ヘーゲル

 

 

I  プロローグ

 

ヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegel 17701831 ドイツの観念論哲学者19世紀最大の思想家

 

 

財務官の息子としてシュトゥットガルトに生まれ、敬虔(けいけん)主義の雰囲気の中で成長した。シュトゥットガルトのギムナジウムにまなんだのち、1788年、チュービンゲン神学校に入学し、詩人のヘルダーリンや哲学者のシェリングと親交をむすぶ。

 

哲学と神学をおさめたのち、牧師になる決心がつかず、93年からスイスのベルンで、ついで97年にはフランクフルトで家庭教師としてはたらくが、2年後に父の死による遺産相続により、家庭教師の職から解放される。

 

1801年、イエナ大学私講師。ヘーゲルのもっとも重要な著作である「精神現象学」(1807)はイエナで書かれた。07年のナポレオンによるイエナ陥落とともにこの地をさり、バンベルク新聞の編集者となるが、ジャーナリズムになじめず、08年から8年間、ニュルンベルクのギムナジウムの校長をつとめる。ニュルンベルク時代に「論理学」(181216)を出版する。

 

1816年にハイデルベルク大学の哲学教授となり、17年、ヘーゲルの哲学体系の要約である「哲学的諸学のエンティクロペディー」を出版する。18年、ベルリン大学哲学教授となり、終生この地位にとどまる。311114日、コレラのためベルリンにて死去した。

 

ヘーゲル自身によって出版された最後の著書は、「法の哲学」(1821)である。ヘーゲルの講義ノートをもとにして、彼の弟子たちによって死後出版された著書に、「美学講義」(183538)、「哲学史講義」(183336)、「宗教哲学講義」(1832)、「歴史哲学講義」(1837)がある。ヘーゲルの思想には、ギリシャ思想の強い影響のほか、スピノザ、ルソー、カント、フィヒテ、シェリングなどの影響もみられる。

 

II  絶対精神

 

ヘーゲルの目標は、先行者たちの思想をおさめうるような包括的な哲学体系を構築し、過去と未来を哲学的に理解可能にする概念枠組みをつくることにあった。そのためには、現実総体のじゅうぶんな考察が必要である。哲学の主題は全体としての現実にある。ヘーゲルはこの現実、つまり、存在するすべてのものの発展過程の全体を絶対者、あるいは絶対精神とよぶ。哲学の課題は絶対精神の発展をしめすことである。そのためには、(1)絶対者の内的な合理的構造の明示、(2)絶対者が自然と人類史においてあらわれる仕方の提示、(3)絶対者の目的論的性格の説明、あるいは絶対者がむかう目標の提示が必要である。

 

III  弁証法

 

ヘーゲルは、古代ギリシャの哲学者パルメニデスにしたがって、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」という。この発言は、絶対者は究極的には自己展開していく純粋思考(精神)とみなされねばならないというヘーゲルの主張にもとづいて理解されるべきである。この発展過程を支配する論理が弁証法である。

 

弁証法は、運動、過程、進歩は対立物の矛盾から生じるという考え方をふくんでいる。この思想は伝統的に、定立、反定立、総合という3段階によって分析されてきた。ヘーゲル自身はつかいたがらなかったが、これらの用語は彼の弁証法思想を理解するには有効である。定立とはある概念あるいは歴史的運動である。この概念あるいは運動は不完全さをふくんでいるので、反対物、つまり矛盾・対立する概念あるいは運動に転化する。これが反定立である。この矛盾の結果として第3の相である総合が生じ、定立と反定立の両方をふくむいっそう高次の真理によって矛盾が克服される。だが、この総合も新たな定立となり、反定立を生みだし、この反定立が新たな総合を生む。こうして、知性や歴史は、連続的に発展していく。ヘーゲルによれば、絶対精神そのものがこうした弁証法的な過程を通じて、ある究極目標へと発展していくのである。

 

したがって、現実は弁証法的に自己発展する絶対者と理解され、絶対者は自然のうちにも、人間の歴史のうちにもあらわれる。自然とは、物質的形態のうちに客観化された絶対的な思考である。有限な精神と人間の歴史とは、絶対者そのものがおのれにもっとも類似したものである精神ないし意識のうちにあらわれてくる過程にほかならない。ヘーゲルは「精神現象学」において、絶対者が出現してくる諸段階を、意識のもっとも単純なレベルから、自己意識をへて、理性の登場まで追跡する。

 

IV  芸術、宗教、哲学

 

宇宙の弁証法的過程の到達点がもっとも明らかになるのは、理性の次元においてである。有限な理性が理解を深めていくにつれて、絶対者は完全な自己認識に近づいていく。ヘーゲルは、人間のこの理解の発展を、芸術、宗教、哲学という3つの次元において分析する。

 

芸術は絶対者を物質的形態においてとらえ、美の感覚的形態をとおして理性的思想を解釈する。概念の発展において芸術にとってかわる宗教は、絶対者をイメージやシンボルによってとらえる。ヘーゲルにとって最高の宗教はキリスト教である。キリスト教は、絶対者が有限なもののうちにあらわれるという真理を、受肉の思想のうちに象徴的に表現している。

 

だが、概念的に最高のものは哲学である。というのも、哲学は絶対者を理性的にとらえるからである。哲学が実現されるとき、絶対者も自己認識に到達しており、宇宙のドラマはその目標に達している。この地点においてのみ、絶対者は神と同一視されてよい。「神は、おのれを知るかぎりでのみ神である」、とヘーゲルは主張する。

 

V  歴史哲学

 

ヘーゲルは、絶対精神の本性を分析する過程で、歴史哲学や社会倫理学といったさまざまな哲学領域に重要な貢献をした。歴史に関していえば、おもに理性と自由について考察している。ヘーゲルによれば、「哲学が歴史の考察にたずさえていくただひとつの思想は、理性についての単純な思想、つまり、理性が世界を支配し、世界史は理性的に進行するという思想だけである」。理性的な過程としての歴史は、人間的自由の発展の記録である。

 

VI  倫理学と政治学

 

ヘーゲルの社会的・政治的見解は、道徳と社会倫理の議論において明らかにされる。道徳のレベルでは、正義は個人の意識の問題でしかない。だが、人間はこのレベルをこえて、社会倫理のレベルにすすまなければならない。というのも、ヘーゲルによれば、義務は本質的に個人的な判断の所産ではないからである。個人は、社会関係のうちにあるときのみ完全なものとなる。義務が真に存在しうる唯一の文脈は、社会的文脈である。ヘーゲルは、国家の成員であることを個人の最高の義務とみなす。国家は、倫理的精神の最高の表現である一般意志の体現である。この一般意志への服従は、自由な理性的個人の行為である。

 

ヘーゲルは保守的な人物だが、全体主義をみとめるわけではなく、国家による自由の制限は道徳的にうけいれがたいとも主張している。

 

VII  ヘーゲル右派と左派

 

晩年のヘーゲルは、ドイツでもっとも著名な哲学者になっていた。彼の思想はドイツじゅうの大学でおしえられ、弟子たちでさえ尊敬された。ヘーゲルの死後、後継者たちはヘーゲル右派と左派に分裂した。ヘーゲル右派は、ヘーゲルの著作を神学的にも政治的にも保守的に解釈する。彼らは、ヘーゲル哲学とキリスト教が両立可能であることを強調する。政治的にも保守的である。

 

ヘーゲル左派は、ついには無神論の立場をとるにいたる。政治的にも、多くは革命家となる。歴史的に重要なヘーゲル左派には、フォイエルバッハ、バウアー、マルクス、エンゲルスなどがいる。とくにマルクスとエンゲルスは、歴史は弁証法的にうごくというヘーゲルの思想に影響をうけたが、ヘーゲルの哲学的観念論にかえて唯物論を主張した。

 

VIII  その他の影響

 

ヘーゲルの形而上学的観念論は、19世紀と20世紀初頭のイギリス哲学、とくにブラッドリーの哲学や、ロイスらによるアメリカ哲学、さらにはクローチェをとおしてイタリア哲学に強い影響をおよぼした。ヘーゲルはまた、キルケゴールをとおして実存主義にも影響をあたえた。現象学は、ヘーゲルの意識概念に影響をうけている。後続の哲学に対するヘーゲル思想の広範で多彩な影響力は、彼の思想のおどろくべき広さとなみはずれた深さを証明するものである。

 

西洋哲学

 

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