(ベルリン支部) (本部は、コブレンツ)
Bundesarchiv
1.
ドイツ連邦文書館(ベルリン)の正面(フィンケンシュタインアレー)
2.
連邦文書館・正面右横の史跡説明板、
それによれば、
この施設(中には建物がいくつもある)1872―78年に建設。
1878年から1920年、プロイセン軍事施設として発足。
ワイマール期にはギムナジウムとして利用された。
ナチ期には親衛隊連隊「アドルフ・ヒトラー」の兵舎。
1934年6月30日、ヒトラー命令により親衛隊が行った突撃隊幕僚長レーム以下の「ナチ左派」粛清事件に際しては、ここが処刑場(射殺)になった。
第二次大戦後はアメリカ占領軍の施設になった。
連合国占領終了と東西ドイツ統一で,ドイツ連邦文書館の施設となった。
Reichの時代の文書がここに集められている。
以上のように、このひとつの施設だけでも歴史の転変とその時代の特徴が明瞭に示されている。平和の時代、民主主義の時代には学校教育施設、あるいは現在のように文書館、しかし、軍国主義・戦争の時代には軍や親衛隊の施設というわけである。
現在、この施設が、歴史を客観的に認識するための文書館として利用されているということ自体、多大の犠牲を払ってドイツ人とドイツ史が到達した地点を示す。
この現在の到達点をこそ、科学的歴史研究の道を通じても、強靭にし、また高めて行かなければならない。
3.
連邦文書館の施設の中には、図書館や史料館がある。
私がもっぱら利用するのは,史料館(アルヒーフ),そのアルヒーフの玄関。
アルヒーフ玄関近接写真。
ここに掲げられている2枚の文字盤のひとつを見てもわかるように、旧東ドイツ(ドイツ民主共和国DDR)の政党と大衆運動の文書も連邦文書館に収納されている。
現在,連邦文書館は、月曜から木曜日まで,午前8時から午後7時まで,11時間、金曜日は午前8時から午後4時までが開館。