのような条件が組み合わさって起きたことなのでしょうか。少し詳しいことになると曖昧になるのではなかろうか。

 

そこで、第61回アウシュヴィッツ解放記念日前夜(126)に行った市民講座の聴講者の感想や意見を踏まえ、今回は、最新の欧米の研究成果を踏まえながら、まず最初の三回で、一次史料を紹介し解説するスタイルをとりたいとおもいます。

 市民講座よりも時間をかけ、時系列に沿いながら、質問時間もとりながら講義を行ってみたいと思います。

膨大な歴史研究と史料の存在の中で限定的に、史料に即したアプローチをするため、アウシュヴィッツそのものよりも、アルシュヴィッツにおける大量殺害が始まるまでの歴史的経緯を中心に講義したいと考えます。

 

そのような作業の中から、ヒトラー・第三帝国を生み出したのはたんにドイツの問題だけではなく、当時の世界の問題、日本の問題も深く関わっていたのだということ、そのような人類の世界史的問題とも関係することを見据えておきたいと思います。

 ヒトラー流の勢力を台頭させないためには、ドイツの人々の努力だけではなく、日本も、そして英米仏も、すなわち
20世紀前半の列強が、そろって戦後世界において努力する必要があったことを、間接的な形ではありますが、明らかにしたいと思います。「過去の克服」は、世界的な人々の努力によってこそ成し遂げられる、というのが本講義の見地です。

 

したがって、最後の第4回講義において、ヒトラー・第三帝国・第二次世界大戦とホロコーストの歴史が、戦後ドイツにおいてどのように反省され、ドイツ市民の意識を形成してきたか、ドイツが戦後ヨーロッパのなかで信頼を得て、EU統合の推進力になっていくことを可能とした歴史への姿勢について、すなわち、「過去の克服」のあり方について、この問題の第一人者である東京大学教授・石田勇治先生からお話を伺いたいと思います。

「アウシュヴィッツへの道」をふたたび歩まないために、戦後のドイツ人はどのようなことをしたのでしょうか? 今回の企画の力点は、過去への痛切な反省を行ったこの戦後のドイツ人の姿勢をきちんと把握することにあります。

 

 

目下準備中の日程(時間は、18302000)

1. 517(水曜日)   ヒトラー・ナチズムの世界観と思想構造

−ヒトラー、ヒムラー、ハイドリヒ、ヘースのものの考え方は?−

2.524(水曜日) 第三帝国の基本目標の実現と迫害・移住・絶滅政策の展開

−『事件通報・ソ連』はなにを語るか?−

3.531(水曜日)戦時中「疎開」政策とヴァンゼー会議・ラインハルト作戦

−ヴァンゼー会議議事録から浮かび上がることは何か?

4.67(水曜日) 戦後ドイツにおける「過去の克服」−信頼されるドイツの構築−・・・石田勇治(東京大学教授)