(正面玄関)
ヴァンゼー会議記念館・・・1942年1月20日、ベルリン郊外ヴァンゼー・高級住宅街(Am
Großen Wannsee 56-58) にあるこの建物でホロコースト)(第三帝国によるユダヤ人大量虐殺)の展開にとって決定的に重要な会議が開催された。
帝国保安本部長官・治安警察・保安部長官ハイドリヒが主催し、その司会のもとに、議題は「ユダヤ人最終解決」(Endloesung der Judenfrage)であった。
この会議には、ドイツ第三帝国の主要国家官庁の次官クラスが参加した。したがって、「次官会議」とも称される。
ドイツ支配下のユダヤ人の移送政策から絶滅政策への実質的転換(「冬の危機」・総力戦化・敗退化、1941年12月)を踏まえて、表面的には戦時中の「東方への移送政策」の遂行を打ち合わせ、調整する会議として、開催された。
立地(最寄駅):
ベルリン中央のツォー駅からSバーン(S7)三十分ほどのWannsee駅下車(・・・ウンター・デン・リンデン駅などを通るS1線経由も可能)。
ポツダム駅からベルリン市中心方向へSバーンで一駅がヴァンゼー。
ヴァンゼー駅から記念館までは巡回バス114で、「ヴァンゼー会議記念館(Haus der Wannseekonferenz, Gedenkstätte
Wannseekonferenz)」停留所にて下車。
この記念館は、ユダヤ人富豪の別荘だった時期もあり、周辺一帯はいまでも保養地・閑静な高級住宅街として、著名な地域。
ヴァンゼー会議の開催された広間…外を見れば、ヴァンゼー湖が広がり、対岸には大海水(といっても湖なので真水)浴場。モーターボート、ヨット、遊覧船が行き交う。
各省庁次官クラス・参加者・・・中央・司会ハイドリヒ、向かって左手にアイヒマン
ゲシュタポ・ミュラー(ライヒ保安本部第4局長官・ゲシュタポ・ミュラー)
ヴァンゼー会議記念館公式HP