ホブスン『帝国主義論』1905年(1938年に第三版、1947年に第4版(邦訳1951年は1938年第三版・・・実に生命力の長い古典)

  

1938年、したがってドイツでは、ヒトラー政権がいよいよ帝国主義的対外的膨張の歩みを具体化(ズデーテン問題→ミュンヘン危機→チェコスロヴァキア共和国解体へ)する年に出された第三版の序文で、ホブスンは、つぎのようにのべている。



  
 「今日の侵略的国家主義」とは、すなわち、ヨーロッパではヒトラー・ドイツ第三帝国、ムッソリーニ・イタリア地中海帝国、そしてアジアの日本帝国主義であり、これは、古い帝国主義諸国(大英帝国、フランス帝国など)に対抗しつつ自らの覇権をもとめるものであった。


 
そして、ホブスンによれば、「今日の侵略的国家主義」は、世界大戦(すなわち、この時点では第一次大戦しかありえないが)と「悪しき平和」(すなわちヴェルサイユ体制下の世界体制)とによって、目に見えるように燃え上がらされ促進されたものである」ことをきちんと見据えている。
 

 
ヴェルサイユ体制が「悪しき平和」であることは、ケインズなども「平和の経済的帰結」などでつとに指摘し、心ある人々が認識していたことである。

 
その「悪しき平和」をひとつの大きな跳躍台として、ヒトラー、ムッソリーニ、日本帝国主義が力を得て行く。
 
 「侵略的国家主義」(帝国主義)は、実は、ホブスンの本が出版された(1905年)第一次世界大戦前の世界の基本的諸特徴と同じであることを述べている。
 侵略的国家主義の「経済的政治的および道徳的根源は先進工業諸国家の対外政策の中に見出される」と。

  第一次大戦と今まさに風雲急を告げるヨーロッパと世界の情勢とが、根本において共通する諸要因をもっていること、これがホブスンが第三版を1938年にだすにあたって、確認した点である。

 
 1905年でホブスンが確認した帝国主義の主要な特徴は何か?

「誇り、威信、好戦的傾向など種々の現実的なそして強力な動機が、文明化の使命というより愛他的な言い分とともに帝国的膨張の原因として現われたけれども、もっとも主要な支配的動機は、各帝国主義国内の輸出業者および金融業者の階級による市場ならびに有利な投資への要求であった。
 この差し迫った経済的要求の原因は、機械と動力の新しい資本主義技術の下に国内市場の有効需要を上回る工業生産力の発展的傾向、すなわち国内の消費率を追い越す生産率にあるとされた。・・・・・・

 
国内および外国市場の当面の需要を超過する一般的生産過剰がしばしばあるということに気づくならば、資本の生産力が培われすぎてきたことが明らかになるだろう。このことはさらに一転して、蓄積と投資の過程が急速に進行しすぎたことを意味する。換言すれば、過度の蓄積と不十分な消費あったのである。





海外市場進出の絶えざる衝動、過剰蓄積の慢性的傾向、




ドイツ、イタリー、日本・・・・後発帝国主義として、世界再分割要求
  「帝国的侵略を正当づけるための経済的必要性を主張・・・・人口の増加があり、雇用と扶養のためにさらに多くの土地を必要としている・・・」

(cf. ヒトラーの『わが闘争』における論理)




 
帝国主義の一般的傾向、その経済的および政治的性格において「過去30年間、変化はなかった」
 ・・・・20世紀初頭から20世紀の38年当時まで、帝国主義の一般的傾向が支配していた。

 
少数の帝国主義諸国と世界の広い地域の植民地従属国化・隷属状態。



ヴェルサイユ体制下・国際連盟体制下での変化は?
   ドイツ帝国主義、イタリア帝国主義、日本帝国主義の不満・憤懣
      大英帝国のような植民地・属領所有の
世界強国への願望



 ドイツは、第一次大戦の敗北で、海外植民地を失い、領土を削減された。この二つは、ヒトラー・ドイツ帝国主義の復讐心の核にある。

 第一次大戦の戦勝国は、敗者の国の植民地を「委任統治領」として手に入れた。日本も、第一次大戦ではイギリスとの同盟で勝ち組に立ったから、太平洋地域のドイツ植民地を手に入れた。

 第一次大戦による
イギリス帝国領土の膨張(ホブスンの統計、1933年−34年)


 (日本の台湾・朝鮮半島の領有、進行中の「満州国」支配はここに出されていない)


  第一次大戦の敗戦国ドイツ・オーストリア・ハンガリーが
植民地・属領を喪失していることは明確に示されている。

  それに対して、
戦勝国は? 広大な植民地・従属国を所有したまま。