1939年1月30日のヒトラー国会演説と
1941年12月対米宣戦布告(11日)後の幹部会議(12日)発言の
共通点と違いは?
1939年1月30日、国会演説の一節
「今日、ふたたび私は預言者となろう。もしも、ヨーロッパ内外の国際的金融ユダヤ人が諸民族をもういちど世界戦争に引きずり込むことに成功したならば、その結果は、地球のボルシェヴィキ化、したがって同時にユダヤ民族の勝利ではなくて、ヨーロッパのユダヤ人種の絶滅となろう。」
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20時15分、ヒトラー登壇。2時間半にわたる長大な演説。
「私はこれまで非常にしばしば預言者となってきたが、ほとんどの場合嘲笑された。権力をめぐる私の闘争時代、いずれドイツで国家の指導を引き受け全民族の指導を引き受けるだろう、そして多くの問題のなかでユダヤ人問題を解決に導くだろうとの私の予言を嘲笑でもって受け取ったのがまず第一にはユダヤ民族だった。」
「今日、ふたたび私は預言者となろう。もしも、ヨーロッパ内外の国際的金融ユダヤ人が諸民族をもういちど世界戦争に引きずり込むことに成功したならば、その結果は、地球のボルシェヴィキ化、したがって同時にユダヤ民族の勝利ではなくて、ヨーロッパのユダヤ人種の絶滅となろう。
なぜなら、非ユダヤの諸民族の宣伝の無防備上での状態の時代が終わったからである。国民社会主義のドイツとファシスト・イタリアが、諸民族が本能的に感じているだけで科学的には不明確な問題の本質について世界を啓蒙する機関を手にしたからである。・・・」