DER SPIEGEL 7/2002 - 09. Februar 2002
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Zeitgeschichte現代史
 
「私は直ちにこれは大変と通報した」

アメリカ検察チームのために翻訳の仕事をしていたイギリス人女性Betty Nuteへのインタヴュー

(シュピーゲル誌Spiegel200229日)

SPIEGEL:ヴァンゼー会議議事録が本物かどうか、この何十年も、(ネオナチ・否定論者の潮流から・・・永岑注)くりかえし疑問が投げかけられていますが、本物でしょうか

Nute: Jええ。その発見の場に居合わせました。

SPIEGEL: いつ、どこでですか

Nute: 1947年春。ベルリン・リヒターフェルデのテレフンケン社の建物です。この建物は、アメリカ軍が接収していました。・・・・このテレフンケンの建物に保管されていた外務省文書のなか。ケネス・デュークという人が発見。

SPIEGEL: 正確に言うとどこにあったのですか?

Nute: 文書保管庫のひとつの中で、・・・ばら色の書類挟みで、その背表紙に緑色の色鉛筆で書かれた「ユダヤ人問題の最終解決」の文字がある文書つづり のなかでした。

SPIEGEL: だとすれば、この文書つづりを持っていたのは外務大臣ヨアヒム・フォン・リッベントロープのはずですね。

Nute: そのとおりです。緑色の色鉛筆を使うのは外務大臣リッベントロップだけ。・・・・重要と直感・興奮。

SPIEGEL: そこでどうしましたか

Nute: 直ちに、ニュルンベルクの検察官ケンプナーに電話連絡。ヴァイツゼッカー次官など外務省高官等に対するヴィルヘルムシュトラーセ(外務省所在地の名前)裁判に重要な発見、と。

SPIEGEL: あなたがケンプナーに電話するのはただならないことですか

Nute: ええ。・・・彼は文書を持って直ちに飛行機でニュルンベルクに来るように求めました。そうしました。.

SPIEGEL:あなたは当時、何百万人もの人間の殺害を議論している文書を発見して驚きましたか? 

Nute: いいえ。何百万人もの人間の殺害をオープンに議論している文書だとは、最初は分かりませんでした。
 
  当時毎日、射殺や強制収容所の残酷さなどに関する文書ばかりを取り扱っていたので(最初はヴァンゼー会議の議事録の重要性はわからなかった)